【コンサル物語】1920年代 経営コンサルティングのルーツはシカゴに
第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは未曾有の好景気に湧きました。
産業と企業の発展はシカゴの会計士の仕事にも大きな影響を与えました。企業は急成長し、小さな会社が合併によって大きくなることを選択する場合もありました。このような企業拡張の多くは債権や優先株によって資金調達され、その資金はニューヨーク、ボストン、シカゴを中心とした銀行から調達されていました。このとき銀行が特に中西部の企業に対して融資の判断をする場合、シカゴの会計士を積極的に採用したということがわかっています。
会計士の方もこの状況を税務サービスに続く新しい収入源の機会ととらえていました。アーサー・アンダーセン会計事務所は財務やビジネスの調査をするための独自の技術を開発し、銀行から投資候補企業の財務調査の仕事を引き受けて大きな仕事としていきました。
シカゴではアンダーセンだけではなく、ジェームズ・マッキンゼー(マッキンゼー・アンド・カンパニー創業者)やエドウィン・ブーズ(ブーズ・アレン・ハミルトン創業者)のようにシカゴでビジネスを始め、後に著名なコンサルタントになったものにとっても財務調査は1920年代の仕事の多くを占めていました。
当時の財務調査の内容はコンサルティングのルーツとも言える部分です。少し専門的な内容も含まれていますが参考までにその仕事内容を書いておきます。以下はアーサー・アンダーセン会計事務所の事例です。
この財務調査の内容は会計事務所の本来の業務とされる会計監査の領域を大きく飛び出していることが分かりますが、設立間もないこの若い事務所は果敢に挑戦していきました。
監査に留まらず企業経営全体を把握し、経営者に対するアドバイザーやコンサルタントであるべきだというのが1920年代のアーサー・アンダーセンの考えでした。この考えは非常にリスクが伴うものでしたが、シカゴから経済の中心地であるニューヨーク、更にはアメリカ全土での知名度と地位を確立しようと努力しているこの若い事務所にとってコンサルティング業務の拡大は重要なことでした。
彼らの熱意ある仕事ぶりは銀行やビジネス界で事務所の評判を高める結果となり、1920年代の飛躍的な成長に繋がりました。アーサー・アンダーセン会計事務所の収入は1920年の322,000ドルから1929年には2,023,000ドルとなり630%近く成長したのです。
1920年代、アーサー・アンダーセンだけではなく、マッキンゼー・アンド・カンパニー、ブーズ・アレン・ハミルトンといったシカゴのコンサルタントがどこよりも先んじてコンサルティング業務を確立しました。
この結果1930年代にはウォール街の銀行から仕事が舞い込み中西部に留まらず東海岸の企業の調査も行うようになります。そして1940年代にはシカゴのコンサルティング会社がアメリカの市場を独占する結果に繋がっていきますが、それはまだ少し先の話しです。
(参考資料)
『The World's Newest Profession』(Christopher D. Mckenna)
『THE FIRST SIXTY YEARS』(ARTHUR ANDERSEN & Co.)
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