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どうにかなろう-定野司の読むだけで使ってはいけない金言名句集

♪今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ あてなどないけど どうにかなるさ♪
あり金はたいて 切符を買ったよ これからどうしよう どうにかなるさ♪

1970年に発売された、元スパイダース(グループ・サウンズ)、「ムッシュ」こと、かまやつひろし(1939~2017年)の唄です。
この無気力で無計画なところ、刹那的なところが当時の若者に大いに受けたのです。

時代はさらに遡って、幕末の混乱期。
「一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり。
江戸幕府が滅亡したるは、この一言なり」
こう言って、江戸城を後にした幕臣、小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)は、知行地である高崎に移住しますが、僅か2カ月後、討幕軍の手によって、罪状も明らかにされぬまま、裁判を受けることも釈明する機会も与えられず、1868年、斬首されてしまいます。
江戸城無血開城の一か月後のことです。
小栗の墓にはこう刻まれています。
「罪なくして此処に斬らる」

ここで問題です。
日本初の株式会社をつくったのは誰ですか?




坂本龍馬がつくった「海援隊(亀山社中)」。




(不正解!)
小栗がつくった「兵庫商社」という貿易会社です。
1860年、日米修好通商条約批准交換の使節団の一員として渡米した小栗は、パナマ鉄道の建設費が政府からではなく商人から集められたもので、利益が出たら商人たちに還元されるという仕組みを知ります。
現在のPFIです。
帰国後、幕府の外国奉行となった小栗は、これを遅れていた日本のインフラ整備に活用しようと考えたのです。
兵庫港をつくるため大阪商人に出資させ、兵庫商社という貿易会社を立ち上げました。
築地の土地を無償で貸付け、出資者を募り、西洋式の築地ホテルを建設しました。
1865年、フランスから240万ドルを借款して横須賀に製鉄所、造船所をつくったのも小栗でした。
作家の司馬遼太郎は小栗のことを「明治の父」と称していました。
明治新政権の手でどれだけ徳川近代人が抹殺されたのか、私は知りません。しかし、小栗が42歳の若さでこの世を去るようなことにならなかったら、渋沢栄一に替わって、次の一万円札の顔になっていたかもしれないのです。
このような不都合な真実が、明治から令和になっても隠蔽され続けていたんですね。
そして、これが「勝てば官軍」の意味する真実です。
アメリカから帰国した小栗上野介が造船所建設の必要性を訴えていたころ、ある幕臣が小栗にこう問いかけたそうです。
「これから大金をかけて造船所を造っても、でき上がる頃には幕府がどうなっているか分からないではないか」
 小栗はこう応えました。
「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない。自分は幕臣だから幕府の為に尽くす身分だけれども、それは結局日本の為であって幕府のしたことが長く日本の為となって、徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば、徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか」
小栗の当事者意識の強さを感じずにはいられません。

「一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり」

自治体の財政を預かる私たちが当事者意識を持たないでどうする!
150年前の小栗からそう言われたような気がします。
今日から「どうにかなるさ」を禁句にしましょう。

ところで、「どうにかなるさ」の刹那的な生き方といえば、その典型例はイソップ童話の「アリとキリギリス」のキリギリスでしょう。
キリギリスは遊んで暮らした末に冬の食糧がなく飢えてしまいます。
助けを求めたキリギリスにアリたちが言います。
「夏は歌っていたんだから、冬は踊ればいいだろう」
キリギリスは夏の暑さの中で懸命に働くアリたちを小バカにしていたのです。
因果応報。
キリギリスの遺体はアリたちのエサになりました。
切ないお話。
でも、この「切ない」と「刹那」は無関係です。(字だって違う)
辞書によると「刹那」とは、あと先を考えず、今この瞬間だけを充実させて生きようとするさま。
まさに、キリギリスのことですが、もともとは、 極めて短い時間のことです。

小数点以下の単位をどのくらい言えますか?
分(ぶ)0.1、厘(りん)0.01、毛(もう)0.001、・・・
ただし、「何割何分何厘」というときは、「割」が割り込むので、ひとつずつ繰り下がります(笑)。
糸(し)、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)0.000000000000000001、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(しょうじょう)、阿頼耶(あらや)、阿摩羅(あまら)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と、続きます。
つまり、「刹那という極めて短い時間も大切にして生きよ」という教えだった言葉だが、いつの間にか、「束の間の快楽に溺れること」という意味に変わってしまったのです。
言葉って不思議なものですね。
財政担当としては、小数点より上の単位も知っておきたいです。
一 (いち)1、十 (じゅう)10、百(ひゃく)100、千(せん)1000、万(まん) 10000。
このあとからは、十万、百万、千万というように、二つの単位をくっつけて使うので、単位の呼称は10000倍毎に変わります。
億(おく)、兆(ちょう)、京(けい)、垓(がい)、𥝱(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)。
恒河沙より先は、全て仏教用語です。
「諸仏の数は,恒河沙のごとく多い」。
「恒河沙」とは、ガンジス川の砂という意味で、仏教典の中で、「数えきれないほど多い」例えとして用いられています。

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