【コンサル物語(日本編)】Big4コンサルティングの歴史〜PWC〜②
今回は引き続き『PWCジャパンの歴史』を参考に、日本でのコンサルティング会社の歴史の一面を追ってみたいと思います。
1980年代半ばから1990年代初めにかけて、後にBig4と呼ばれるようになるコンサルティング会社が日本でも少しづつ事業を拡大し始めていました。戦後すぐに日本で会計事務所を展開していたプライス・ウォーターハウス社も、1983年の監査法人設立に伴いコンサルティング会社を分離しコンサルティングを順調に成長させていました。
ところが1990年代前半、プライスウォーターハウスコンサルタント社(PWコンサルタント)はバブル景気がはじけるとともに業績悪化に陥りました。
赤字の背景として、当時のPWコンサルタント社がサービスの軸にしていたシステムコンサルティングの減少が大きく影響していました。顧客企業の業績悪化により情報化投資が抑制され、新規案件の現象だけでなく既に着手していた大型のシステム投資案件等も中断や廃止の憂き目にあっていたということです。1993年〜1994年には社員の1割以上にあたる30名規模のリストラを余儀なくされたという記録が残っています。
PWコンサルタント社は再生に向けて2つの再建策を進めました。1つはアメリカのプライス・ウォーターハウス社への支援強化の要請、もう1つは再建を託せる新たなトップの招聘でした。これを受け、PWコンサルタント社は日本IBMの前副社長をトップに招聘し、青山監査法人等とのパートナーシップを解消、アメリカのプライス・ウォーターハウス社の100%子会社となりました。
新たなトップの下でPWコンサルタント社は、組織改革、人事・報酬制度の改革、そしてデジタル化による情報共有の徹底を行い会社再建を進めました。
私事になりますが、恵比寿ガーデンプレイスにPWコンサルタント社がオフィスを構えていた頃、オフィス見学の機会があり実際に訪問したことがあります。綺麗に整理されたオフィスには数人が座ることができるテーブルがいくつも並べられ、ノートパソコンに向き合って仕事をしているコンサルタントの方々がいました。周囲には紙の資料が全くなく完全ペーパーレス化が実現されていたと思います。ペーパーレスを後押しするためコンサルタントには固定席はなく、いわゆるフリー座席というものをPWコンサルタント社の訪問で初めて知った記憶があります。
このように、アメリカのプライス・ウォーターハウス社の下で再建を進めていたPWコンサルタント社ですが、当時は、例えばERPパッケージ(SAP等)を導入するためのコンサルティングや、金融機関向けのコンサルティングなどに強みを持っていたようです。
また、1998年のグローバルでのプライス・ウォーターハウス社とクーパース・アンド・ライブランド社の合併を受けて、日本でも2000年にプライスウォーターハウスクーパースコンサルタント(PWCコンサルタント)社が誕生しその規模を一層拡大しました。
コンサルティング市場の拡大と合併による会社規模の拡大によりPWCコンサルタント社は社員数1,650名、就職人気企業トップ20ランキング(日経)入りするほどの企業に成長していました。21世紀に入りより一層の成長が期待できましたが、急転直下、PWCコンサルタント社は日本のコンサルティング業界から消滅することになります。IBM社によるPWCコンサルタント社の買収です。
(続く)
(参考資料)
『PWCジャパンの歴史』
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