2 スペックイン戦略
銀行の勘定系システムは、その大きな目的に安心・安全・信頼を担保するという大前提がある。
明確な業務要件を満たすために、時にはパッケージの仕様を変えてでも仕様を満たすべく努力する必要がある。そのため既存業務との親和性、カスタマイズのしやすさ、その際の影響確認のしやすさや、過去の実績の有無などを総合的に評価して決めていくことになる。
かぞく銀行の中にも既に勘定系パッケージに関する様々な情報があるだろうが、決して経営の鶴の一声で決まるような代物ではない。時間をかけて比較検討して、長い検討の末に決まっていくものだ。
これらを実行していく上では、基礎検討という工程を設け、ひたすらリサーチと比較評価、その後の戦略を練っていく活動を行い、その先にようやく開発計画が定まる。今回のプロジェクトのキックオフは、その基礎検討に対するロードマップの共有が主な目的であった。
キックオフ当日―
かぞく銀行からは、犬澤執行役員をはじめ、取締役の海鳥氏、プロジェクトリーダーである熊手部長のほか、マーケティング部、そしてシステム基盤管理部や業務システムに関わる部署などから15名が参加した。GCSC社からは、プロジェクトに参画することとなった志賀、東山の2名が参加した。
役員達による一通りの挨拶の後、プロジェクトリーダーである熊手部長が口を開いた。
「ここからが長いプロジェクトのスタートです。最新情報を集めたり、比較検討をしたり、地道な作業が続くと思いますが、国内の銀行でも最先端のポジションに相応しく、我々自身が納得のいくシステムを作っていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。」
志賀はこれまで姫宮経由で話を聞いてきたが、プロジェクトにかける期待を生の声として聞いたのはこれが初めてだった。言っていることは姫宮から聞いていた通りではあるが、やはり当事者意識を持った生の声は心に響くものがある。
加えてキックオフなどのイベントは特に志賀の大好物だ。このような場で銀行経営層の話を聞くと、そこにいる人にしか味わえない臨場感と、最前線に自分も立っているという高揚感によって、この銀行の行く末を決めることになるこれからの活動は、自分ごとの問題として受け止めざるを得なかった。
熊手リーダーが説明を続ける。
「次期システム更改の検討については、次のロードマップで進めたいと思います。」
そう言って、説明用のスライドを示した。
そこには、基礎検討だけで1年半ある期間のスケジュール、アウトプット、決裁プロセスなどがロードマップとして示されていた。
・2016年8月〜2017年2月
各行事例の確認
情報提供依頼
比較評価事項の決定
・2017年3月〜6月
比較検討による一次選定
経営会議
・2017年7月〜12月
提案依頼作成と二次選定
経営会議
・2018年1月〜5月
プロジェクト基本計画の策定
・2018年6月
経営会議
・2018年7月
次期システムプロジェクトスタート
・2022年5月
次期システムリリース
要するに、向こう一年で論点整理と情報収集をしてパッケージの方向性を絞り、その後具体的な提案を求め最終確定するとともに、並行してプロジェクト本体の計画を立てていく、ということであった。
志賀は話を聞きながら一生懸命にメモを取る。対して東山は説明を聞きながら頷いているのみであった。東山は一度頭にインプットしたことは絶対に忘れない記憶力の持ち主で、どんなに偉い人が目の前で話そうが、いつもこのスタイルである。
きっと複雑な事象も彼の頭の中では瞬時に分解・分析のプロセスが走り、必要な部分だけを理解しているのだろう。無駄のない動きであるが、結論を導くうえで必要なことについては、細部までも覚えている。その記憶力はすさまじい。
ここで少し東山という人物について触れておきたい。関西出身の東山は中途入社でGCSCに入社した。前職は中規模SI企業で、当時から技術力が買われていたが、その能力の根底を成していると思われる問題の構造化力、そこから解決策を導く技は、もはや芸術的と言えるほど素晴らしい。
