小海苔書店-conoli books-
電車内に忘れられた様々な物達が売られている「忘れ物市」に並んでいたウェディングドレスに想いを馳せた人間達の物語。 心の片隅に、忘れていた思いがありませんか。 -恋愛オムニバス小説「忘れ物市」-
「フォトウェディングプラン80,000円だってあーちゃん!」 信二がフリーペーパーを片手に興奮気味に夕飯の支度をする明日香にバックハグをし、今まさにグリルから取り出そうとしていた秋刀魚が半分に折れた。 「ちょっと、危ないでしょ」 肘で信二の腹を押し除けると、明日香は自分用の長皿に秋刀魚を移動する。 「ごめんごめん、でも、見てこれ!お得じゃない?」 全然悪びれる様子もなく、信二は尚もフリーペーパーを明日香の目の前に広げた。 信二が広げるフリーペーパーを一瞥
西日が当たるオフィスの午後は、毎日まどろむような眠気に襲われる。 明日香は引っ付きそうな瞼を何度か大きく見開き睡魔を追い払った。 信二が退職した後、ここでの明日香の仕事量は確実に目減りしていた。楽しくも辛くもない会社で時間を潰しに来るような毎日だったが、自分から辞める気など毛頭なかった。 元々社内に友人と呼べるよう人間などいなかったが、信二が去ってからは明日香に話しかけてくる人間は殆どいなくなった。 明日香はそれについて寂しさや疎外感などという感情は湧かず、
平日の昼時の公園は、赤ちゃん連れの母親たちと入れ替わるように、サラリーマンやOLのランチタイムに占領されていた。 会社の近くにあるこの公園に、明日香も例に漏れず自作の弁当を持参し毎日来ていた。 ひと気のないトイレ脇のベンチは、明日香の特等席で、そこへ腰掛けると、程なくして携帯が鳴る。 「あーちゃん、もういる?」 毎日きっかり12時10分に同じセリフでかかってくるその電話に、明日香もいつもと寸分違わず同じセリフで返す。 「いる。」一言だけ告げ一方的に通話を終了
まるで統一性のない物たちと、それを品定めする人間との隙間を縫って先へ進むと 奥の衣類コーナーでソレは一際目を魅いた。 明日香は思わず値札に手を伸ばし、食い入る様にソレを値踏みする。 「何か見つけた?」 後ろから夫の信二がデジカメとプリンターを抱えて明日香に話しかける。 「それ、必要?」 信二の手元を見てすかさず明日香が言うと、 「めっちゃ安いよ!あーちゃんとの思い出いっぱい撮れるし!あれ、何それ⁉︎すげー場違い!」と、信二は問題を逸らすべく明日香が手にしてるものに
婚姻届を提出してから式場へ向かうという月子たちに付いて、月子の母も市役所へと向かうタクシーに同行した。 届出を出し、苗字が変わったら見る景色も映る世界も変わるのかと期待していた月子は、市役所を出て外の空気を吸っても、何の感慨も湧かない自分にガッカリした。 式場へ向かうタクシーの中、窓から見える街路樹の緑も、青々と晴れた空にポッカリとひとつだけ浮かんだ雲を見ても、さっきと変わらない重みで月子の中に浸透していく。 今日から太一と同じ苗字になったんだなぁなどと自分を盛り
母の訪問時で目が覚め、カーテンを開けると見事な日本晴れだった。 早朝からフルパワーの月子の母は、すでに着物を着ており、のそのそと起き出す太一と月子に朝食を作っていた。 「ほら、月ちゃん、シャワー浴びてきて。太一さんは先にご飯たべて。」 当の本人達よりもソワソワし、張り切り、アタフタと動き回る母を見て、今日は結婚式なんだと実感させられる。月子は言われるがまま浴室に向かい、太一もそれに合わせて食卓についた。 シャワーを浴び、脱衣所に出ると、リビングから母の声が聞こ
荒っぽいだけで全然良くないな。 偽物の夜の中で、またも乾いた喉を潤すためにビールを一気飲みすると、月子はそんな風に思っていた。 カズシとのセックスについての感想に自分を誇らしく思いながらも、こうしている自分にまるで現実感が湧かなかった。 あれ以来、何度かカズシから非通知で電話があり、そのどの誘いも断らず、月子はカズシと逢瀬を重ねていた。その度に、なんでこいつと会ってんだっけ?と夢から覚めるように月子は思っていた。 あの日カズシは、わざわざ自分を探してきたのだ
