2000年問題をよそ眼に
年末年始はLinuxざんまい。
とにかくです。怒涛の如くインストールから設定までを気に食わなかったら一度、中身を空っぽにしてからまた入れなおすという超アクティブなやり方をしました。
Windowsが壊れたため、Yahoo!チャットや掲示板にも入ることもできなかった。使えるチャットアプリも調べ上げていたので、いろいろインストールしました。
必死になって入れなおして
自分自身は必死にLinuxをいろいろ使い倒しながら、反面Windowsが壊れたと言われればKNOPPIXとか入っているケースを持って出かけていたと思います。まだ直せないものもたくさんあったのにです。
→データを当時は大事にしていてどんなたわいもないデータでも自分のデータは取り出してほしい。と、必死になってやりましたね?
覚えたことは今でも忘れない
当時は携帯電話はガラケーの時代。やり取りは電話かメール。そんな中でやらなければならなかったのは「メールサーバ―」と「リレーションサーバーでメール転送」でした。これが非常に功を奏した結果を得たと思います。
当時はまだ、キーボード配列が不具合多くて英文字打つときは「2」のところに「@」が配列されていました。
ネックは日本語入力とキーボード配列
Windowsにはなかった日本語入力の大変さは当時色々とありました。四半世紀で入れ替わり、むろん、VineLinuxを使い続けていけなくなった時も乗り換え時期にまた違うものを使わねばいけなかったとか。
また覚えさせねばいけないとか本当に勘弁だったよ。Windowsから辞書を移植していたおかげで普段使いの単語辞書はとにかく重宝しました。
暮れと年明けは
この辺の文字入力に悩まされてたときはほぼインストールも終わり、テストしていた環境でやっていた。設定周りを整えながら3が日を過ごしていたと思います。
そうそう、まだ当時はブラウン管のモニターですよ。
VineLinuxをインストールし終えて
すぐさま日本語入力にも手をつけたわけですけど、それと同時にサーバーの設定を練習機のLinuxで試していた方法を同時進行で進めていきます。
procmail と .forward で転送メール
これも設定をしていきます。当時は今みたいにIMAPではないのでもちろんPOP転送です。パソコンに取り込んで指定先に転送する。これだけなんですが、今ほどは簡単ではなかった。しかし、VineLinuxとPostfixの相性はとても良く作業はとてもはかどりました。
転送方法で全文を読めるメールをゲットできた
下手したらWindowsとそう変わらない店舗売りしているものと同等のOSをインストールするに至るわけですから、慎重にやりました。途中からPostfixは使わず別な手段で直接読み込んでパソコンでも見れるし、ガラケーにも飛ぶように仕込みを作っていたわけです。
途中で切れるメールを3通とあとラストの結論が尻切れトンボって言葉はもう今は使わないか。言い換えるなら”一体何を言いたいんだ”と落ちのないメールをもらうことが多かったわけでこういった方法になりますよね?
プロバイダーのメール〜Gmailとかを転送する
変遷としては、段々と時が変わればでGmailとかも使えるようになって調べていたら、段々とそちらに移行していきました。
またポシャったらデータも飛ぶから時々コピーしたり、サーバーに残したり残したらそれの定期的な削除作業もどこかの予定に入れなければでした。
今ならすごいものでGoogleアカウントでできることを真似てFirefoxやoutlook.comでも同じようなサービスを行っています。転送サービスですか?
変われば変わるものですね。