過去において本番運用中のシステムが性能問題に陥って支援要請を受けた時には、処理方式上の欠陥を指摘し、一晩で改良したプログラムを準備してピンチを救ったことがあった。他の誰が考えてもどうしようもなかった問題であったが、東山の問題解析プロセスの中では要素がバラバラに分解され、必要な部分だけを切り取って繋ぎ合わせる、システムにとって非常に効率的な答えを導いた。そればかりでなく、ステークホルダーの要望も汲み取って解決策を出してくるため、彼のソリューションは誰が見ても本当に芸術作品のように思えた。
他にも様々な危機を乗り越えた彼の芸術的成果には、姫宮はじめ、これまでチーム内の誰もがその都度舌を巻いてきた。GCSCが銀行のチャネルシステムに関する仕事が担えて来たのも、その東山がいたからこそであった。
話を戻そう。熊手リーダーの説明が続く。
「まずは第一段階である来年2月までの論点整理、評価項目の決定、そのための情報収集を行いたいと思います。ついては各部署の皆さまには以下の検討をお願いします。」
そういって期間中の主な検討事項と部署ごとの役割を示した。
「マーケティング部には最新のUIやUXを見据えた、新しいサービスモデルなどを検討頂きます。今回は勘定系システムの更改がメインですが、ネットバンクとして、特に主要プロダクトであるスマホアプリの競争力をこの先どの分野で強化していくのかは、更改有無に関わらず検討すべきことですので、採用するシステムに囚われずに検討いただきたいと思います。次に事務企画部ですが、こちらもRPAなどの最新技術を視野に事務効率の改革案を検討いただきたいと思います。続いてVOC部には、顧客の声を生かしたサービス品質の改善を検討いただきたいと思います。特にコールセンターへの問い合わせをビッグデータで分析して、フローを進化させることなどが検討課題になると思います。そして経営情報室はそのためのビッグデータ、特に分析結果を各部署に提供して、正確で速やかな意思決定を行える基盤の検討をお願いしたいと思います。」
銀行としてはやりたい事だらけだ。
たしかに、次期システム更改という、まだ存在しない未知なるものに対しては、利用部門の人たちには大きな期待があるのだろう。これからの数年間、銀行の経営資源の何割かを一つのシステム更改に費やすのだ。その間に銀行としてやらなければならない事が数年間停滞するのかもしれない。
そう考えると、まだ見ぬ次期システムを検討するという今後の活動にのしかかる重責を、志賀は改めて実感した。
しかし、やりたい事はまだまだ続くようである。
「続いて、システム基盤管理部です。昨今のクラウド事情を見据え、拡張性や可溶性の高い基盤を選定して頂きたいと思います。ネットバンクに欠かせないシステムを24時間365日止まらずに、かつ低コストで稼働させるために、情報収集と比較検討をお願いしたいと思います。クラウドでは主流であるCIによる開発とリリースの統合についても基盤管理部主体で検討をお願いします。最後にシステム開発部です。このプロジェクトのメインでもある次期勘定系のあるべき姿を検討し、国内有数のパッケージのヒアリングと選定、全体最適化、関係各部署との調整を行い、プロジェクト計画の策定推進をお願い致します。」
ここまでのプロジェクトとなると、志賀にとっても未経験のことばかりである。銀行の勘定系だけでも入れ替えるのに数年はかかるというのに、このプロジェクトはあれもこれも同時並行で動いていくのだろうか。運用フェーズであれば一つ一つが大きなプロジェクトになるものばかりだが、勘定系更改を前にするとちっぽけに見える。それほど、このプロジェクトは大きく、銀行そのものを作り替えるに等しいといえた。
「なんというところに来てしまったのだろう。」
一層の覚悟が、志賀を奮い立たせたが、そんな思いとは無関係に、さらに熊手リーダーが続ける。