のろのろと濡れた靴を引き摺るようにして家に辿り着くと、太一はすでに帰宅していた。 「あ、おかえりー」 ビールを飲みながら呑気な声で迎える太一を、月子はまじまじと見つめた。 「なに?なんかあった?」と見つめ返す太一に、「何もあるわけないじゃん」と、月子はつっけんどんにいくら弁当の入った袋をガサっと押し付ける。 なに怒ってんだよー、と子どものように唇を尖らせながら、太一は袋の中身を確かめた。 お、いくらだ、とすぐに機嫌を良くし、「あれ、月子のは?」と弁当の蓋を開けな
意思薄弱ってこういう事かな。 乾いた喉を潤すためにビールを一気飲みすると、月子はそんな事を思いながら、いくら弁当をかき込むカズシを見下ろした。 「うまいね、コレ。」 月子と目が合うと、ニッと笑ってカズシは言った。 真昼間のラブホテルの、偽物の夜の中で、力無く月子も笑ってみせる。 いったいどうやってこの男の誘いを断れるっていんだろう。 ここへ入る前に言い訳みたいに思った事を、月子はもう一度考える。同時に、何でカズシが太一の晩ごはん食べてんだっけ?と他人事のように
いいんじゃない?お花フリフリ。似合うよ。 昼休み中に送ったらしい太一からのメールで、月子は二度寝から目覚めた。 起き抜けの頭で、この前ホテルで試したドレスの写真を、母が太一に直接メールしたのだと理解すると、月子は告げ口されたこどものような気持ちになった。 「ま、いいけど。」 と、誰に対してかわからない独り言を呟くと、ベッドから飛び起きその場で全裸になって浴室へ向かった。 何も予定のない日は、太一を送り出した後、もう一度ベッドに潜り昼頃起き出して夕飯の買い出しに
新緑の香りが漂う日曜日の公園は、案の定家族連れとカップルでごった返し、雲ひとつない晴天の下で、幸福な休日がいくつも観察できた。 芝生に寝転んで日光浴をする太一の横で、月子は自作のサンドイッチをつまみながら、飽きもせず他人の日曜日を眺めている。 「俺にもちょうだい」 月子が食べていたサンドイッチを横取りし、太一は転がったままそれを口にした。 自分達も"幸福な休日"の一員なんだなと、月子は心が暖かくなる。太一が側にいる限り、それは延々と続く贅沢だと、他人の幸せを傍観
太一と付き合う前に、月子は痛い失恋をした。 誰にでも一生に一度はあるような、平凡な失恋に過ぎなかったが、月子にとっては、それはそれは痛い失恋だった。 月子より2つ年下のその男は、無邪気を身に纏い、いとも簡単に月子の心に棲みついてきた。 中性的な顔立ちをし、時々年上の月子に男らしさを振り撒き、そうかと思えば捨て犬みたいに月子の胸の中で甘えた。 正社員として働いていた月子の会社に、短期アルバイトとして入社してきたその男は、契約期間の3ヶ月で、見事に月子を虜にした。
「月ちゃん、そのドレスがいいと思うわ」 月子の母が絶賛するそのドレスは、いかにも少女趣味な、花型のフリルが散りばめられたひと昔も前に流行ったようなドレスだった。 月子は鏡に映るウェディングドレス姿の自分を見て、さらに視線を自分の胸元から足元まで見下げた。 「これはないんじゃない?」 「ううん、絶対これが、1番似合うわよ」 間抜け面で突っ立っている月子の横で、キラキラと目を輝かせ、頬までピンク色に染めながら、まるで自分が花嫁のように母は意気込んだ。 「やっぱ1番初
「コスプレパーティーか仮装大会だろ」 忘れ物市のドレスの話を月子がすると、太一は即答した。 月子が2時間かけて作った夕食を食べながら、ビールを一気飲みする太一に、月子は密かに失望した。 「そうかなぁ、カケオチだって絶対」 やけに色の濃い肉じゃがを口に含みながら、やや挑戦的に月子が言うと、 月子はロマンチストだからな。とニヤつきながら太一が返した。 「太一だってロマンチストじゃん。付き合ったばっかりの時なんてさぁ」 「あー、ハイハイ、駆け落ちだねー、駆け落ち。」 誕
忘れ物市が開催されている様子を見たのは、朝のニュース番組の特集だった。 結婚が決まり、昨日寿退社した月子は、婚約者である太一の部屋で、出勤時間に煩わされることなく、優雅な朝を満喫していた。 電子タバコを吸いながら、見るともなしにテレビを見ていると、電車に忘れられた様々な物どもが、「忘れ物市」と称されて売られている様子が映し出されていた。 「そんなのがあるんだ」と、月子が画面に食い入ると、実に面白いものが並んでいた。 傘やバックは当たり前で、ヴイッグや毛皮のコ