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【往復書簡 エッセイNo.10】初恋は秘めておくもの

うららちゃん、こんにちは!

伯父さまが写真に添えたことば、伯母さまのことを「乙女」と呼ぶのは、ユーモアも込めつつ、新婚の初々しさがあふれるようで、とても愛おしいなあと思いました。

恋と結婚は違う、とよく言われるけれど、人生の終着点にたどり着く頃にはまたピュアな気持ちに戻るといいなあと思うこの頃です。あ、ピュアな気持ちが根こそぎ消えたわけではないと思うけれど・・(笑)

今回は、桜の季節になるとふと思い出す、祖母のお話をお届けします。


東日本大震災が発生した2011年3月11日。その10日後に、父方の祖母は90代半ばで旅立った。祖母は青森の人だったが、幸いにも震災の直接的な被害は免れた。ただ、当時の東北地方の多くの場所がそうであったように、祖母の家も電力が制限されており、寒くはなかっただろうか、と遠い地より祈ったが、眠るように息を引き取ったとのことで少しだけ安堵した。

大正生まれの祖母は、4人の子どもを産み育て、商売をして、時には出稼ぎもする、文字どおりの「肝っ玉かあちゃん」だったという。今となっては祖母の記憶も断片的だけれど、小柄で闊達でたくましく、笑顔がかわいかった祖母の姿だけは鮮明に浮かんでくる。

祖母が亡くなる10年ほど前になるだろうか。私の父の兄、つまり祖母の長男が病気で亡くなり、散らばっていた子どもたちが葬儀のために集まり、その子どもたちである私やいとこたちも同伴することがあった。ものすごく久しぶりに大勢の親族が祖母の家に集まり、あちこちで話の輪ができている。

私は祖母が大好きで、80代という高齢になった祖母の話をできるだけ聞きたいと思っていた。当時私は30代に入った頃だったが、祖母が「いい人はいないのか?」と方言交じりで聞いてきた。「恋愛は面倒くさくて、今はひとりが気楽でいいのよ。」というニュアンスのことを私は返したと思う。実は恋愛がなにひとつうまくいってなくて、傷に触れられたくなかったのだけど。

祖母は「おばあちゃんはね、ほんとはミノル(祖父の名前)じゃない人と結婚したかったの。」と急に告白を始めた。祖父はもうだいぶ昔に祖母を残して先に亡くなっていて、祖母は長男夫婦と一緒に暮らしていたが、なんだってその長男の葬儀にこんな話をするの?

私は、不謹慎ながら少し笑ってしまい、喪服を着たまま、祖母のコイバナに耳を傾けることにした。

大正生まれの祖母が生きた時代には、世界を巻き込む戦争が起こり、日本でも都心や地方の差を問わず、男性は兵隊に召集された。どこでどうやって出逢ったか、その詳細は土地勘がなく、聞いてもよく分からなかったのが本音だが、祖母はある時出逢った青年に心惹かれ、結婚したいと願うようになったという。しかし、その青年は海軍に入隊し、結婚はおろか、お付き合いすることもないまま、祖母の前から消え去っていった。

「背がすらっとして、優しくてかっこよかった。」
まるで時がそこだけ止まったかのように、遠くを見つめながら話す祖母の前には、きっとその青年が佇んでいるんだろうなと思った。
その人の目を見つめたことも、手を握ったことも、けんかをしたこともない、ふんわりとそこにある青年の美しいさま。

私は鼻の奥がツンとして、その青年は戦争が終わって無事に帰ってきたの?と聞くことができなかった。祖母の想いが確かなら、聞かなくてもいいのかもしれないとも思った。

時が戻ったように、周囲には祖母の子どもや孫たちが輪を作って話す声が聞こえてくる。もし祖母が祖父と出逢わなかったら、今ここにいる者たちは、私も含めて誰も存在しない。大きな母としての祖母と、ひとりの可憐な少女だった祖母が、その時重なった。

村下孝蔵の名曲「初恋」の一節。
「浅い夢だから  胸を離れない」

祖母がずっと心に秘めてきた想いを聞いたのは、あの日が最初で最後だったけれど、命日が訪れ、桜がはらはらと散る頃に、ふと思い出す。

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