「各チームの皆さんは、マイルストーンだけでなく、状況の変化や新たな情報が出てきたら、プロジェクト内で共有するようにして下さい。ただし留意点としては、我々がシステム更改のプロジェクトを進めていることが現行のベンダーやメディアに知られると問題になります。くれぐれも、情報は関係者内でクローズドとして下さい。」
情報統制にはしっかりと釘を刺す。
「では以上で活動計画の説明を終わりたいと思いますが、ご質問のある方いらっしゃいますか。」
すると、マーケティング部の中田部長から質問が飛んだ。
「スケジュールについて質問です。各部署のそれぞれの役割と検討内容はわかるのですが、別々に進めて行くとしてもどこかで統合しなくてはならないはずです。例えばUIを検討した結果こんな機能や情報が勘定系に必要になるね、といった事は、どのフェーズで調整されていくと考えれば良いですか。」
もっともな質問だ。各部署がそれぞれの思いで方針を固めても、システムとして実装されなければ絵に描いた餅である。
「ご質問の点は、特に明確に示してはいませんが、第一段階の情報提供依頼の中に混ぜて頂き、第三段階の二次選定の提案依頼に具体的に組み込んでもらいたいと考えています。ですので、お答えとしては第一段階までに、やりたい事を明確にしてシステム開発部に提示して下さい。ここは別途取りまとめてもらいます。」
「では方針について意見を聞きたいレベルであれば、それまでに個別にシス開さんと擦り合わせておくという事ですね。わかりました。マーケ部の場合は先進的UIUXを検討していく上で、シス開さんと一緒に検討することが多くなると思いますので、宜しくお願い致します。」
一連のやり取りの後、続けて志賀が質問をした。
「あの、ちょっとご質問よろしいでしょうか。」
「はい、GCSCの志賀さん、どうぞ。」
何を言い出すのだろうか。
「今回の勘定系更改にあたって、色々と比較検討しなければならないと思うのですが、何かこう、銀行さんとしての評価軸であったり、特にここは重要視するポイントだというところがあれば教えて頂けるでしょうか。」
思いのほか、真っ当な質問だ。熊手リーダーも真正面から答える。
「今の時点で決まっているのは、極論を言えば現行システムがEOSを迎えるという事実だけです。では何を重視して選定すべきなのか、それをこれから検討していくという事です。経営戦略的な狙いや方向性は先程示した通り、部署ごとに定めて頂きますので、GCSCさんは大手システムベンダーとして、第三者の視点で客観的に評価軸の検討に加わって頂きたいと思っています。特に多くの業界でシステム更改を経験されているでしょうから、ある意味当たり前に検討すべき事とか、これからのITトレンドなどは積極的に共有をお願いします。」
自分も知らない自社の実績を問われると思っておらず、志賀は一瞬思考停止になりかけたが、かろうじて切り返した。
「なるほど。確かに幣社内でも事例や標準的な考えがあると思いますので、それらを当てはめて検討させて頂きます。」
銀行としてやりたい事は沢山あるようだが、どうやらその柱となる考え方、評価基準そのものから検討していくことが必要らしい。
システムの評価基準とは、経営戦略や組織的な課題などから、トップダウンで考えるべきものではある。継続的な経営を行うために何年も使ってきたものを入れ替えようとするのだから、そこは最優先事項と言っても良い。
ただそこだけ考えていれば良いかというと、例えばどこまでの性能を求めるのか?何人まで利用できるのか?システムのバージョンアップの定期運用タイミングは?など、システムとして重要なことが考えられていないために運用を開始してから重大なトラブルに気付く、ということはあり得るし、それで問題になることもある。
ではそれらも過不足なく検討した上で評価するにはどうすれば良いのか。
考えうる要素をひとつ一つ定義していくのはとても大変であるため、ある程度の業界スタンダードというものが業界団体の中で定義されている。そのスタンダードは、業界の先人たちにより様々な事例を積み上げて作られてきたものであり、クラウドなど技術的な環境変化で変わることもある。そこを自社のシステムに当て嵌めようとすると、どうしてもシステムの専門家の力、特に似たような事例を持っている会社の力が必要なのである。
