一刻千金 -定野司の読むだけで使ってはいけない金言名句集
前回の「一攫千金」に似て非なる四字熟語に「一刻千金」があります。
この「一刻」とは僅かな時間。
「千金」は多額な金銭。
僅かな時間も惜しんではいけない。
まさに「時は金なり」です。
では、時間とはいったいいくらなのか、計算してみました。
私の予備校での講師(アルバイト)は時給1200円です。
わかりやすい(笑)。
講演会や研修になりますと時給は1万円~(!)になりますが、これには準備にかかる時間が入っていません。
資料作りなどに3倍くらいの時間をかけますから、時給は1/4。
つまり、2500円です。
国税庁の令和2年分民間給与実態統計調査結果によりますと、給与所得者のうち、1年を通じて勤務した給与所得者の数は5245万人。
その平均給与は、男性532万円、女性293万円でした。
男女に2倍もの差があること、経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均賃金に比べ2割も低いこと、などがわかっています。
とくに賃金水準の低さについては、長期にわたる低成長、低インフレ、低金利を主な要因とする日本独特の状況によるものですが、これを「ジャパニフィケーション(日本化)」と表現し、自国がそうならないよう各国で議論されているといいます。
という話は置いておくことにして、ここでは男性の532万円という年収を使うことにします。
これを労働時間2000時間で割りますと、サラリーマンの平均的な時給は2660円です。
一方、こんな計算もできます。
JR東海ツアーズの「ぷらっとこだま」は東京~新大阪間を「こだま」を使う片道10800円の激安プランです。
「のぞみ」14720円との差額は3920円。
そのかわり、「こだま」は各駅停車なので4時間、「のぞみ」の2.時間30分に比べて、90分(1.5時間)遅く到着します。
つまり、3920円で1.5時間の時間を買ったと考えることができますから、3920÷1.5時間=2613円/時。
さらに、JR東海ツアーズによると1ドリンク引換券が付いていて、缶ビールを1缶飲むことができます。
1缶220円として、これを引くと1時間の値段は2466円になります。
サラリーマンの時給から私の時給に近づきました(笑)。
「早起きは三文の徳」という諺があります。
三文とは一文銭3枚のことですから、現在の価値にして50~100円というところでしょう。
いずれにしても「僅かな金額」です。
この諺、一般的には「朝早く起きれば、少しではあるが何かしらの利益がある」と解釈します。
しかし、本当に言いたいのは、お金の利益ではなく、精神的・身体的な「徳」です。
くれぐれも「早起きしても良いことなんて少しもない」という否定的な意味に解してはいけません。
ところが、この「三文の徳」について、次のような説のあることを知りました。
昔々(今でもそうですが)、奈良地方では「鹿は神の使い」として保護されていました。
しかし、鹿にも寿命がありますし、病気で死ぬこともあります。
その鹿の死体が偶然、我が家の前で発見された場合、その家主は「三文」の罰金を徴収されるという決まりがあったというのです。
自分が悪いことをしたわけでもないのに罰金を払わされてはたまりません。
そこで各家の主は早起きして、自分の家の前を確認することにしました。
そして、もし鹿の死体があった場合は、こっそり隣家の前に移すのです。
移された隣の人も早起きし、死体があればこっそりとその隣に移し、更にその隣の人もまたその隣にと順番に移していき、最後に一番遅く起きた家の主が罰金を払うことになります。
つまり、「早く起きると罰金三文を払わなくて済む」⇒「三文得した」と言われるようになった、という説です(諸説あります)。
それにしても罰金100円は安すぎます。ここからは私の想像ですが、おそらく罰金を課せられた家主は、鹿の死体処理を命じられたに違いありません。
現在、小動物の死体処理は一般廃棄物扱いですから、清掃事務所に依頼することになります。
体重20Kgまで3千円です(自治体によって違います)。
奈良のニホンジカの成獣は60~100Kgですから????円。
神様を葬るのですから、様々なオプションが付けられたに違いありません。
すなわち、この説によれば、奈良の人々にとって「早起きは三文以上の徳」だったに違いないのです。
これを金額に直しますと~
~「時は金なり」というお話でした。
話を「一刻千金」に戻しましょう。
「一刻千金」は11~12世紀、北宋王朝の時代の中国の文人、蘇軾の詩「春夜」の一節に由来します。
「春宵一刻直千金 花有清香月有陰」
春の夜の趣には千金の値打ちがある。
花は清らかな香りを放ち、月はおぼろに霞んでいる。
そうです。
価値があるのは「時間」ではなくて、「春の夜の趣」だったのです。
自分にとってかけがえのない時間、素晴らしい時代を惜しみ、あの時あっという間に過ぎ去ったように思われた時間は、今考えてみても大金に値する。
おそらく、あなたが漫然と時間を使っていたとしたら、「〇〇は一刻千金」の〇〇が現れることはありません。
時間をどのように使っているかが問われています。
時間が大切なのは、時間そのものに価値があるわけではなく、時間を何に使ったか、どのように過ごしたのか、それによって時間の価値が決まるのです。
「一刻千金」≠「時は金なり」
言い換えれば、時間は使い方によってお金以上の価値を生み出します。
「予算」はお金の使い方を決める大切な仕事です。
でも、それが大勢の人々の「時間」の使い方を決めたり、変えたりしていたら・・・私たちの仕事にはお金に換えられない「予算」以上の価値があるということになるのです。
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