月子と太一10
母の訪問時で目が覚め、カーテンを開けると見事な日本晴れだった。
早朝からフルパワーの月子の母は、すでに着物を着ており、のそのそと起き出す太一と月子に朝食を作っていた。
「ほら、月ちゃん、シャワー浴びてきて。太一さんは先にご飯たべて。」
当の本人達よりもソワソワし、張り切り、アタフタと動き回る母を見て、今日は結婚式なんだと実感させられる。月子は言われるがまま浴室に向かい、太一もそれに合わせて食卓についた。
シャワーを浴び、脱衣所に出ると、リビングから母の声が聞こえてきた。
本当に感謝している、あの子を選んでくれて本当にありがとう、宜しくお願いします。
そのような内容だった。
いつも月子を苛立たせる、太一を救世主扱いする母の言葉に、今日は月子も素直にそうだと思う。
鏡に映る自分の顔を見つめながら、太一との今までが走馬灯のように駆け巡るのを感じた。
カズシとめぐちんの騒動の最中、会社の先輩だった太一は、月子はをちょくちょく食事や飲みに誘ってきた。明らかに挙動不審になった月子の噂を聞きつけ、面白がってそうしたらしかった。
誰かれ構わず報われない三角関係の相談を吐き出していた月子は、例に漏れず太一にも洗いざらい相談と言う名の愚痴をぶち撒けていた。
そのうち、月子の相談を聞く人間が、1人2人と減り、最終的に太一ひとりだけが、根気強く月子の相談を引き受ける形になっていた。
やがて、めぐちんが会社を辞め、カズシと共にどこかへ消えて行った時も、太一をは月子のそばで、ただ月子の話を聞いていた。
いつもただ黙って月子の愚痴をきいてるだけで、慰めたり励ましたりは一切しなかった太一が、その段になって初めて月子に言った。
「もう終わりってわかってんだろ」
その言葉はスンナリと月子の胸に落ち、内側から凝り固まっていた何かを一気に溶かすかのようだった。
流すつもりのない涙が滝のように溢れて、人目も憚らず泣く月子の方に手を置き、
「大丈夫だ。俺がいるから」
遠慮がちに、それでいて自信に満ち溢れたように太一はそう言った。
そしてその夜、その言葉に導かれるように月子は太一と寝た。
家に帰り、酔いが覚めると、月子は太一に失望していた。優しくしてくれたのは寝る為だったのか、と、体を許したのは自分であるのも忘れたように、月子は憤慨した。
しかし、翌朝インターフォンが鳴りドアを開けると、出勤前のスーツ姿で太一が立っていた。
「付き合ってください」
出勤前の身支度の途中、アイライナーを片方だけ引いた月子の顔の前に、カーネーションが一輪差し出された。ボンヤリとカーネーションを見返す月子に、「なんだその顔」と、太一は指をさして月子を笑った。
それから、俺がいる。という言葉通り、太一は月子の側にいつでも居た。
会社が終わると太一から携帯が鳴り、蕎麦を食いに行こう、とか、今日は俺がタイカレーを作ってやるから、と太一は月子を誘った。
携帯が鳴らないと思えば、デパ地下の高級弁当を二つ抱えて月子の部屋を突然訪ねたり、会えない日は用のないメールや写真を送って寄越した。
たまには親に顔でも見せてきなさい、と言って、月子と日帰り旅行で行った温泉旅館の土産を持たせ、そのまま実家へ月子を送り、数時間後に迎えにくると、何の躊躇もなく玄関まで入り、月子の親に自己紹介したりもした。
持ち前の天真爛漫さで、月子の両親の好感度を不動のものにし、月子達の親子関係まで良好にした。
そうして、月子の人生にスルリと入り込んできた。
月子にとって、それはまるでリハビリのように人を信じ、恋とは穏やかで幸福なものだと理解するための恋愛となった。
だから、つまり太一は、月子と月子の家族にとって救世主に違いなかった。