要求されているのは自分自身のスキルセットではなく、GCSCという会社の実績と、数多のプロジェクトで培ってきたノウハウ、そこに対する期待なのだと、志賀は自分の役割の真の意味を理解した。質問ついでに、改めて熊手部長からGCSCという会社が紹介された。
「皆さんにもご紹介しておきますが、今回GCSCさんにもパッケージの選定に関わっていただく予定です。このプロジェクトではシステム開発部の一員としてご活躍頂きますので、ご認識お願い致します。」
その志賀との一連のやりとりを、東山は相変わらず頷きながら眺めている。達観した様子で、恐らくこのやり取りだけでもいろいろな事を理解したのだろう。
キックオフが終わり、東山と志賀は休憩ルームで軽く話した。
「東山さん、いやあ参りましたね。どこから手をつければ良いかわかんないくらい、具体的な道筋がないなんて。」
「まあでもあんなもんでしょう。本当に最初のはじまりなんですよ。そこに立ち会えただけでも弊社は運が良かったはずです。いつかそう考える事が出来るように、やっていけば良いのではないですか。」
「そうですかね。確かに初日ですし何もかもがこれからですからね!まずは現場の課題や障害の傾向などから、我々で重要な要素を抽出してみましょうか。」
「そうですね。銀行が営業開始してから10年分ですから、読み物だけで1ヶ月は軽く持ちますよ。」
「はは、もっとありそうですね。そこも効率化して早くキャッチアップしないといけませんね。」
そう言うと二人は現行システムで生じている問題点を理解するため、システムの運用情報を集め、確認しては次の情報を集めるということを繰り返した。
「東山さん、これ見ました?」
あるとき志賀は障害管理リストとリリース管理リストを示しながら東山に話しかけた。
「最近でも月に一回はシステム障害を起こしてますね。しかも何らかのリリースの時に集中して。」
「はい、見ましたよ。キャンペーンか何かを出した際に、アクセスが集中してダウンしてますよね。今のシステムはネットワーク上入り口が沢山あるため、トランザクションの流量がコントロールできていないのでしょう。」
東山も既に情報は掴んでいたようだ。
「なるほど。あとはリリースタイミングと、基盤の保守体制が連携されてないとも言えますね。」
「体制というより、仕組みを作っておけば良いだけです。認証用に基盤を独立して立てて、そこで制御してやればトランザクションも全部捕まえられるでしょう。一元的にコントロールするって考えがないんじゃないですかね。サブシステムも沢山あって、自由に繋いでいるみたいですし。この状態だとトランザクション量をキャンペーンのピークに合わせて正確に見積もってサイジングしておかないと、こういう事態に耐えられなくなりますね。」
またある日には、別の障害に関する記載を指して言った。
「東山さん、見てくださいよ、この障害。二重で振込を受け付けたってありますね。」
「二重振込ですね。それに限らずサービス開始当初は色んなものを二重で受け付けるという障害を出していたみたいですね。通常は取引の受付と同時に振り込みが実行されるはずですが、完了画面返す時に15時をまたぐと受付時間外のチェックが入って、完了画面返す前にそのチェックが動いてエラーになっていますね。振り込みしてるのにエラー画面になるので、操作の結果がわからないユーザーは、もう一回同じ操作をしたか、ブラウザを再読み込みして同じ更新処理を動かしたんでしょうね。」
東山の洞察力は深い。1つ見ただけで裏側にある仮説まで立てていた。
「なるほど。もうそこまで見ておられましたか。」
「この事象も今のパッケージの考え方なのでしょうね。通常はトランザクションIDや取引内容の二重チェックをしてユーザーにリトライすべきかどうか確認を促します。勘定系でエラーになる場合は結果不明となるため、定期的にバッチで未処理監視して、結果を問い合わせて明細照会に反映するという方法もありますね。」
