
てのひらの対話
年末ということもあり、色々と振り替えつつ、いつもお世話になっている島影さんの記事を読んで感動していました。何度も読んでいますが、読む度に違う角度のことが思い出されて、うるうると感情が溢れてきます。
”介護技術で遊ぶ会”は不定期に開催していて、いつもは高田馬場に集まってワイワイと遊んでいるのですが、11月17日はソニーシティ大崎という素晴らしい会場で開催する機会に恵まれまして、夢心地の気分で遊ばせていただきました!準備も大変だったと思いますが、SONYの皆さんと運営の皆さん、本当に有難うございました!

当日は様々な背景の方々が参加してくださいました。介護職もいれば自宅で介護をしている家族の方もいる。テクノロジーの分野で活躍されている方もいれば、本屋さんを営んでいる方もいる。自宅での介護はすでに終えたけれど、心のどこかに棘が残っていて、改めてより良い介護を知りたいという想いで参加してくださった方もいました。皆さんの話しに”うんうん”と頷きながらも、これほど多様な背景を持つ方々が、誰も取りこぼされることなく満足していただけるのかという大きなプレッシャーにぷるぷる震えながら、ともかくやるしかない!という覚悟で”遊ぼうの会”が始まりした。


結果からすると大盛り上がりでした。島影さんの名司会と、運営の皆さんの行き届いたフォローと、参加された皆さんの明るさと熱心さに助けられながら、活気に満ちた時間を過ごすことができました!
さてさて、今回の記事でお伝えしたいことは、”介護技術で遊ぶ会”の当日の内容ではなく、参加者の皆さんの心に届いたものが何であったのか?ということです。参加者の皆さんがアンケートを書いてくださって後日に私の手元に届いたのですが、内容を拝見すると以下のXでの発信に象徴される想いを受け取ってくださったのだと感じました。
介護技術とは対象者を動かす技術ではなく、生活行為の主体をその人に還すためのプロセスの総和だ。まずは主体者であるその人を感じることから始めなければならないが、感じる技術が抜け落ちている点が既存の技術教育の問題点でもある。つまり動かす技術がかえって真の技術を遠ざける。#ConsonanceCare
— あめざわ@Consonance Care (@ConsonanceCare) August 31, 2024
自分の過去を振り返ってみても、新人の頃の現場の介護はかなり苦しいものがありました。利用者がベッドから車椅子に乗り移る際にも、『イチ、ニー、サン!』と力任せの介護が展開されていて、利用者は苦痛に満ちているし、介護職も腰痛は職業病と当たり前のように受け入れてしまってる。介護とはこうも悲惨で苦しいものなのかと、新人の頃に衝撃を受けたのを今でも覚えています。介護職に悪意があったわけではなくて、利用者の暮らしを良くしたいと思っているし、笑顔を見ればとても嬉しい。けれども、介護とはそう言うものだという先入観が、双方にとって苦痛に満ちた介護を作り上げてしまうんです。

より良い介護を生み出す最初の一歩目は、この先入観を取り除くことです。上記の写真は”介護技術で遊ぶ会”で定番になっている触れ方の練習ですが、最も微弱に触れながら、対象者に『前屈みになりましょう!』とか『横に動きましょう!』と、声掛けではなく皮膚への接触で伝える練習です。人を動かすには力が必要だ!という先入観が、参加者の皆さんから取り除かれて、双方が”てのひらで対話”をするように、対象者の動きも活発になってくる。そこに力技は存在せずに、違和感があれば言語コミュニケーションも介在させながら、共により良いケアを作っていく。これだ!これだ!この協調的な世界が、私たちがやりたかった介護なんだ!と、参加者の皆さんに届いた感覚は、まさにそれなんだと思います。
介護技術は相手を動かす技術ではありません。動きの主体は相手あって、私ではないんですね。だからこそまずは相手を感じること。そして、対話を通じてより良いケアを共に作るということ。そう言う私もまだまだ未熟者で、実際の現場では悩み続けていますが、おぼろげながらあるべき感覚は見えています。その感覚と世界観を共に開拓する仲間が増えたらとても嬉しいです。介護が双方の苦痛を前提にしたものではなく、対話を前提にした”より良さ”に向かうためのプロセスであることを信じるために、”介護技術で遊ぶ会”で一緒に遊んでいただけたら幸いです!次回は1月19日を予定していて、会場は高田馬場になりそうです!