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明日香と信二4

 「フォトウェディングプラン80,000円だってあーちゃん!」

 信二がフリーペーパーを片手に興奮気味に夕飯の支度をする明日香にバックハグをし、今まさにグリルから取り出そうとしていた秋刀魚が半分に折れた。

「ちょっと、危ないでしょ」

 肘で信二の腹を押し除けると、明日香は自分用の長皿に秋刀魚を移動する。

「ごめんごめん、でも、見てこれ!お得じゃない?」

 全然悪びれる様子もなく、信二は尚もフリーペーパーを明日香の目の前に広げた。

 信二が広げるフリーペーパーを一瞥し、はーっと一息溜息を吐くと、明日香は油揚げが大量に入った味噌汁をよそいながら、「写真1枚撮るだけで充分でしょ」と、なるべく冷たく聞こえないよう注意して小さく言ってみる。

 信二は世にも哀しい顔をし明日香を見つめ、どうしても?と、落胆を隠す様子もなく残念な声を出した。

 まるで信二が花嫁みたい。

そんな事を思いながら、明日香は慰めるように、

「ウェディングドレスで写真撮れるだけで私は充分幸せだから。」

と、尚も優しく聞こえるように注意を払って食卓に夕飯を並べた。

 そう言われてようやく観念して信二は夕食を運ぶ明日香を手伝う。

 信二は私が惨めにならないよう最大限できる事をやろうとしているのだ、と、明日香は言葉にせずともわかっていた。

 わかってはいたけどお金のかかる事はどうしてもしたくなかった。

 これから何年も払い続けなければいけない養育費と慰謝料で消えた貯金のやり直し、現実的な明日香にとってそれは抗い難い恐怖だった。

 それを言うと信二が何度だって絶望に満ちた哀しい顔をするので、せめてなるべく穏やかに宥める事を心がける事が、頑固で気の短い自分が信二にできる唯一の優しさだと明日香は思っていた。

 夕飯の支度が整い、向かい合わせで食卓に向かうと信二がまだ悲しそうな顔をしているので、明日香は優しくしようという決意も忘れ、小さく舌打ちして閉口し文句がその口から飛び出ないよう、折れた秋刀魚と大根おろしを口いっぱいに詰め込んだ。

 もっと男らしい人だと思ってたのに。

 明日香は時々そんなセリフが頭の中で聴こえる気がしていた。結婚してから、まだ一度もその信二の男らしさを見た事はなかった。

 誰にでも優しく周りからの信頼を物にし、当たり障りな位世渡り上手、明日香が一緒に働いてた時の信二の印象は、うさんくさい。の一言だった。

 やる時はやる男かも。そう思ったのは自分のミスを指摘されたあの日。

 あの日から明日香は自分の衝動に戸惑い、抑えきれず、そして人生初めて自分の欲望を優先し実行に移した。

 一度寝てみたら諦めがつくかもしれない。

 そんな風に、初恋かもしれない自分の思いを成就させようと、生まれて初めて自分から男を誘惑した。それも妻子ある男をだ。

 明日香にとってそれは死刑に匹敵する行為だった。清水の舞台から飛び降りるってこういう事だと冷静に思いながら、明日香は淡々とそれを実行した。

 信二は明日香の誘いに少し困惑しながらも最終的には明日香の誘いに応じた。

 明日香は自分から誘ったにも関わらず明らかに幻滅し、所詮こいつも普通の男だ、これで見限れると、そんな風に思っていた。

 思っていたはずなのに、信二とのセックスは至って普通で、普通でありながら、あり得ないほどの幸福で溢れ、明日香は動揺し、そして先の見えない自分の気持ちのやり場を前に途方に暮れた。

 途方に暮れたところで為す術などなく、明日香は至極普通を装い日々を暮らし、持て余す自分の感情が消えて行くのをじっと待っているしかなかった。

 だから何故今現在、自分の正面に座り自分の作った夕飯を信二が食べているのか、全くどうしてこうなってしまったのか、明日香は自分の意思に反して人生が勝手に進んでいく様な、そんな心許ない気持ちがずっと続いていた。

 「あーちゃん、やっぱりフォトウェディングは俺がやりたいからやろうよ」

 まだ諦めてない信二の言葉に、今度はあからさまに溜息を吐き、「まだ言ってんの?」と、明日香は優しくしようという決意など最初からなかったかのような忌々しい表情で信二を睨んだ。

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