『社会変革の心』(マーシャル・ローゼンバーグ著)からの学び
NVC創始者であるマーシャル・ローゼンバーグ博士の
『社会変革の心』(『The Heart of Social Change』)
から、私が理解したことをまとめました。
苅部ミュア 智美さんが開催してくれた読書会に参加し、
日本語の翻訳をもらえたことで、この本を読むことが出来ました。
翻訳してくれた苅部ミュア 智美さんや、読書会でご一緒した仲間に
深く感謝しています。
この本の内容は、「社会変革」を直接目指す人でなくても、
NVCを実践していく上でとても大事なエッセンスが書かれている
と思います。
特に4つの次元を認識することは、
「観察」をより精緻にするのではないかと思っています。
多くの方と、この本のエッセンスを分かち合えたら嬉しいです。
本からのエッセンスに加え、私の理解したことも書かれていますので、
ご了承ください。
内容については是非、原本をご覧ください。
今の社会を変えていくには?
①これまでに身につけた支配的パラダイムや方法から自分を解放して、
自分が選んだ(相互依存の)パラダイムと調和する生き方を、
身につけること。
②相互依存のパラダイムを人に伝えていく。
その際、今までのパラダイムを批判することなく、相互依存のパラダイムにどのような新しい視点があるかを伝え、これによって自分の人生がどう豊かになったのかを伝えていく。
③相互依存のパラダイムでは、どのような構造の組織が調和するか?
ヒエラルキーではない構造の組織を作っていく。
④より多くの人が相互依存のパラダイムを迎えるには、どんな教育が必要か?
相互依存のパラダイムを生きる人が育つような、教育を取り入れていく。
社会変革においては、これら4つの領域全てに同時に働きかけていく必要がある。
相互依存のパラダイムのカギとなるコンセプトは、「人生を豊かにする」。
支配的ではないパラダイムを目指して行動しても、
一定の精神性から行動していないと、NVCを手法として使ったとしても、
支配的なパラダイムの強化に加担してしまう可能性がある。
その精神性とは、
瞬間瞬間に自分のニーズを大事にし、
同時に相手のニーズを私も満たしたいと感じられている状態であること。
支配的パラダイムの中で教育されてきた私たちが、その社会を変えようと思うと、身に着けた精神性の変容が必要。
「遊びじゃないことはしない」とは、
やりたくないことはしないで放り出すという意味ではなく、
どうしたら自分の人生の全てが素晴らしいものになるかを考えること。
この状態は表層的な自己共感で止まるのではなく、
何が自分にとって必要なことかを探り、より深いところにあるニーズに
つながって「私は〜したい」と思うところまで自分の内面に向き合うことが必要だと思う。
そしてそのニーズから生まれるエネルギーに従うと、自然につながりの質を作るための行動が生まれる。
つながりの質
どのような方法で相手にお願いしようとしているのか意識すること。
自分の行動が、相互依存のパラダイムの価値観から生まれているか?
自分の心の在りようがその価値観と合っているのか、意識する必要がある。
構造変革のキーとなる4つの次元
パラダイムを、4つの次元で認識する。
①物語(ストーリー)
どのようなストーリーに基づいているか。
②組織の構造
そのストーリーを支える組織構造はどのような形か。
③教育
そのストーリーや組織構造に適合する人を創り出すために、どういう教育が行われているか。そして力をどのように使うよう教えられているか。
④精神性の選択
そのパラダイムの中で、個人はどのように自分を自己啓発しているか。
現代を含めて、これまでの人類の歴史で多くを占めるパラダイム
(支配的パラダイム)を①〜④に当てはめて考えると
①この世界は良いものと悪いものがあり、良い力が悪い力を打ちのめすのが正義である、というストーリー。
②何が「良い」かを決める人を頂点とした、ヒエラルキー構造。
上下関係で組織が作られる。
③権力者によって決められた「善・悪、正しい・間違っている、正常・異常、すべき・すべきでない、しなくてはならない、できる・できない」というように人々が考えるように教育される。
罰、報酬、罪や恥の意識、義務などを学ことで、「悪い」人は罰を受けるに値する、「良い」人は報酬を受けるに値する、という価値観を身につける。
④人々は権力者や権力構造に無自覚に従うか、反抗するという精神性を選ぶ。どちらも、権力者に力を開け渡してしまっている。
こういった段階を経て、暴力を「正義」として捉えて、懲罰的で支配的な考えで行動する(暴力を楽しめる)ことになる。
私たちが目指したいパラダイム(相互依存のパラダイム)で4つの次元
を考えてみると
①人は瞬間瞬間、ニーズを満たそうとしてその人の最善を尽くしている、というストーリー。
②「瞬間瞬間に自分のニーズを大事にし、同時に相手のニーズを私も満たしたいと感じられている」精神性をサポートするような形の組織構造。
その組織にいるすべての人がするあらゆることが、ニーズを満たす形でどう人生をサポートするのか、をイメージした結果として生まれる構造。
③自分のニーズを知り、活用する力(ニーズリテラシー)と、
人のニーズを聴く力を育てる教育。
力の使い方として、人(だけでなくあらゆるもの)の存在価値は等しいというパワーウィズを学ぶ。
人を尊敬することと、服従することの違いを明確にする。
④自分がどうであるかを定義する力や、
何が正しくて間違っているか、何をすべきかを決める権力の地位を
人にも自分にも渡さない。
常に感情とニーズを聴き、ニーズリテラシーに基づく精神性を選択する。
支配的なパラダイムの中で、自分の力を取り戻すには?
