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あこがれが仕事に変わるとき。 #はたらくってなんだろう
こんにちは。
いませっせと作業中です。
これ、なにかわかります?これだけでは
むずかしいでしょうか。
答えは記事の後半でお伝えいたします。
さて、これは僕の世界進出へのとっかかりです。
32歳。いまから11年前に始めた趣味から
いまに至ります。
はじめは「あこがれ」
作る人、に対するあこがれでした。
そのころ僕はユニクロで準社員として
働いていました。形態はほぼアルバイトです。
人生に嫌気がさして何にたいしても情熱が
わかなかった頃のちょうどど真ん中にいました。
ちょうどその時お会いした方が
ぼくにいまに至る方位磁石をくださいました。
その方の名前を O (オー)さんとします。
その方、ぼくを四条河原町に連れ出して大通りではない
おくまった道の路面店に案内してくださいました。
「DENIME」そのショップの名前です。
ごぞんじの方もいらっしゃると思います。
アメカジ系ブランドの代表格のひとつです。
ぼくの青春時代、ちょうど90年代後半がそうです。
そのころリーバイスのヴィンテージがファッション誌を賑わし
町を歩けば古着屋にあたる。
ストリート系ファッションの全盛期でした。
そのころ僕は高校生、もしくは大学生。
ヴィンテージどころかレプリカジーンズにすら手が届かない
年齢でした。
DENIME。そう、覚えていました。が
そのころのぼくとの接点が全くなく
ただ「懐かしいなぁ」という思いで
試着させていただきました。
そうしたら・・・
なにこれーーーーー!
さていままで穿いていたジーンズっていったい
なんだったのでしょう?
これは?え?柔道着?
モノホンやん・・・
当時、ファストファッションが世間を占め始めていました。
みなが手頃な価格で、気軽に買えて、みんなと一緒でも 気にしなーい!
という残念な風潮ですが。
ユニクロが日本の国民服になっていました。
それが当たり前だと思っていた当時、いろいろな世界から遮断されることを望んでいた当時の自分は、試着したその時、人知れず泣いていました。隠れて。
変人扱いはかんべんだったので。
ホンモノがここにある。
流行ったのがはるか昔にあったとしても
変わらないスタイル、変わらない価格帯で頑固に
そこにある。
こんなの、こんなのになりたい!
山とか大木のように煽動されない巨体になりたい。
つまり、かくありたい。
と望みました。
ホンモノをプロデュース。
送られた人、もらった人、差し上げた人、その周囲の人たちすらも感動させたい。
その仕事だ!
今日から、いや、いまからだ!
と誓いました。
いまに至る。11年、もう12年経ちます。
あ、↑の写真はレザーのバレッタです。
麻の葉模様にしてあとでターコイズブルーで染色します。
いまは時間を会社に切り売りするサラリーマンですが
かならず人に
価値
を自分の商品として届けます。
これが仕事です。
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![こにー ❚育児世代の革作家](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/42422542/profile_71aa63c1d0ed0c5a88ce57ae7d5ef997.png?width=600&crop=1:1,smart)