そういうやり取りばかりで最初の1ヶ月が経ち、志賀は一連の確認事項について、姫宮に詳細報告をした。
「姫宮さん、そんなわけで情報整理に追われ色々と大変なプロジェクトになっています。」
「そうですか。それで、GCSCとしては何をすることになっているのでしょうか?」
大変なのはわかるが、今のシステムの課題は志賀が一人で背負いきれるものでもないだろう。まさかかぞく銀行もそんなつもりは毛頭ないはずだ。
と姫宮は話を聞きながら思った。
このフェーズはむしろ前哨戦なわけで、チャネルやフロントと呼ばれる顧客画面の開発をコンペに持ち込み、GCSCとしてはそこを主戦場とする方針に変わりはない。そのために今は勘定系更改で期待されるパッケージの選定を通して、信頼関係を作り上げるのだ。まずは任されたことを確りと着実に行えるように、現場を支援することに徹しようと姫宮は考えていた。
「色々あるんですが、パッケージの評価リストの作成、ヒアリング会への参加と言ったところです。」
「そうですか。評価リストならシステム監査に使うチェックリストが使えるはずですが、確認してみましたか?非機能要件については非機能要求グレードが使えますし、開発体制、運用体制についてはシステム管理基準というのが、体系的に作られていますよ。」
「ありがとうございます!それは是非確認してみます。」
「志賀さん、あと機能要件は、現行のグローバルバンクのマニュアルから作っていくのでしょうか?」
「そうですね。パッケージとはいえマニュアル類は充実していますので、そのまま使えそうです。」
「それではなんとか進められそうですね。で、ヒアリングについてはどこまで進めていますか?」
「ヒアリングは、過去にグローバルバンクから大手メーカーであるBNI社のパッケージに乗り換えた実績のある東西銀行、フィンテックとの協業が注目を浴びているナイス銀行と話し始めています。どちらに対しても、パッケージ導入にあたって何を重視して来たかとか、プロジェクトの山場がどこだったのかなど、事前に質問を整理して確認しています。」
「そうですか。勘定系からフロントシステムに関するアーキテクチャがどうなっているかも聞けたら良いですね。特にサービスの拡張性を持たせるために、どのような工夫をしているのかとか。やはり画面をフロント、勘定系をバックという位置付けで、分けて配置しているんじゃないでしょうか。」
「そう言われるとそうですね。フロントシステムも視野に入れて、質問に組み込みたいと思います。」
「宜しくお願いします。」
会話の中で質問することで相手に気付かせる。それがマネジメントの基本的なやり方であった。
そして志賀は、社内にある情報をひとしきり銀行に転送し、かぞく銀行に戻った。戻りながら志賀は、こういう時に会社のありがたみを感じた。そう思ったのも束の間、同じシステム開発部で検討に当たっている銀行員の朝比奈調査役から、早速ヒアリング会の準備依頼が入ってきた。
朝比奈調査役は、外資系銀行出身のエリートだ。システムの処理方式に明るく、過去務めていた銀行では自ら開発も行なっていた、システム信奉者である。論理的に物事を考えるのが大好きで、過去にいくつものシステムベンダーが泣かされたというほど、一部から恐れられるキレものでもあった。
「志賀さん、再来週から行うヒアリング会のアジェンダと各行に依頼するヒアリングシートの作成、お願いしますね。事前に犬澤さんには見てもらおうと思いますので、今週中にお願いします。」
「はい、わかりました。今ちょっと非機能要件に関するチェックリストを社内から持って来たところで、整理したら取り掛かります。」
「そんなものあるんですね。さすがです。こういう時のヒアリングも実はテンプレートあったりしないんですか?御社なら大手だしなんでもありそうですよね。」
「ちょっと聞いてはみますが、そこまでのものはないかもしれません。」
