【往復書簡 エッセイNo.26】出逢いと別れの3月
うららちゃん、こんにちは!
暖冬で春はすぐそこと思っていたのに、寒い日が続き、菜種梅雨は長く、ようやく桜の開花が期待できそうですね。
叔母さまのご逝去に際して心よりお悔み申し上げます。
フルートとピアノの合奏は、とても穏やかなお見送りでしたね。
両親の葬儀はどうありたいか、聞いてみたいと会うたびに思うけれど、どうにも話を切り出せないでいます。こまった、こまった・・。
さて最近、近しい関係の故人の命日を、母がLINEで知らせてくれました。
そんな日々のやりとりなど。
出逢いと別れの3月
3月は私自身の誕生日もありつつ、東京大空襲(1945年3月10日)や東日本大震災(2011年3月11日)の歴史的なできごとがあった月であり、新年度に向けて卒業や退職・転職など旅立ちの月でもある。
穏やかな春のイメージで、3月生まれが嫌いではなかったけれど、季節が混じり合い、出逢いと別れがめくるめく訪れる季節に、心がゆらぐことも多くなった。
母からぽんとLINEが入ってきた。3月21日のこと。
近況報告とともに「今日はおばあちゃんの命日。祈りましょう。」とひとこと添えてあった。
私の父方の祖母は90代後半の大往生で、2011年3月21日に青森で旅立った。東日本大震災の発災から10日後のことで、私は仕事で沖縄に行っており、母が泣きながら電話してきた。
仕事しながら交通情報を急いでネット検索してみるけれど、当然ながら未曽有の大震災の後で、陸路では東京から青森にはたどり着けそうにない。そこで飛行機の予約が取れるか検索するが、仕事の合間には限界もあり、都内にいる夫にもお願いしながら必死に検索した。
母は当時、乳がんの治療に入っていて青森まではとても行けないとのことで、父のみが出かけるしかなかった。父が飛行機で単身出かけることは、本人の了承を得ていなかったけれど、とにかく移動手段を確保したい思いだった。
おばあちゃん、あと少し待っていて!
私だって今すぐ会いに行きたい。大好きだったおばあちゃん。
沖縄の海を見つめながら泣けてきちゃったことを思い出す。
父はようやく予約できた1席に飛び乗って、空路青森を目指した。その途中で三陸側の上空を通過したそうで、震災の被害の様子を目にしたと、後になって聞いた。
そんな大切な命日なのに、私としたことが、母のLINEがなければ、日常に追われて失念していたのだ。ああ、おばあちゃんごめんなさい。
それで母に、次回実家に行った時でもいいので、近しい関係の故人の命日一覧を教えてもらえないかと返信してみた。俗にいう「過去帳」のようなものを作っておきたいと思い始めたのだ。
数日後、また母からLINEが入った。
「一覧はまた追って。忘れていないかと思って送りますよ。今月は命日が続きます。」
えっ?!
おっしゃるとおり、失念しております・・。
なんと、3月28日、29日、30日と両親の実父や伯父などの命日が続いていたのだ!
私にとって、3月は自分自身にいのちが与えられた月で、いのちに祈る月でもあるということ。
心を整えなさいよ。
ご先祖のみなさんから気づきをもらったような、そんな3月の終わりです。