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成功者に学ぶ逆境への対処・岩田聡(任天堂社長)「もっともっとと必死に....。」

半澤洋です。
株式会社インターンの代表として、
人材紹介(キャリアスタンドアップ)
グルメフェス(ふるさとグルメてらす)
ずんだ専門店ずんだらぼ
の3ブランドを展開しています。

仕事をしていれば、好調な時もあれば不調の時もあります。
好調な時はよく周りも見えるものだし、眺めもいいです。
しかし、ひとたび不調になると、人は周りが壁に覆われ、見えなくなり、何をどうしていいのかわからなくなります。

人生はどううまくいくかも大事ですが、
どう逆境から這い上がるかもとても大事だと思います。

任天堂は1989年創業当時、主力の商品は花札だった。
しかし、1949年に弱冠22歳で3代目社長となった山下氏のもと、日本初のプラスチック製トランプの開発などでヒットを連発、
83年にファミリーコンピューター発売
85年のスーパーマリオブラザーズの世界的ヒットで爆発的に成長する。

ところが、94年にソニーのプレイステーションが参入するころから人気は陰り始めた。
プレイステーションの持つ画像の迫力やボリュームとの戦いを繰り返すうちに顧客は離れていった。

2002年、山内は危機感を共有する42歳の岩田氏に社長の座を譲る。
岩田氏はすぐさま、
離れていったユーザーを取り戻すことが必要だ。
と宣言する。

当時の主流は、
画像がきれいで迫力があり、情報量が多くてボリュームのあるゲーム。
それが顧客に歓迎されていた。

岩田氏は、
僕らがもっと素晴らしいゲームをと頑張った結果、時間やエネルギーを割けない人たちが「もういいや」と静かに立ち去って行き、

ライバルに勝とうと必死に開発を進めているうちに、肝心な顧客を置きざりにしてしまった。


と分析。
岩田氏は新しい楽しさを提供し、娯楽に徹する任天堂の原点への回帰を宣言。

岩田氏の下で任天堂は、
ニンテンドーDSやWiiを開発する。
そして子供から大人まで遊べる、「脳トレ」やフィットネス、スポーツ関係のソフトなどを数多く開発した。

それらはかつてのファンを引き戻し、ゲームに興味のなかった人たちも新しいファンにした。

努力はしている。
改善もしている。
でも結果が伴わない。

そんな時は周りではなく現状を見直し、改めて本当に大事なことは何かという原則に基づいて選択することが大事だなと感じます。

今日もいい仕事します。

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