「実績あると上にも通しやすいので、出来ればお願いしますね。そうでなければなぜこの質問にしたのかとか、考えてもらうまでですが。」
「そうですね。すぐに確認して参ります。」
流石にそんなものまではない、と心の中で呟きながら、志賀は真面目に「ヒアリングの際のテンプレート」を探してみた。誰に聞いても、どこを探しても見つからないことを一通り確認し、朝比奈調査役に報告してから自分の作業に戻ろうとした。
「では仕方ないですね。ヒアリングシートは志賀さんにお任せしますので、どのような観点で整理して、何を確認しなければならないか、だからこういうヒアリングを行うんだ、というものを考えてみてもらえますか。1週間後に犬澤さんのレビューを受ける予定ですので、宜しくお願いしますね。」
「はい、承知しました。」
このようなやりとりは志賀たちにとってジレンマであった。
かぞく銀行にとってのGCSCは、確かに大手SIerとして実績も豊富に見えるのだろう。何なら社員数はかぞく銀行の数十倍も多く、幅広い業界をカバーしている。だからと言って、やっていることはシステムの開発を中心とした業務であり、大抵の場合要件は決まって降りてくる。むしろこのような検討フェーズから、しかも銀行勘定系を作り替えていくプロジェクトなど社内でも数える程度しかないはずだ。
当然ながら、パッケージをヒアリングして比較評価するといったことは、GCSCから見れば銀行やコンサル会社のする仕事というのが常識であり、自社にノウハウが蓄積されているわけではない。一方このフェーズは検討する事が目的であり、そのことは参画する前から分かっていたことである。いちいち実績実績と聞かれるのも疲れるが、逆に今この立場で自分の口から、ありません、出来ません、と期待を無にするようなことは、この時の志賀には言えなかった。いや、言うつもりは全くなかった。
その意味で、このヒアリングシートを作るような仕事は、簡単そうに見えて実に難易度の高いものであった。何故この質問をするのか?これで十分なのか?その理由は?と言った銀行からの想定質問にも、しっかり答えていく必要がある。ここで「君たち何も考えてないのね。」と思われてしまえば、信頼関係など作ることは出来ない。それが続けば我々の夢の構想は終焉となってしまうだろう。
志賀は東山にも助言を求め、会社や姫宮から入手してきた情報を元に、ヒアリングシートを作成し、犬澤役員同席の事前確認会に臨んだ。
「では志賀さん、ご説明をお願いします。」
「はい、ご説明にあたり、まずはヒアリングシートの中身の前に、ヒアリングの目的を明確にしておく必要があると思いますので定めてみました。大きく三つあり、一つには、グローバルバンクからのシステム切替に当たって考慮したことの確認、二つ目は、銀行としてのプロジェクトの進め方の確認、三つ目は、アーキテクチャにおけるポイントの確認と考えています。」
「なるほど、目的からヒアリングの観点に展開していこうということですね。」
「そうですね。まずはグローバルバンクを使っていたという、我々と同じ状況があったと推測出来ますので、システム切替の要点が何だったのかを確認したいです。それと共に、更改プロジェクトの注意点などを聞きたいと思います。」
横で聞いていた犬澤が質問した。
「志賀さん、1,2点目はわかりますが、3点目はどういうことですか?」
「かぞく銀行として、今回のシステム更改は勘定系がメインですが、その先にはサービス改善や商品の追加など、攻めに転じなければならないと認識しています。そのためには、フィンテックとの協業、特にAPI対応など予め考慮しておくべきかと思いますので、パッケージの導入だけでなくアーキテクチャの部分でのポイントを伺えればと考えました。」
「へー、そういうことなんですねぇ。」
朝比奈が少し感心した様子を見せた。が、すかさず何かを指摘してきた。
「1,2点目は銀行目線なのに、3点目はシステム目線なんですね。普通そういうのって、レベル感合わせるんじゃないんでしたっけ。そうしないと、漏れが生じますよ。」
