
コスミック・ダンス
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一体、回転する『車輪』とは何だろうか?
それは中心なる神から、世界のすべてが創造展開されていく真理を表していた。同時にそれは、一点から発せられたエネルギーの波動が、360度あらゆる方向に等しく伝わって行く摂理にも重なるものだった。
その形は、様々な植物や動物、そして鉱物や雪の結晶が、中心から円輪放射状に成長展開する原理をも写し絵のように表象していた。同時にそれは、私たちがこの世界を観る、瞳の形でもあった。
回転する車輪のその働きは、人類の文明その運動を根底において支えるメカニズムであり、さらにこの回転という機構は、ATPモーターとして全ての生命活動の源となり、私たちの細胞の一つひとつを動かす生命のジェネレーターでもあった。
そして車輪が確かな中心を持って回転し続ける、その秩序ある姿は、大宇宙に広がる星々や原子の運動とも重なるものだった。
それはまさに古代インド人が直感したように、万有世界の根源から展開する神の遊戯、コスミック・ダンスの顕現とも言える表象だったのだ。

その普遍性を象徴するように、このチャクラの表象は世界中の民族・文化の中で、極めて象徴的な形で人々の心に深く刻み込まれた、魂のひとつの原心象でもあった。
そんなチャクラを、神威と聖性の象徴として4000年間一貫して奉じ続けたインドの人々がいた。その魂の軌跡を象徴するかのように、数千年の間脈々と継承され続けてきた、棒術の回転技があった。
では、そこで手にする1本の棒、すなわちダンダとは、そもそも私たちにとって何を意味していたのだろう?
その原点は、おそらく人類が最初に手にした『道具』だった。
それを使いこなし、常に『相棒』として携える事で、私たちはサルの限界を突破してホモ・サピエンスへの階梯を上り始めた。
先を尖らせた棒で固い地面を掘ることによって、食物採集は地下茎など格段の栄養効率を得た。鋭い牙や爪を持たない裸のヒトがその手に1本の棒を持っただけで、百獣の王ライオンでさえも容易には近づけなくなった。
1本の棒はその魔法の様な力によって、人を万物の霊長へと押し上げていったのだ。

1本のその棒は、やがて長い時を経て槍になり、刀や弓矢になり斧や鎌や鍬になり、そして柱になり、あらゆる意味で人々の生活を支え維持し続けた。
日々の生活の中で様々な形で密に棒と関わるうちに、ある時、ふと誰かが、地面をコロコロと転がる棒を見て、不思議そうに首をかしげた。

幾千万の夜を越えて、いつしかそれは『丸太のコロ』になり、更なる一段の飛躍をへて、ついに車輪が誕生した。
最初の車輪は、車軸と一緒に回転するものだったかも知れない。けれどコロコロと転がりそこから回転する車輪を生み出した丸太は、やがて自ずから転じることを止め、車台にしっかりと固定された不動の車軸となり、それに中心を貫かれる形で車輪だけが回転するように進化を遂げた。
そしておよそ4000年前、北コーカサスの大平原に住むひとつの民族が、かの木製スポーク式車輪を創造した。それは現代文明への道を切り開く、真に画期となる発明だった。
彼らは太く長い一本の丸太を森から切り出し、それを製材しハブ、スポーク、リム(タイヤ)というパーツを創り出し、それらを精緻に組み上げて、丸いひとつの車輪を形造った。

それは限りなく真円に近い美しい形と、スポークによって放射状に等分割された整然たる秩序を持ち、その中心を丸棒の車軸に貫かれ支えられながら、軽やかに回転し大地を疾走した。
これまで論じてきた、原木=柱=棒という定理に従えば、車輪の材料となった原木は=ダンダに他ならない。
つまり木製のパーツを組み上げて造り出す車輪の創造そのものが、実に1本のダンダ=車軸からの『展開』に他ならず、しかもその車輪は同じダンダの車軸によって支えられ転じていく。
さて、ここで問題だ。同じ一本の丸太から作られた輪軸のセットにおいて、車軸と車輪とは本質的に別々のものだろうか、それともひとつのものだろうか?
別の言い方をすれば、車軸にとって車輪は(車輪にとって車軸は)自己であるのか他者であるのか。
目の前にある輪軸のセットにおいて、車軸はほとんど加工もされていない単なる丸太あるいは丸棒に過ぎず、車輪は精緻を極めた造作によって全く姿を変えた美しい円輪放射形をしている。
車軸は車台に固く固定されてピクリとも動かず、車輪はそれに貫かれて華々しくエネルギッシュに回転する。この対照的な両者を見れば、全くの別物だと言う意見が出てもおかしくはない。
けれど元は同じ一本の原木=ダンダである、という事実は何人も否定しえない。そもそも車輪というものは丸太のコロから始まってそこから展開創造されたものであって、丸太・丸棒自身の中に『転がる』という車輪の性質は本然的に備わっていた。
その証拠に、丸太の端を適当な厚さで切り落としてみれば、それはそのまま車輪の如く軽やかにコロコロと転がって行くではないか。つまり転がると言う性質をもつ車輪の実存は、丸太である車軸の中にあらゆる意味で包含されていて、全てそこから展開したものだったのだ。何でそれを「別物だ」などと言う事ができようか。
この車輪製造プロセスと輪軸の関係性において提示された問いは、同時に大樹なるスカンバなる車軸なるブラフマンが、車輪世界を創造・展開していったその姿にも重なって来る。
車輪にとって、車軸とは正しく『そこから全てが展開した原初の一者』だった。ならば、この車輪なる宇宙世界にも同じ一者なる神が存在しているのではないのか?
それこそが、インド思想が持つ底知れぬ探求心と洞察力が、時空を超えて延々と問い続けた『真実』だった。

インド・アーリア人の原心象であり同時に先住民の魂にも深いインパクトを与えた『木製スポーク式車輪』。ひょっとすると、この車輪の回転の中からこそ、現代に至る汎インド教的なあらゆる宗教思想は、生まれ出たのかも知れない…
一本の棒との出会いから始まった余りにも壮大な歴史絵巻。その奔流のようなイメージを瞬間走馬灯のように幻視して、私はしばし言葉も無く立ち尽くしていた。
1本の棒を手にした時、彼は人類史の曙に立ち還る。それを回すことで生み出される美しい車輪の軌跡は、人類・文明の進化・発展運動そのものを象徴する。
1本のダンダをその手につかみ持つこと、それは同時に世界の車軸柱なる神とつながる『サティヤ・グラハ』に他ならない。
それを回し始めた瞬間、サティヤでありプルシャでもあったダンダはプラクリティ、すなわち『コスミック・チャクラ』へと転変し、今度は彼自らが車軸となって、『サティヤ=神』の創造・展開を体現する。
回転するチャクラとひとつになって舞い踊り、小さな自我の束縛から解き放たれて『神仏の理』に限りなく近づいた時、その舞踏は転変する大宇宙の摂理と一体化したコスミック・ダンスとなる。

それは『チャクラ存在』に魅入られたいち棒術家の、過ぎた夢想だったのだろうか。そんな希有壮大なイデアを担った『動的瞑想ヨーガ』のイメージが、私の脳裏には確かに映し出されていた。
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