教育は大事〜米百俵
教育は国の根幹です。
教育次第で、良くも悪くも色んなことが変わります。個人であれば人生が大きく変わりますし、国であればその国の命運を分けることもあるでしょう。
明治維新期の新潟での話。財政が窮乏し、飢饉にあった新潟の長岡藩に米百俵が贈られました。
これで少しでも生活が楽になると喜んだ藩士たちに、大参事(藩士たちを取りまとめる役職)の小林虎三郎は贈られた米百俵を売却して学校を設立することを提案しました。
もちろん猛反発にあったわけですが、小林虎三郎は「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育に充てれば明日の一万、百万俵となる」と説得し実現させたのでした。
一時的な解決や富よりも、教育に力を入れて人材をつくり、知恵や技術を高めることを優先させることこそあらゆる問題の解決となり、繁栄につながることを説いたのですね。
政治や経済、社会を構成しているのは人。医療やITなどの先端技術も生み出すのも人。困った時に知恵を出して解決させるのも人。結局はその「人」を育てるという「教育」が、全ての根幹にあるということです。
ですからこの「教育」を軽んじて考えてはいけないのです。
今私たちの国では、教育は重要視されているでしょうか?
国家予算(2023年度)でいえば、約114兆円の国家予算に対して教育に充てられる文教関連予算は約4兆円の3.5%。
また、日本の研究投資は極めて少なく、開発費、研究者への報酬も低いため、国内での研究開発を諦め、より魅力のある海外へ渡る研究者も少なくありません。これにより多くの技術は国外に流出していることも事実としてあります。
こうしたことが現代日本のあらゆる分野の世界における後進を誘発しているともいえるでしょう。
ここでいう教育とは、もちろん単なる学力主義や偏差値教育のことでもありませんし、なにも優秀な人材や研究者を多く排出するためのことだけを言っているのではありません。
教育の本質は「考える力と行動する力」の養成でもありますし、知識を得るということは様々な選択肢を増やし、可能性を広げるわけです。
学生時代に受けた教育を駆使して、大人になってからも学び、考え、行動していく、このことが社会をより良くしていくのです。
それができる「人」を育てるのが教育。先ほども述べたとおりです。まさに私たちの可能性の拡大、社会の発展は教育にあるといえます。
兎にも角にも、教育は大事なんです。
今私たちは色んな問題を抱えています。それに対しての様々な政策がありますが、国の根幹である教育政策を後回しにすることはいけませんし、恒久的に疎かにしてはいけないでしょう。
悪化した体の部分部分をその都度応急処置だけして、病気を芯から治さないのと同じです。
むしろ今ある色んな問題は、教育に起因している可能性すらあります。
目先の利益ばかりに捉われず、今だからこそ教育に力を注ぐ。そうして育った人材が、より良い未来の社会を作っていくのです。
まさに米百俵の精神。
逆を言えば、教育を怠ることは則ち日本の衰退を表すといっても過言ではないでしょうか。