少し困った表情の志賀を見て、大澤役員が自分の視点でフォローを入れてきた。
「アーキテクチャはピンポイントな感じがするので、だとするとサービスの拡張に対してシステムで考慮した点、といえば良いんじゃないでしょうか。」
「あーそうですね。確かに銀行目線に合わせようとすれば拡張性をどう考慮したのか、ということですから、その表現が良いと思います。」
大澤役員の言葉で助けられたが、朝比奈調査役が一言付け加えた。
「志賀さん、ちょっとMECE(ミーシー)じゃなかったですね~。(笑)」
「大変失礼いたしました。修正致します。」
志賀はその場で苦笑するしかなかった。MECEとは漏れなく・ダブりなくものごとを構成するときの考え方で、経営コンサルたちが良く使うものだが、システム開発でもドキュメントを記載する際や、企画書などでよく見られる説明技法である。
志賀の中では、自分では完璧にして臨んだつもりだったが、毎回必ずといってよいほどこのように何かの指摘があった。特に朝比奈調査役は泣く子も黙る理論家だ。半笑いで指摘をしてくるため、表情から感情も読み取りづらい。そのため指摘をする場合の雰囲気は、東山とは違う冷たさを感じる。
とはいえまだ志賀の説明途中であった。
「そのうえで、ヒアリングの内容は、各目的が確認できるような構成としてみました。切替にあたって考慮したことに対しては、重視していた要件、何をもってそのパッケージに決めたのか、特にデータの移行で注意が必要なことがなかったかを具体的にヒアリングします。プロジェクトの進め方については、体制、フェージング、ベンダーとの役割分担についてヒアリングします。」
続きの説明に対して、二人は黙って頷きながら聞いているようだ。どうやらここは納得してもらえているらしい。さらに説明を続ける。
「次にアーキテクチャ・・じゃなくて拡張性に対する考慮点は、どのような拡張性要件を意識したのか、システムの設計にどのように組み込んだのか、ということをヒアリングします。」
「わかりました。そのあたりは話の展開的にも自然だし、細かく聞いても時間がなくなるし、このレベル感で良いでしょう。」
犬澤役員が納得した様子で答えた。
「ありがとうございます。」
そうして最後に朝比奈調査役がこの場の結論を整理した。
「では目的のところのみ修正お願いしますね。MECEになる感じで。あと質問の構成もアーキテクチャに寄ってますので、もう少し上段からの質問でお願いします。」
こうして無事にヒアリング内容の事前説明が終了した。
志賀と東山が着任して二ヶ月が経つ2016年10月。姫宮は志賀から毎週進捗状況を確認していたが、今日は東山も含めた状況の再確認と、二人の労を労うため久しぶりに魚味で待ち合わせた。
「らっしゃい!姫宮さん、今日はヤリイカの子どもが沢山入っていますよ。あとでアヒージョにして出しますんで、召し上がってください!」
大将のいつもの活気が、気持ち良い。
「それは嬉しいですね。奥から早速ガーリックの香りがしますね。」
そういって姫宮たち3人は席に着き、冷たいビールで乾杯した。
「まずは2カ月、大過なく業務遂行しているようで、お疲れ様でした。」
「まあ何とかやってるけどね。」
東山が淡々と答えたが、志賀は自分たちの大変さを訴えるような目で補足した。
「とにかく銀行さんからのプレッシャーが何かとあって、冷や冷やしながらやってます。スペックイン営業のつもりで、何とか自分たちの道筋を描いて銀行と共有しなければならないのに、なかなかそこに到達できる気がしません。」
「そうですか。ストレス溜まりそうですが、困ったら社内にあるもの何でも活用してください。」
「うーん。それがそう簡単な話でもないんだよね。」
別のことに関心があるらしい東山が話題を振ってきた。
「どういうことでしょう。」
「これから、具体的にベンダーにアプローチして情報提供をお願いしていくことになる。どうも弊社も海外パッケージを持っているため、依頼先の1つになるらしいんだ。」
「ほう、そんな話があるんですね。」
