ベルビュー病院の思い出
もちろん強盗に襲われて刺されて良かったなぁなどとは思わないが悪いことばかりでもなかった。
一般病棟に移って数日経った頃、若いプエルトリコ人が同部屋になった。見た目はとても若そうに見えたが妻も小さな子供もいるようだった。普段は車いすのようだったが詳しいことは分からなかった。
ある日の真夜中、しくしくとすすり泣いている声が聞こえた。僕は毎晩痛みで寝られず睡眠薬を処方されていたが寝付くのはいつも明け方だったから直ぐに気が付いた。泣いているのはプエルトリコ人の彼だった。ベッドから起き上がり松葉杖を付きながら彼のそばに行きどうしたのか訊ねた。すると膀胱に通した管が外れて尿が漏れ出していた。彼は聖書を両腕の中に抱きしめながら神に祈り不安で泣いていた。
ベルビュー病院は市立病院なので予算がなく、夜になると広い広い病棟に看護師は一人もいない。いるのはアルバイトの女性一人だった。僕は彼女のところへ行き処置するよう頼んだ。しかし自分は何もできないという。何度お願いしても何もできないというばかりで僕は思わず大声で怒鳴ってしまった。
どうでもいいから彼のそばに行け!
病棟中に響き渡っていたと思う。彼女は医者を呼ぶという。ベルビュー病院には医者もいなかった。夜は隣のNYU病院から来るから時間が掛かるという。もう何でもいいからさっさと呼べ!また怒鳴ってしまった。そして彼のそばに戻り、もうすぐ医者が来るから大丈夫、そう言うことしかできなかった。
30分くらい経っただろうか、ようやく医者がやってきた。僕の担当医だった。僕は医者にも当たり散らしたが医者は申し訳なさそうな様子で僕に礼を言った。プエルトリコ人の彼は処置を終え鎮静剤を投与され静かに眠りについたようだった。僕は医者に彼のことを訊ねた。彼はまだ18歳だった。ギャング同士の抗争で背中を撃たれ脊髄を損傷してしまいもう歩けないだろうとのことだった。
翌朝、彼は元気になったように見えた。僕に丁寧に礼を言い、お互いに自己紹介をした。そしてお互い何があったのかなど話をした。それから家族や友人が見舞いに来ると僕を恩人だと紹介した。彼は病院の中でたくさん仲間を作っていつも面会室で仲間とカードをしたり映画を観たり談笑したりしていた。僕も誘われたりしたが大抵は鎮痛剤で朦朧としているかリハビリと称して病棟内をひたすら歩き廻っていた。
ベルビュー病院は病棟であっても決して安全ではない。金目の物は放置しないように注意されていた。しかし僕は一切危ない目にも遭っていないし何かを取られたこともない。僕には絶対手を出すなと彼が仲間に言っていると聞いたことがある。彼が守ってくれていたようだった。
退院の日、病室で別れを告げると彼は一本のカセットテープを僕に手渡し、俺のことは一生忘れないでくれ、このテープを聴く度に俺を思い出してくれ、そう言った。担当医も病室まで訪ねてくれた。きっと良くなると励ましてくれたのが心強かった。
友人が迎えに来てくれた。病院を後にしJFK空港に向かった。強盗に遭った日と同じ良く晴れた寒い日だった。