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空鞘稲生神社(虚構民俗学への道)
この神社の由来によると松の大木に空の鞘がかかっていたから、その名前がついたようです。
でも、ちょっと待ってください。
空の鞘があっただけで、名前が残って、神社の名前にもなり、町名としても残っていたというのはおかしいでしょと思うわけです。
その空鞘が何らかの物語があって、どうしても大切にしたい事情があるとか、何らかの言い伝えがないとこの空の鞘がこの地に残っていくはずないよねと思うわけです。
普通は空の鞘よりも、中身の刀のほうが有名ですし、宝刀が神社に伝わったとしても、鞘ではないよね。
刀よりも鞘の方が重要になる何らかの出来事があったに違いないと、そう考えるわけです。
松の大木に空の鞘がという話ですが、どの木ですかと宮司さんに訊いてみたところ、もうその木はないとのこと、この辺も全て原爆による被害で昔からの樹はもはやなくなってしまっています。
また、宮司さんによると、この境内で果たし合いがあり、その時に空の鞘が松の木にひっかかったという話もあるらしいのですが、真実この名前の由来というのはわからないとのことでした。
そして、何か不思議な話とか、言い伝えとかはありませんかと聞いてみると、そういう不思議な話というのはないとはっきり言われてしまいました。
でも、神様という最大の不思議なものを祀っている神社で不思議な話が何一つ無いと言いきれるってのはどうなのよと思うわけです。
では、虚構民俗学という観点から、この神社の名前の由来を考えるなら、空鞘という名前に関して、何らかの物語があるに違いない。
しかも、空の鞘という名前を冠するからには、それに関して何らかの不思議な話が伝わっていて当然ですよね。
ということで、それに関する物語を虚構で語ろうではないか。
聞いた話である。
そうそう、昔から空鞘神社には神様から頂いたという神刀があるという話がありましてね。
その神様の刀を振るうことで、様々な奇跡を起こしたという話があったんですよ。
でも、ある日その神刀が何者かに盗まれてしまい、神社にはその鞘しか残されていなかったんだと。
ただ、神刀に付与されていた神の力は強いもので、その刀を納めていた鞘には長い時間をかけて神の力を分け与えられていたのさ。
刀は鞘を求め、鞘は刀を求めるもの。
盗まれた刀は新たな持ち主に囚われ、封印されていたので、身動きがとれません。
その為、鞘は刀を求めて飛び立ったのです。
が、鞘の力は神刀により与えられたもの、神刀が無い今、鞘の力も衰え、神刀を求めて飛び立った鞘は神社の境内の松の木の枝に引っかかり力尽きてしまったのです。
鞘は宮司によって拾われ、元の場所に神社の奥の院に納められました。
しかし、鞘は神刀を求めて、何度も何度も飛び立とうとしましたが、神社の境内を出る力はなく、いつも松の木の枝に引っかかり、力尽きます。
何度も何度も神刀を求めて、松の木の枝に引っかかる空の鞘は、人の手でなく自由に動き回る不思議な刀の鞘として、いつしか神社の宝として祀られることになりました。
今でも自らの中の刀を求めて鞘が松の木まで移動することがあるそうです。
てな、話が残っているといいなぁ