「そうすると、一応GCSCがコンペの遡上にいる状態になってしまうため、我々もコンペ本体の検討からはしばらく離れることになるみたいなんだ。」
どういうことか今一つ理解できていないが、今のGCSCとなってからパッケージの取り扱いが増えたのは事実だ。その一つのグローバルシステムにも目を付けている、ということなのか。
志賀が補足する。
「勘定系というか、当社のホームページでローンシステムを取扱ってることを見たようで、担当営業に話を振ったようなんですね。そうしたら、弊社の営業が是非話を聞きたい、という感じになりまして。その後、銀行としてはフェアに進める必要があるとかで、一時的に情報収集からは外され、今は現行システムのデータ構造の整理を行っています。」
姫宮も聞いたことがなかった話だ。
「そんな話は聞いたことがなかったです。そういえば、うちの営業には社内で関係しそうなソリューション情報を整理しておくように言っていたのですが、その後音沙汰がありませんでした。そのため無関係かと思ってしまいました。」
「心配したのは、そういうところなんだよ。本部がどんなつもりかわからないけど、結果的に情報収集の立場からは外されている。このままうちのパッケージを勘定系本体に提案するとなると、検討の本体からは外されてしまうよ。せっかく銀行に入ってるのに、これではただの人質状態だよ。ということで至急事態の改善を求めたい。」
「わかりました。まだその情報に接していないため、もう少しお時間をください。契約が切られるわけではないと思いますので、確認次第立場を回復できるよう努めます。」
「まあそれは起きている事象の1つではあるんだけど、銀行の検討状況が外に漏れないよう情報統制されているのも大きい。銀行からの外部メールはベンダーには送信出来ないため、資料を共有ということも難しいんだ。」
銀行としては、勘定系パッケージの具体的な提案を求めるため、各社に依頼を行う必要がある。当然システムの入替前提で聞く話であるため、どこから漏れるかわからない状況を極力排除しようとしていた。
「状況は理解しました。私の方では、営業に真意を確認し、改めて戦略の共有を行います。」
「あとは、ヒアリング先は国内のメーカーに一通りとなりそうだね。日の丸電気のWEBBANK、筑波総研のTUKUBANK、外資だけど地銀にいっぱい入れてるBNIのCHALLENGE。この辺はフラットに情報流そうとしているみたいだね。あとはBANKCENTERを扱っている大手製作所。これらは今時点でどこかに期待しているということはなくて、本当に情報を集めている段階だけどね。」
東山の情報収集力は凄い。本当に二人は同じ時間ここにいたのだろうか。
話が一区切りしそうな折に、大将が小ヤリイカのアヒージョを持ってきた。
「お待たせしました。こちらです。小ヤリはヤリイカの子どもで、この季節沢山取れるんでね。軽くゆでて酢味噌っていうのが定番なんですが、今日はアヒージョになりました。ニンニクは青森産で大きさ、香りが豊かなんです。ひとかけだけでこんなに香りが出るんですよ。」
アヒージョは姫宮の好物だ。新鮮なイカとの組み合わせが美味く無いわけがない。
「ガーリックとオリーブオイルの相性が最高ですね。塩分、食感、大きさ、どれをとっても小ヤリイカ最高です。自分勝手な意見ですが、このためにあるような食材ですよね。」
得意げに大将が応える。
「このためというか、大きくなる前に僕たちが捕まえてるだけなんですけどね。お客さんにとって最高の瞬間がこの段階だとしたら、それはイカにとっても喜ばしいことなんですよ。」
たわいもない会話であったが、イカにとっての最適なタイミングが今だとすれば、この案件はいつが最適になるのだろう。そしてそれは、果たしてやってくるのだろうか。こうすればうまくいくという定石でもあれば、もちろん既に実行している。早くからプロジェクトに入ろうと考えたのも、スペックインによる優位性を確立したいと考え始めたことだ。まだまだ道のりは長そうだと感じながら、この時ばかりはヤリイカの最高の瞬間を堪能することにした。