まだ、言葉にならない。「ガウディとサグラダ・ファミリア展」
過日、東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」へ。
スペインの著名な建築家アントニ・ガウディ。
その創造の源泉と、”未完の聖堂”と呼ばれ、いよいよ完成間近とされているサグラダ・ファミリアに焦点を絞った展覧会。
実は観に行ってから随分経つのだけれど、興奮冷めやらぬというか、思い出すたびに胸がいっぱいになってしまって、うまく言葉がつながらない。
美しかった。
迫力があった。
打ちのめされた。
どれも正しくて、どれも違うような気がする。
本物のサグラダ・ファミリアを見たこともなければ、ガウディのこともよく知らない。
そんなわたしが、なぜこんなにも胸を打たれたのだろう。
それはたぶん、展示されている作品や、工事中の聖堂の4K動画を通して、ガウディや建築に携わってきた人々のひたむきな想いが伝わってくるような、気がするからだ。
正式名称がサグラダ・ファミリア“贖罪”聖堂だということも、ガウディがミサに行く途中で路面電車に跳ねられて亡くなったことも、初めて知った。
2013年からサグラダ・ファミリアの主任彫刻家を務める外尾悦郎さんはほんの3か月間だけ滞在するつもりで訪れたバルセロナでサグラダ・ファミリアに魅了され、そのまま留まることになった。
45年たった今なお自分を惹きつけられている、と言っていた。
ガウディはこんな言葉を残している。
「サグラダ・ファミリアの建築はゆっくりとしている。
なぜなら、この作品の主人(神)は急がないからだ」
ドローンで撮影したという4K動画には、塔の先端に近い場所で作業をする人の姿も映っていた。
危険を顧みず、自分が生きている間に完成しないであろう建物をつくる仕事をしてきた人々がいる。
何が彼らのモチベーションだったのだろう。
いつかこの場所に集う人々の笑顔だろうか。
あるいは、信仰だろうか。
外尾さんはサグラダ・ファミリアをきっかけにカトリック教会で洗礼を受けている。
ガウディと同じ方向を見つめるために。
何かのインタビューで、洗礼を受けてからは仕事場(サグラダ・ファミリア)は自分の家のような感覚に変わった、と言っていた。
異国の人間の人生を変えるほどのサグラダ・ファミリア。
死ぬまでに一度は、この目で見てみたい。