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ショートショート ホンマの『下克上』を見たことがある?俺はある!

まぁ、他愛のないはなし。
下剋上といえども戦国時代ではない。
これは俺の中学校の頃の思い出。

最近の道行く学生を見てたら悪い意味で
「角」が取られてるなーって思う。

この間、俺がチュー坊時代のこと思い出してた。あのギラギラしてオドオドしてたmiddle teenagerの頃を!
その時にリアルに見た「下剋上」の話をしよう。

当時はガラスが割れる、先生が殴られる、不登校、学級崩壊はザラだったね。
そんななかでも俺たちは「極端路線」へは行かず、ずっと「中庸」、つまり真ん中。
成績も、身だしなみもすべて中庸。

目立ったもんマケ。

目ぇつけられて因縁つけられるわ、センセに至っては割と言いやすいジャンルの生徒には手加減せずやり込めてくるから余計なストレスが溜まるわ。

だから中庸が一番無難、でもつまらん。これが義務教育の中の中学校という社会やね。

その社会の中で
極端で孤高なヤンキー諸氏。
 この人達は落ちこぼれにあらず。命と健康さえ粗末にし  なければ早世の天才たちであり評価すべきだ。
極端なのは成績のいい全体の1割。
 この人達の事は…よく分からん。県立一番の高校に行った仲の良かったやつも夏休みにインド行ってシャーマンになる言うて2度と帰ってこなかった奴もいた。
 極端なのは成績の悪い全体の1割といじめられっこ。
中庸はそれ以外。

そんなカーストがみな言わぬまでも存在してた。

俺らの学年は多かったなぁ。
ヤンキーカースト、予備軍いれて20人。え?普通?よくわかんねぇ。

生物が生きていくうえでなくてはならぬもの。
そう食物連鎖。食物連鎖などを例えに出すと
やはりいるんですね、学校社会にも「喰われるもの」ってのが。いじめられっこのことね。

中庸はみなこのジャンルにならんように毎日気を使いまくっている、というかすべてそれに一点集中してた。そこに入ったらオワゲー。

喰われるものの代表だった彼。彼の名を Y とする。彼の名は忘れない、それどころか地元では今もよく聞く名前。地元の有名人。

彼は当時気持ちいいくらいの最下層カースト。
話かけられたらダメ、こちらから話しかけることなど論外。

ってどう?(いま考えるとヒドすき!)

彼は扱われようが学園ドラマに出てきそうなくらい。
どんな感じかって?それは
ご想像に任せよう。

あるときなんか「公開処刑」と称して
一部のヤンキー層、予備軍、中庸合わせて50 人が集まっていじめられてたっけ。決まってそれが運動場のど真ん中。オトナも気づいていいもんやけど…センセは具合悪いから出てこずのスタイル。

俺ら中庸は観戦料とかいって100 円徴収されるだけ。あとは賑やかしの役目。100 円ってデカイよ、銀色に光るお金って今もやけど子供心には特に貴重だし?
ヤンキー予備軍はお金の徴収役など中庸に見張りの支持する役。ヤンキーはいじめ役というかグラディエーターばりの闘う役目。

猛獣が入ってきたよー、カーストの低い奴らの登場だー。
 Y を筆頭にゾロゾロと。みんな半泣きや、そらそうやろ。ってこれ公開処刑っていうかコロッセオやね。

あとは殴る蹴る!ナグルケル!
NAGURUKERU!
今では大問題!これが平成の初期では
飯食うぐらい普通にやられてたわけ!

そんなこんなで時が流れて
ぼくらが3年生に上がった4月のとある日。
いつものようにこの円形闘技場は賑わっていた。

春の陽気でいろんな生き物が動き出す季節。
ちょうど運動場の隅の砂場にネコがコドモ産んで
にゃーにゃーいってるのを何度がみたことあった。

それはさておき、3年になっても勢いが止まらない。
むしろ、下級生にまで拍車がかかってしまい
総勢100人くらいの集団が運動場の真ん中で
たむろっていた。

この頃は僕ら中庸も最高学年。
もうオドオドと過ごすことはなくてっていた。
それに加えて「高校受験」というかつて経験したことがないストレスがまとわりついていたのもあったのか
中庸もこのファイトに熱狂するするようになっていた。

あたたかな春の昼休み。
恒例になっていた公開処刑が行われようとしていた。
そう、この2021年の Y を産んだあの下克上伝説が
訪れる昼休み。
あの衝撃、あのスリルが起こるなどとは予想だに
しなかったあの昼休み。

はなしは昼休み前にまでさかのぼる。

俺ら中庸は、例のアンタッチャブル、Y  を呼び出し
引きずりだしていた。
悪びれたやつはだれもいない。
当たり前の作業のようにしてぼくらは
そいつを運動場まで連れ出した。

彼は泣いていた。
「ねぇ○○くん、たすけてよぉ」

ここにきてだれも助けようとはしない。
逃がしたりしてはこちらの具合がわるくなるからだ。

途中、砂場を通りすぎた。
ネコはいなかった。

砂場を通りすぎた辺りでひとりの男子が           Y に耳打ちした。
何をいっているのかわからなかったが、そいつも
喰われる側に近い中庸だったのでさほど気にはしなかった。

さぁ、本番!
また、激しく暴力をみて、われら観衆はエキサイトするのだ。受験ストレスを少しでも吹き飛ばすために!

