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信念を持って事に当たる(ヤマト運輸社長・小倉昌男)

半澤洋です。
株式会社インターンの代表として、
人材紹介(キャリアスタンドアップ)
グルメフェス(ふるさとグルメてらす)
ずんだ専門店ずんだらぼ
の3ブランドを展開しています。

仕事において、信念をもって事にあたれるのか、問われる瞬間がきます。
批判
不調
そう言ったときに、この道で本当にあってるのかという疑問とトップは永遠にぶつかり、でもトップである以上必ず答えを出す必要がある。
この意思決定にこそトップの資質と度胸が試されるのだと思います。

今回は現ヤマトホールディングスの生みの親とも呼べる、小倉昌男氏から学びます。


1971年、父親の後を継いで代表取締役社長に就任。
この時、ヤマト運輸の主サービスは百貨店配送など企業の荷物を扱っていた。
しかし、オイルショックで低迷が続く会社を立て直すため、小倉氏が打ち出したのが、家庭から家庭へ荷物を運ぶサービス。
大きな転換に、需要の読めない商売など成り立つのかと批判も声が上がったが、小倉は事業化を断行し、1976年、宅急便事業はスタートする。


初日の取扱個数はわずか11個で、利益はない。
だが小倉氏は、
「サービスが先、利益は後。」

と推進し続けた。
80年度、ついに取引個数は国鉄(現JR)小荷物と並ぶ3330万個を突破した。

しかし、軌道に乗ったに見えたが、問題は絶えない。
郵政省、運輸省などから規制をかけられたり、許可がおりないエリアがあったのだ。

小倉氏は国とも断固として戦った。
一切ひるむことなく。

運輸大臣を相手に行政訴訟を起こしたり、
「新サービスができないのは運輸省の許可が遅れているためだ」
と新聞広告を載せるなど、徹底抗戦を行って小倉氏が認可を勝ち取っている。

すべては優れたサービスをお客様に提供するために。

その後も、
「ご不在連絡票」
「クール宅急便」
など、新サービスを続々と展開し、今や宅急便は日本のほぼ全国のエリアをカバーし、9割以上は翌日配達できるまでになった。


今ではなかなか聞くことがないですが、国と戦いながら事業を拡大してきた人たちもいるということが学びです。
決してひるまず、自分の手掛けるサービスをお客様に届けるために、戦うべきところと戦う信念をもって今日も仕事に取り組みます。

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