コノハナノサクヤヒメ
読後感総括。ピース。
読書関係なく私の死生観の話 死生観ってありますか?って話 わたしの中で死生観は割と強く根強いちゃってて考えに考えていると虚無ります。盛大に。 死生観いつ自分に目覚めたかよくわかってないんですけど 小学生の頃には自覚してた気がします。 私の死生観はこんな感じ。 死ぬと"無"になる。 自分という存在は無かったことになる、誰の記憶にも残らない。 それでも地球は廻り続ける。 わたしは無の中に閉じ込められた存在になる、寂しい、孤独、置いていかないで欲しい。 だから正直誰かの記憶
「絶望ノート」 いじめを受ける中学2年生・太刀川照音の話、 ではない、 とんでもない、言葉・文字のちからで周囲の大人を支配・操作した狡猾な中学2年生の話である、正直なところ残ったのは言いようのないキミの悪さである、照音の稚拙な部分、狡猾さ、そしてその隙間から垣間見える周りの大人たちの歪な愛情 この話の中に出てくる大人たちは、皆それぞれに照音にさまざまな形の愛情を捧げている、それが中学生の創作の上で踊らされているとは知らずに このトリックの技巧の高さに正直脱帽した、本当
大文豪、太宰治作、人間失格を読んだ、人様が落ちていく内容の話はどうも自分に合うらしい、先日読んだ本も同じような内容であった、何に惹かれるのだろう おそらく理由はこう、他人が落ちていく様子を見て自分はまだそこまで落ちていないと耐えれるからだ、 人と比較してしか生きれない愚かな人間よのう、と誰かに言われるかもしれないがそれは置いておこう、 「恥の多い生涯を送ってきました」から始まる本編、大庭葉蔵の人間失格の様子が描かれているが、一般的に知られているようにこれは太宰自身の恥の多い