真っ昼間。運動場のど真ん中は少しムワッと暑かったのを
覚えている。

先方はイケイケの武闘派!
彼は強くて怖かった、見境なくキレたらセンセですら手がつけられなかった。

一方の Y はデブだった。
防御力が100である。筋肉質なデブ。最強の防御力の
持ち主であろう、当時は。

しかし激しく攻撃を受けた。
さすがに百戦錬磨。その防御力をしても
 Y はひるんだ。

騒ぐ観衆。その寸隙をついて
 Y は走り出した。

聴衆は追いかけた。 
Y はざっと100 人に追いかけられた。
そこで Y彼自身も吹っ切れたのだろう。

逃げる Y 、追いかける我ら。 
やがて先頭の足が一斉に止まった。
急ブレーキがかかったので後続との歩調が合わず
大勢が転倒した。俺も3列目だったのでだったので
身動き取れなかった。

先頭は何を見たのか?
成人式の時、帰省してきたやつの証言を
改めて聞いた。2次会にいた元中庸みんなが

大爆笑した。

Y の逃げた先は砂場だった。
しかも逃げる最中クツをぬいで両手にはめ込んだ。
奇妙な光景を先頭集団は見ていた、追いかけながら。

砂場にしゃがみこみ両手の靴に何かを
塗りつけている。泣き笑いして不気味だったらしい。

とはいえ俺たち、それが何なのかすぐに理解した。
そう、「猫のう○こ」である。
それを両手に塗りつけていたのだった。

そのまま

うわー!

と反撃。
先頭は逃げようにも後続がツメてくるため
逃げられない。

思いッきり塗りつけられた奴もいたらしい。
恐怖としかいえなかったろう。

そこにあとから駆けつけたヤツがいた。
最初のヤンキーである。

先頭何しとんのじゃ?みたいな感じで叫んでたかな。
おキマりのガニ股でズンズンと歩いてきた。
何も知らずに砂場まで Y を捕まえに行こうとした。

その時

ぎゃー!
という叫び声。
そう、ヤンキーもやられたのだ。

逃げ帰って来る!あのヤンキーが!
その走り方たるや、美しいフォームだった。
何せそのヤンキーは小学校の頃は県の代表選手。
体がデカくて足も早い、何よりヤンキーのアイコンである
ケンカの強さも持ち合わせた畏怖すべき存在だった。

その畏怖すべき存在が自慢のリーゼントに、う○こを
塗りつけられている。

「おい!どけー!
おまえら、どけー!…おぇっ…」
う○このあまりの臭いにエズイた。
なんつったって頭の上やもん。

それを見て更に恐怖。現場は大混乱!
まさに蜘蛛の子チラシ状態。
ただ外から見れば、みんなで仲良く鬼ごっこ
くらいにしか見えなかっただろう。

被害者続出。まさにクラスター。
今でも地元の語りぐさになっている。

成人式でもその話題は尽きなかった。
「俺、○列目やった!」「う○こ喰らった」とか
「地獄絵図やった」なんて声も。

その後の彼の論功行賞について語ろう。

翌日ヤンキーに呼び出される。
以後 Y  は必ず「Yさん」と呼ばれる事になった。
そう、さん付けで呼ばなければならなくなった。
更にヤンキーグループに入りその地位を確実にしていった。
それ以降、Yの話し声、笑い声をよく聞いた。
面白くていいやつだった。
しかし彼はそもそもが温厚なため、仕返しを企てたり
誰かを殴ったりとかは一切なかった。
我々はそのまま卒業した。あの春の惨劇がなかったかのようだった。

あれから時が流れた。平成から令和へ。

彼はいまでも地元の有名人だ。
そう、企業経営者である。
裸一貫、土建屋を興したのだ。

俺の知る限り、成人式のあと、すぐに
独立したらしい。
この間、息子を連れて久々に里帰りした。
その時、大きな看板とキレイなオフィスが駅前に
オープンしていた。どうやらそこらしい、Yさんの
土建屋…いや、Y建設会社株式会社とある。かなり大きい。

聞いた話、中学で卒業していったヤンキー達に仕事をあれこれ回しているらしい。やれ、塗装業、鳶職、電気屋などなど。

とうとう使う側になったんやな。
ホンマに下剋上してまいよったわ。

会社の正門から一台の黒いLEXUSが出てきた。

なんの気無しに後部座席を覗いてみたら…
あれ、あいつ…。
後部座席にふんぞり返っていた男の顔。

思い出した。
あの時 Y に何かを耳打ちしていた底辺の中庸。
名前は思い出せない。でもあいつだった。

あのまま一緒にのっかってたんか。
ちらっと目があったっぽいので軽く会釈
した。

中庸だった俺はやはりそのまま中庸のサラリーマン。
猫の力を借りてのし上がっていった奴らは
社会の中でハイカーストだった。

あの日が彼らの運命の日だったのだ。
こんな下剋上を見たことある?
俺はその場に居合わせた。
歴史の証人である。

おわり

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こにー ❚育児世代の革作家
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