ニーズリテラシーに沿ったパラダイム(相互依存のパラダイム)
における4つの次元をはっきりと認識すること。
権力者の言うことに対し、「服従」でも「反抗」でもなく、
権力者のパラダイムに参加しないことを「選択」する。
権力者に「何かをしろと言う力」を与えない。
相手の言うことが自分のニーズにあっていれば、それを自ら「選ぶ」。
権力者と対話するには?
それにはその人に対するあらゆる敵のイメージを払拭する必要があるので、
実際にやるのはとても大変なこと。
敵イメージの払拭には、相手の「考え」に固執せず相手のニーズに共感的であることが必要になる。
相手のパラダイムが生み出す「考え・思考」は、感情とニーズに翻訳して
聴く。
「私は相手を変えようとしているのではなく、全ての人のニーズが満たされるためのつながりを作るために行動している」
ということを意識する必要がある。
ミーティングに入る前には自分とつながる必要があることが多いが、
ミーティングに入ったら、無条件に相手がやっていることは
その人がやれることの中で最も素晴らしいことだと理解している、
と信じられるつながりの質を作る。
相手との間につながりの質を作り、誠実にコミュニケーションする必要がある。
相手がニーズを満たすために取る手段がとても嫌だったとしても、相手への敵イメージを持ち続けていたら、支配的なパラダイムに参加することになる。
自己共感、相手を人間としてみることによって、常にニーズに繋がり、相互依存のパラダイムでい続けることを目指す。
結論
社会変革を第4の次元から始めること。
支配構造やそのストーリーに取り組む前に、私たちが受けた教育から、自分自身を自由にして、人生を豊かにする精神性から行動することを確信する必要がある。
精神性の移行は、支配構造のパラダイムの中で、痛みを感じないようにすることだと思う。
共感や瞑想も、麻薬のように使うことは、精神性の移行である。
精神性の変容は、自分の中のパラダイム自体を変えること。
支配的パラダイムで教育されてきたことから自分を解放し、
お互いが影響しあっていることに気づいて思いやりをもってお互いの人生を豊かにしていく精神性を選択すること。
精神性の移行と変容の違いを明確にするには、自分が所属するパラダイム
(の4つの次元)をしっかりと知る必要がある。
そして自分の目指すパラダイムと、実際の行動に矛盾が無いかを意識して、
自分の中の深いところと繋がり続けることが大事。
私なりの理解
自分や社会が見ている「パラダイム」と、それを形作っている4つの次元の考え方は、アクティビストとして社会変革をするしないに限らず、NVCを実践していく上で前提として大事なのではないかと思いました。
自分や相手のパラダイムから評価・判断・決めつけが出てくる、という視点は、日常の中で自分や相手に共感する上でも重要なのではないか、と。
『The Surprising Purpose of Anger』に書かれている「頭の中でジャッカルショーを楽しむ」ことと、「対話に入ったら相手の言動は相手ができうる最良のことであると理解しているということが信じられるように相手との間につながりを作る」がどう両立するのか、ということも、このパラダイムの考えがあることで理解できると思いました。
パラダイムへの視点があることで、以下の内容を避ける上で役に立つ、むしろ前提として必要なのではないかと思いました。
・評価・判断・決めつけへの共感(表面的な共感)だけで終わってしまう
=敵イメージのない観察に行けていない
・「それはあなたの感情でしょ?私に原因はないから。」という
感情の第2段階(『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』第5章)で止まってしまう
=「つながりの質」を創るというNVCの意図を目指していない
→NVCの目指すパラダイムにいない
「相手あるいは自分の言動はどのパラダイムから来ているか」という視点がないと、
懲罰的・支配的パラダイムの中でNVCの技法を使っていることに気づくことが出来ず、日常生活や相手との対話に戻った時に結局「うまくいかない、なんでだろう?」となってしまう。
そうすると、懲罰的・支配的パラダイムの中で痛みと自己共感の間をグルグルしてしまうことになるように感じました。
さらに痛みと自己共感のグルグルから抜けようとして、
(自分の内側に気づくためではなく)何も感じない、反応しないように
自分を麻痺させるために瞑想やワークに取り組んだり、
感情の第2段階を突き詰めて「あなたがそう思うのは私には関係がない」という自分が絶対に傷つかない安全なところから、相手に感情やニーズの言葉を投げることが共感だと思ってしまったりする危険があるかもしれない。
まさに自分は、そういう他の道に何度も逸れそうになったなぁと思います。
「私のニーズを売っているのではない。」という言葉も書かれていて、NVCは相互依存のパラダイムに行くためのあくまで手段である(でもマーシャルの知る限り、最もパワフルな手段)、ということが私に響きました。
NVCを学ぶと共感さえすればすべて解決するというように考えがちですが、
相互依存のパラダイムに行く(ルーミーのはらっぱを目指す)ことが目的である、ということを忘れると、今のパラダイムの中でNVCの技法を磨こうとするという危険があるなと、自分を振り返って実感しました。
そのような方法でNVCの技法を使うこと自体が、相手に痛みを生み出しているのに目をつぶってしまったり、
逆に痛みを生み出してしまう事実から自分を守ろうとして、自分の傷や痛みにだけ自己共感し、相手との間につながりの質を創るというNVCのパラダイムにたどり着けなかったり…
「懲罰的・支配的パラダイムの中でNVCの技法を使っている」という自分に気づくのが難しい、という前提に立つと、
懲罰的・支配的パラダイムがどのような4つの次元で成り立っているのかを知り、それを外していくことが必要になる。
むしろそこからの解放という視点があってこそ、NVCの技法は役に立つのではないか、と思いました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
ここに書いたことはあくまで私の理解ですし、特に重要と感じたところ以外はそぎ落としています。
ワークショップ参加者とのロールプレイなど、興味深い内容が書かれていますので、ぜひ原著をお読みいただけると嬉しいです。