『グローバル人材』という虚妄と『田舎者』 #1 崑
今回は台湾の大学に正規入学してからの日々と僕の現在の『グローバル人材』という考えについて少し書きたいと思います。
学期の始まり
今回は台湾の大学に正規入学してからの日々について少し書きたいと思います。僕個人は前回話したように高校時代に社会科の先生が開講した「倫理学」という授業をきっかけに哲学を学ぼうと思いました。僕は受験をせずに、通知表を提出するだけで入学できたので(帰国子女の特権みたいなものです)、逆に燃え尽き症候群のようなものは無く、専門的に勉強できる大学という場所に非常に大きな期待を抱いていました。学期が始まる前に大学のサービスやキャンパスを紹介してくれるイベントがあってそれに参加したのですが、台湾の苛烈な受験競争を勝ち抜いてきた人たちと実際に交流することで彼らは本当に勉強は出来るんだなぁという印象を受けました。
その後授業が始まったのですが、ぶっちゃけ何先生が何を言っているのか、教科書が何を書いているのかほぼ分かりませんでした。僕は幼少期から家の中では両親になるべく中国語を話すように言われていたので、日常会話は問題なかったので大学での授業もある程度そつなくこなせるだろうと踏んでいました。しかし実際は決まったルーティンである日常生活においてそれほど高度な語彙も使わなければレパートリーも無いので、非常に乏しい中国語力であったことをこの時痛感しました。結果この最初の学期が終わるころにやっと中国語に慣れていくことになるのですが、パッションがあったから乗り切れたんだと今振り返ってみると思います。周りの帰国子女の友人たちもそのような感じだったのでそれでなんとかやり切れたのかもしれません。
『グローバル人材』という虚妄と『田舎者』
また、当時の僕は妙に『グローバル人材』、『国際化』に憧れている『田舎者』でした。僕が言う『田舎者』とは実際に田舎に住んでいる人では無く、頑なに都会や危害進出に茫漠とした期待を寄せる人々のことを指します。僕の大学は正にそのような『グローバル人材(定義も良く分からない)』を育成するべく教科書やスライドは8割方が英語です。もちろんその路線で成功したいと考えていた僕はこれを嬉々として受け入れ、毎日必死に英語の小難しい哲学の原典を読んでは単語を調べまくっていました。毎日が中高時代の英語の授業を受けているみたいな感覚でした。もちろんこれによって語学力が大いに向上し、勉学の効率が後々大いに上がったので結果としては良かったのですが、動機としてはやや不純な部分があったのかもしれません(もちろん好きな科目だったから続けられたという事は大きい)。
僕はこのような国際的に活躍できるように自己投資を続け、努力する行為を避難する気は毛頭ないです。成長したいという原動力は個人の生活の充実度、達成感をもたらすのに必須なものであり、それを否定することはある種共産主義的な人々を画一化しようとする思考法です。しかし、それが行き過ぎるとやはり問題になると思います。
大学に通っている人々のみが英語を使えるということになれば、中世まで続いていた『ダイグロシア』という二言語使い分けの時代に先祖返りすることを意味します。宗教改革でルターがエリートのみが扱えた(今でいう英語)ラテン語からドイツ語(大衆が使う言語、日本で言う日本語)へ翻訳し、活版印刷によって普及させたことで識字率の向上、生産性の向上をもたらしたという考えがあります。英語化は明治期の知識人等の血のにじむような努力によって形成された今の日本語を基とした教育を否定するものであり、それを認識していたらかなり慎重になるはずです。その慎重さが無いという事は、このような決定をしている『知識人』がそれを知らないか、そんなの知ったこっちゃないと思っている傲慢な輩かどちらかです。この『ダイグロシア』についての話はまた今度詳しく書きたいと思います。
そもそも『グローバル人材』とはどのような人材なのでしょうか。英語が話せたらいいのでしょうか。であったらフィリピン人は皆『グローバル人材』ということになりますね。しかしこれは我々の夢想するものとは随分異なっていそうです。私がここで問いたいのは、何の批判的思考も無く『英語での教育を推進すればグローバル人材が生まれ、国際市場での競争力を高められる』という人々の背後にある漠然とした神話は妥当かどうかということです。平成の『失われた30年(40年目へ突入中)』の結果を見ればこの試みが妥当かどうかは一目瞭然であると思います。この物語の背景にある新自由主義というイデオロギーによって世界は計り知れない災難を被ったのであり、また現在進行形で続いていると言えそうです。
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