ビアトリス・コロミーナを全部読む 第1回 『マニフェスト・アーキテクチャー −ミースの亡霊−』
執筆:橋本吉史
日本の建築学科の中で工学的な研究に勤しんでいると、時折刺激ある文芸的な文章に触れて感化されてしまうことは少なくない。今回扱う建築史家・建築理論家ビアトリス・コロミーナ(1952-)はその代表格といえよう。
邦訳書の出ている『マスメディアと近代建築』を読んだ時、メディアやジェンダー論的な視点から近代建築史を読み解く鮮やかさには感銘を受けた。そこから、常々訳されていない彼女の文章も読んでみたいと思っていたのだが、ついぞ今迄手をつけることはなかった。
しかし手に入る範囲で原著を購入してみると、案外読破に苦労しそうな大著は少なく、図版も多く読みやすそうであった。なので、本連載の場を借りて片っ端から読み、簡単にまとめていこうと思う(1)。
今回取り上げるのは、
ビアトリス・コロミーナ『マニフェスト・アーキテクチャー −ミースの亡霊−』2014年
原題:Beatriz Colomina, Manifesto Architecture The Ghost of Mies (Critical Spatial Practice Ⅲ), Sternberg Press, 2014.
である。この本は、ニコラス・ハリッシュ(Nikolaus Hirsch)とマルクス・ミッセン(Markus Miessen)が編集するCritical Spatial Practice(批判的空間実践)シリーズの第3号として2014年に出版されている。内容は、題名通り近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエに関する論考であり、コロミーナお得意のメディアという視点から近代建築の成立を読み解いている。
[本書の目次と内容]
「起爆剤(Explosives)」 1頁
戦前戦後の多くの建築家が実作よりもマニュフェストを掲げることで名声を得ていた歴史
「ミースのマニフェスト(Manifesto Mies)」 11頁
1920年代のミースの活動におけるメディアと実作の関係性の考察
「書き直し(Rewrites)」 25頁
OMAが《バルセロナ・パビリオン》(1929)を再解釈して制作した《Casa Palestra》(1985)の批評
「ソフト・マニフェスト(Soft Manifesto)」 29頁
《バルセロナ・パビリオン》の内部にSANNAが2008年につくったインスタレーションについての批評
本書前半でコロミーナが示すミース像(近代建築家像)を以下に要約する。
ミースが《ガラスの摩天楼計画》(1922年)を描き、雑誌に発表したとき、鉄骨造に関する実務的知識はまだ乏しく、彼が歴史主義的住宅を手がける建築家であった事実を知る人は未だ多くないだろう(2)。
同時代に名を成した建築家に比べ寡黙といわれたミースも、キャリアの当初においては、雑誌に文章や、ドローイングを掲載することによって地位を確立してきた。「摩天楼計画」は自身を前衛的な建築家として売り出すマニフェストであり、1920年代のミースにドローイング通りの建築を建てることを周りに期待させる材料であった。
そしてミースはMaria Ludwig Michael Miesという姓名を、格式高く聞こえるLudwig Mies van der Roheと改め、《バルセロナ・パヴィリオン》(リリー・ライヒと共作,1929)などの「本物の」近代建築を実現していった。終いには、過去の古典的な作品を作品集や展覧会から取り除き、図面も捨て去ることで、自身のメディアでのイメージを完成させ、地位を確かにしたのだ。
このような建築家とマニフェストの関係は、戦前に限らず、戦後のアーキグラムに始まり、日本のメタボリズムグループなどにもつながる「建築家」になるための定石である。
後半では、建築家の極論を実現するパヴィリオン建築のマニフェスト性に着目している。詳しく取り上げられているOMAとSANAAの作品は、どちらも《バルセロナ・パヴィリオン》の再解釈を促す作品である。
特に後者のSANAAが2008年につくったインスタレーションは、最終章「ソフト・マニュフェスト(Soft Manifesto)」で取り上げられており、このコロミーナのマニフェスト論が日本の建築家で締められている点は、我々からすると面白く映るだろう。
コロミーナはSANAAが《バルセロナ・パヴィリオン》に挿入したひと連なりのアクリル板を「カーテン」というキーワードから読み解いている。加えて、近代におけて求められたリテラルな透明性ではない、アクリルやガラス板に残された薄い反射の連続が、鑑賞者の視点に揺らぎを与え、パヴィリオン全体をもう一度新鮮に見返す役割を果たしていると考察している。
そこでは声高に叫ばれていた近代のマニフェストが、反英雄的な変更(ソフト・マニフェスト)によって微妙にずらされ再構成し保存されている。これをコロミーナは本書の題名となっている「ミースの亡霊(Ghost of Mies)」と名付けている。
SANAAのようなマニフェストを明確に出さない反英雄的な建築家の振る舞いは、近代的な建築家のあり方の終焉を示しているのではないかとコロミーナは考える。そしてまだ歴史化されていないデジタルメディアにおいて、建築家のマニフェストの方法がまた変化するのではないかと予期し、この本は終了している。
余談ではあるが、建築家を目指しているであろう僕が、noteという現代的なデジタルメディアでこの本の要約を発信すること自体、皮肉めいた行為なのかもしれない。僕らのメニカンという活動自体、20世紀的メディアであればミースのように雑誌という媒体をとっていただろう。また、ソフト・マニフェストと称されたSANAA的な姿勢を引き継ぐわけではないが、不思議とこのメディアにも声高なマニフェストは掲載されていない。さて、僕らはメニカンをどこに向かわせるべきなのかと、ふと考えさせる一冊だった。
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注釈
1) 彼女に関する簡易なプロフィールと著作リストをメニカンメンバー中村が以前ノートにまとめているので、参照のこと。
2)《リール邸》(Riehl House, 1907)《モスラー邸》(Mosler House, 1924)等のミースの初期作品はインターネットでも見ることができるので、もし知らない方は検索してみて欲しい。これらの作品は近年の作品集においては取り上げられている。