見出し画像

私を編み直す『サウンドスケープ』とは何か③~音楽の内と外

第1回 自己紹介

ピアノの内と外

 今から半世紀前の昭和時代のお話です。10歳になった頃にピアノの教室を移り、毎日3時間の練習が必須となりました。それまでに習っていた先生の勧めもありましたが、音大ピアノ科の受験が視野に入ったからです。もともとピアノを弾くのは好きだったので特に苦ではありませんでしたが、それまで郊外の空き地を走り回っていた《外あそび》の放課後が強制終了されたことは、やはりその後の人生観にも大きく影響したと思います。高度経済成長期の新興住宅地は、ブルドーザーが野原や森を切り崩している風景が日常でした。子どもの心にも殺伐とした《何か》を無意識に植え付けられていたのかもしれないと思うのは、数年後に学校内に《校内暴力》が吹き荒れたからです。川の水も排水で淀んでいましたし、《中学受験》に向かう同級生もちらほらいました。その中で《ピアノを弾く私》も地域コミュニティから《分断》される。長時間の練習は家族の日常とも折り合いがつかず、休日もひとりだけ切り離されていきます。逆説的ですが、個人楽器であるピアノによって孤立していくなかで《音楽だけが心の拠りどころ》になっていったのも事実です。
 この状況が昭和特有のピアノ教育の問題とも思えないのは、現在の《中学受験》やアメリカ型ギフテッドの発想と構造が似ているからです。10歳そこそこで、人生の大事な決断を迫られたり他者と競争させられる。多感な時期に勝者となれば選民思想や優生思想、敗者となれば劣等感も刷り込まれてしまう。いずれにせよ、その後の人生観や人間関係の構築に少なからず影響を与えてしまうのではないかと私は思っています。
 本来《音楽》は競争手段ではなく、人と人をつなぐもの。R.M.シェーファーが《音楽教育は人生の準備であるべきで、全的な体験であるべき》と、ひとりの天才児を求めがちなピアノの専門教育を批判しています。2011年の東日本大震災を機にこの一文に触れて、《この私》の編み直し、語り直しを始めました。それが結局、R.M.シェーファーの提示した《音楽、サウンドスケープ、社会福祉》の道筋とも重なっていきました。

 話を子どもの頃に戻すと、失われた放課後の《外あそび》を求めて練習前に即興的に《でたらめピアノ》を弾き始めました。ワクワクするような《あそびの時間》を取り戻したかった。しかしその《でたらめな時間》は楽しさもある反面、《ピアノを弾く私》をウチとソトに分けてしまうような複雑な気持ちにもなりました。戦後の高度経済成長期の70年代はピアノブームではありましたが、戦中ドイツ派の芸術至上主義も色濃く残り、原理主義的な厳しさもありました。
 ですから楽譜を離れて自由に即興することは、どこか背徳的だと子供心にも感じてしまうのです。厳密に言えばクラシックの即興には本来《お作法》がありますし、完全な《でたらめ》は《音あそび》です。しかしテレビの中ではビートルズがピアノを燃やしていたり、鍵盤に肘鉄をくらわせているピアニストがいたり、何よりも岡本太郎が即興演奏をしていた時代です。自分が学んでいる《クラシック》とは何だろう。友人たちとも容易に分かち合えない音楽をなぜ学んでいるのだろうかと悩みました。70年代は戦後の自由や前衛的な芸術も盛んな時代であり、子ども心にも「時代の空気感とのズレ」を肌で感じていたのかもしれません。いずれにせよ《早くおとなになりたい》と思ったものでした。

 ちなみに当時はもちろんYoutubeも無く、両親は無頓着でしたが、ピアノの先生は歌謡曲や演歌を聴くことにも難色を示しました(子どもは禁止されるほどに好奇心が湧くのも世の常です)。しかしそれはピアノの先生に限ったことではなく、小学校の給食時に放送室から流行歌(太田裕美の《木綿のハンカチーフ》)のレコードを流した時にも、職員室から女性の先生が血相を変えて飛んできて『学校に相応しい音楽をかけなさい!』と怒られました。もしかしたらこの先生は戦争で恋人を戦地に送り出したのかもしれない、恋愛に対して悲しい想い出があったのかもしれないと今なら別の想像もできます。いずれにせよ、戦争の残り香はまだ街中にも感じられました。

 同じ頃、ピアノとセットで学び始めた《楽典》のなかで対位法を含む西洋音楽のルールを学び、《使ってはいけない音》があることも知りました。そしてすごく驚きました。なぜ使ってはいけないのか?誰が決めたのか?理由を教えてくれないので「丸暗記」では、どうしても腑に落ちませんでした。なぜなら「耳/音」で聴いた時には特に不快ではないからです。実は今でも完全には腑に落ちていませんし、納得いく理由が見当たらないのも事実です。おそらくユダヤ音楽の響きがしたのだろうと想像しています。
 いずれにせよ、西洋音楽には制約がある一方で、ピアノを燃やしてしまうほどの自由もある。《音楽とは何か?》を考え始めたのが、ちょうど10歳の頃です。そこから既に半世紀が経ってしまいました。ちなみに前述の《でたらめピアノ》はこの後、大学4年生のときから学び直し、将来の作品につながっていくのですが、それはまた別の機会にお話しします。

海辺で出会った石たち。


 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?