人間は「カッコつけること」からそうたやすくは逃れられない
「誰にも真似できないことに挑戦したことがある」
「人並外れたキャリアを持っている」
「閑静な高級住宅街に三階建ての家を持っている」
「少々の事ではめげない」
「語学が堪能である」
「自慢する人ってカッコ悪い」
自分を形容するときは
たいてい、
「良く見られたい」か
「悪く見られるのを避けたい」か
の欲がはさみ込まれる。
自分がやってきたことを
自慢するときは
「良く見られたい」し、
逆に
「過去の栄光をチラつかせるなんてカッコ悪い」
と思う人は、
「自慢しない姿がクール」
だと思って
わざと自分を小さく表現したりする。
この二つは
まったく違うことのように見えるが、
根底にある欲は、
同じである。
自分自身を
誇大するか矮小するかは、
その人が
「どうやってカッコつけたいか」
の価値観による。
社会的な生き物である人間は
どうしたって、
カッコつけずには生きられないようだ。
もしも、
カッコつけずに生きると、
自分の立場が危ぶまれるかもしれない。
自分の立場が危ぶまれると、
惨めな思いをするし、
生活の基盤が揺らぐかもしれない。
さらにそれが進行すれば、
生命の危機につながる危険性がある。
つまり、
「快適なポジションを確保できなければ
命に関わる」
という恐怖心が心の底辺に根強く存在しているのだ。
だから
人間は、
カッコつけることから
そうたやすくは逃れられない。
本当に勇気が要るのは、
「良く見られたい」と「悪く見られたくない」
という欲を脇において、
本心を周りの人に
打ち明けることである。
これは、
人間にとって、
「プライドが許さない」とか
「照れくさい」とかいうレベルじゃなく、
「死ぬほど怖いこと」なのである。
しかし、
打ち明けてみてわかることは、
誰しも同じようなことを
腹に隠しているということ。
自分がカッコつけずに打ち明けた相手は、
その勇気を承認してくれる。
この作業を通して、
誰かとのつながりは深まっていく。