不思議な出来事

帰国を間近に控えた1月6日、良く晴れた寒い日だった。
土産物などの買い物を済ませ、いつもの店でフライドライスをテイクアウトし、いつもなら警戒怠らず何度も後ろを振り返りながらアパートに向かうのに、少し浮かれていたのだろう。エントランスの鍵穴に鍵を差し込んだところだった。後ろから羽交い絞めにされた。一瞬で何が起こったのかを理解した。
男女二人組だった。ナイフと銃が見えた。エントランスホールで揉み合いになりポケットから金を出すと女が数え一言グッドといいその場を走り去った。その後男は更にナイフを振りかざしながら迫ってきて、エントランスの奥まで追い込まれ僕はそこで倒れこんでしまった。男は恫喝しながら僕をナイフで刺してきた。何度も、何度も。
男は走り去り僕は蹲っていた。助けを求めようと立ち上がった瞬間、音を立てて血が噴き出し辺り一面血の海になった。意識が朦朧として気を失いそうになりながらこう思った。

あっけないな、ここで死ぬんだ。

ほとんど気を失いかけていたところにサイレンの音が聞こえてきて、すぐに救急隊員がどっと僕の周りを囲って頬を叩いた。意識が戻り激痛を感じた。そして刺された箇所を確認し、ああ、死なないなと冷静に認識していた。死に損なったと思った。

ずっと死にたいと思って生きてきた。だからこれでようやく死ねると思ったのにそうはならなかった。
救急車の中で看護師の女性がそっと手を握ってくれた。

運び込まれたのは悪名高きベルビュー病院だった。
応急処置を受けながら床に零れる大量の血を眺め、お腹がすいたなぁ、今頃暖かいアパートの部屋でフライドライスを食べていたのに、しばらく帰国できないなぁ、足は動くのだろうかなどと考えていた。
応急処置が終わり極寒の廊下に移された。周囲には病室に入れない、ホームレスにしか見えない人たちで溢れていた。そこに事務員のような人が現れ保険に入っているかと聞いてきたので保険会社の名前を伝えた。2時間ほど経った頃、また人が現れて保険会社に確認が取れたと告げられ病室に運ばれた。病室は広く天井が高かった。それほど痛みは感じなかったが足が動かないのが分かり後悔と不安がどっと押し寄せてきたがずっとお腹は減ったままだった。
一睡もできないまま朝を迎えた。ようやく朝食にありつけたがあまりの不味さにほとんど食べることができなかった。程なくして数人の医師たちが回診にやってきた。傷を確認し、足を持ち上げられた瞬間に絶叫するほどの痛みが走った。医師たちは確認するため何度か足を持ち上げその度に気を失いそうになるほどの痛みを感じた。神経が切れかかっていたようだった。
刺し傷は足に4か所、手の傷は貫通していた。相変わらずベッドのシーツは血だらけだった。午後になると警察や市職員が訪ねてきて状況を尋ねられそれに応えた。正直、犯人が捕まるかどうかなどどうでもよかったが、入院治療費は犯罪被害者救済制度があるから市が負担すると市の担当者から告げられ心底ほっとした。手術の日程も決まり、そこでようやくルームメートに連絡することができ着替えを頼んだ。
翌日ルームメートが着替えをもって訪ねてきてくれた。そして彼はこう言った。

「Cさんという人から電話があったよ。その時はまだ状況がはっきりしなかったから、ただ不在だとだけ伝えたよ」と。

Cは僕が初めて本気で好きになった人だった。ニューヨークに発つ前に別れてしまったが僕はニューヨークから何通も何通も手紙を書いたが返信は一通もなかった。そんなCが何故電話など掛けてきたのか気になって仕方なかった。

手術の日の朝、鎮静剤を打たれ手術室に入り全身麻酔で気を失って意識が戻ったらもう夜だった。切れかかった神経を探すために足に60cm以上メスを入れられ、手術は成功したと医師から告げられた。手術の後、痛みと高熱、モルヒネの禁断症状に苦しんだ。(痛みはその後数年続いた。)移された部屋は2人部屋で重篤な患者ばかりが運ばれてきた。最初の患者は僕と同じように強盗に襲われた中年男性だった。正面から3か所刺されて意識不明の重体だったがその後亡くなった。次に運ばれてきたのは若いチャイニーズマフィアで背中を銃で数か所撃たれたそうだ。日中マフィアの仲間が見舞いに来ていた。日本では想像もつかないが、廊下には銃を持った警官が何人も警備していた。報復に巻き込まれるんじゃないかと思い、流石悪名高きベルビューだななどと呑気に考えていた。その若いチャイニーズマフィアは数日すると一般病棟に移っていった。僕に中国のマンガ雑誌を置いていった。数日後僕も一般病棟に移された。

返事一つなかった彼女が何故電話を掛けてきたのかずっと気になっていたから彼女に電話してみることにした。そこで彼女は僕にその理由を教えてくれた。
「電話を掛けた日、無言電話があったの。私はすぐにNさん(ぼくのこと)だと思い、何度もNさん、Nさんなの、どうしたのと話しかけたけど何も返事はなくて電話が切れてしまったの。そしてきっとNさんの身に何かあったんだと居ても立っても居られなくて手紙に書いてあった番号に電話を掛けてみたらルームメートの方が出て、今は出かけているって言われたわ。」

無言電話があったのはまさにぼくが強盗に襲われた時と同じ日、同じ時間だった。

それから4週間後に退院し帰国した。その彼女とは帰国した後何度か会ったが付き合うことはなかった。

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