月子と太一8
のろのろと濡れた靴を引き摺るようにして家に辿り着くと、太一はすでに帰宅していた。
「あ、おかえりー」
ビールを飲みながら呑気な声で迎える太一を、月子はまじまじと見つめた。
「なに?なんかあった?」と見つめ返す太一に、「何もあるわけないじゃん」と、月子はつっけんどんにいくら弁当の入った袋をガサっと押し付ける。
なに怒ってんだよー、と子どものように唇を尖らせながら、太一は袋の中身を確かめた。
お、いくらだ、とすぐに機嫌を良くし、「あれ、月子のは?」と弁当の蓋を開けながら聞く太一に、
カズシが食べた。
と心の中で呟きながら「デパートで昔の友達に会っちゃって、遅めのランチ一緒に食べたからお腹減ってない。」と月子は答えた。
「ふうん。じゃ、いただきます。」
手を洗い、インスタントのお吸い物を作りながら、月子は思い出していた。
付き合い始めの頃、月子が誰と会い、どこへ行くのか太一は何も聞いてこなかった。
ヤキモチ妬きのカズシでは信じられない事だったから、月子は不安になり「なんで何も聞かないの?」と、逆に太一を問い詰めたことがあった。
「え?何を?さっき月子、高校の友達と遊びに行くって言ったじゃん。そうなんだろ?」
心底不思議そうに問い返す太一に、月子はもどかしさを覚え「だって、気になんないの?誰と何してんのか」と問うと「別に気になんないなー、楽しんで来ればいいなとは思うけど。それとも月子は何か俺が気にするようなことでもしてんの?」
そう言いながら、全く疑いのない真摯な目で、太一は月子を見つめた。
信頼されてる。
そう月子は感じた。今まで感じたことのない幸福感だった。
そんな事を思い出し、その事でまた救われた、と月子は密かに思った。
お吸い物を持って太一の向かい側へ月子が腰を下ろすと、「招待状も送ったし、あとは披露宴を待つだけだな。」と、幾分嬉しそうに太一が言った。
「そうだね。」という月子に、あ、月子のダイエット待ちもあるか。とイクラを口の横につけて笑う太一を、月子は安心した気持ちで眺める。
太一の顔を見ても、やはり月子の中に罪悪感は芽生えなかった。
カズシと寝ることと、太一を裏切ることは、月子にとって全く無関係な事だった。
月子は目の前の太一に「ごめんね。」と言ってみる。
「何が?ダイエット間に合わなそうだから?」
まだ口の横にイクラを付けながらそう言う太一に、思わずフッと笑いながら、うん。と月子は答えた。