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「にぎやかな落日」と母のこと
料理をこがすようになり、片づけができなくなった。
薬の管理ができなくなり、ものを探すことが多くなった。
排泄の失敗が増えおむつになり、外の移動は車椅子となった。
父をなじり、わたしをなじり、自分の思い通りにいかないと癇癪を起すことが増えた。あんなに明るかった人なのにいつも眉間に皺が寄っていた。
わたしも父も戸惑っていた。
どう対処していいかわからなかった。
仕事上、そういう例はたくさん目にしてきたけれど、患者さんと親は全然違った。患者さんには真摯に対応してきたつもりだったけれど、「他人事」だったことに気が付いた。
仕事を続けながら、介護と家事が始まった。
母をなだめるために嘘もついたし、抑制のきかない母に声を荒げたことも何度もある。理解ができないから突拍子もないことを言うし、それを正そうとすると堂々巡りになる。「うんうん」となんでも聞き入れる娘にはなれなかった。「お母さん、それは違うよ」と根気よく聞かせた結果、なじられた。
つらかった。
とてもとてもつらかった。
精神的、肉体的にも相当きつかったのは事実だけれど、母の気持ちを汲み取ることができない、理解できないことが一番堪えた。母の頭のなかには、母の世界があって、わたしはそれを踏みにじり、破壊する人となったらしい。母の世界に合わせようとすると、「嘘つき」と言われる。当たり前だ、わかったふりをしてることは母にはお見通しなのだった。
朝倉かすみさんの「にぎやかな落日」を読んだ。
新聞を読む時間など全くとれなくなってしばらくたつのに、「田村はまだか」「平場の月」「肝焼ける」など好きな作品が多い作家さんの新作がでたことをGWに突入したおかげで新聞広告で知ったからだ。
母と同年代の「おもちさん」が主人公だった。
自分はいたって普通で、ちょっとわからないことが増えてきたけど誰よりも元気で、健康だと思っている。それはおもちさんの主観だ。でも周りはどうか。近くに住んでいるお嫁さん(息子は単身赴任)、東京に住んでいる娘はおもちさんを心配してあれやこれやと世話を焼く。
糖尿病なのだ。うちの母と同じだ。
そして北海道なのだ。うちの母と同じ口調だ。
なにより読み進めるうちにどんどん落ちていくのだ、認知機能が。
おもちさんの心情を軸に話は進んでいくのだけれど、誰より元気で朗らかなおもちさんにどんどんできないことが増えていき、それを娘やお嫁さんがいろいろな手を駆使して、おもちさんに悟られないよう準備していく。でもおもちさんは気付いている。正気と虚ろの間で、あえて騙されていったりするのだ。(それもわからなくなってゆくのだけど)
それがおもちさんの目線で描かれてゆく。
娘の気持ちも、おもちさんの気持ちも小説の中では手に取るようにわかる。
はたと気付く。
母はこういう気持ちだったのだろうか。
そして今もこういう気持ちなのだろうか。
「にぎやかな落日」というタイトル通りに小説は終わりを告げる。
「にぎやかな」という言葉どおり悲しい終わりかたではなかった。
でもあとからあとから涙が出てきて、それはわたしの心のなかにずっとある「母のほんとうの気持ちはどこにあるのだろう」に繋がっていた。いっそのこと完全に呆けてくれたら覚悟できることが、日常会話、意思疎通には問題ないことが邪魔をする。口を開けば罵られるけど、この間ヘルパーさんに「なんにもできなかった娘がこうやっていろいろやってくれて、本当に産んでよかったと思うんですよ。いとおしいというか」って話しているのを聞いて「まって、まって」と思ったことなんかが頭をめぐる。胸の中をぐちゃぐちゃにかき乱されて、母ではない人に母を重ねて涙になったのだと思う。
おもちさんを通して、母の言葉をきいたような気持ちになったのだろうか。
わかったことは、母の発する言葉は嘘ではないということ。
混沌とする母の世界のなかでは正しいことなのだということ。
それを否定するということは、母を否定することになるということ。
どこまでできるかわからないけど、これからもどうしようもなくもがきながらも母をみていかなくてはと思わざるを得なかった。母の世界に寄りそう。わたしもいずれそうなる。宿命だ、これは。
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朝倉かすみさんはおいくつなのだろうと思ったら、還暦なのだそうだ。
インタビュー記事を読む。
やはり糖尿病のお母さまがいらっしゃった。
https://www.bookbang.jp/review/article/679932
そしてどうだ。
この小説のなかでも息子はひどかった。
数行しか出てこないけれど、「うわ、うちのも言いそう」って思った。
そして勇さん。
勇さんのすべてがわたしの涙腺を緩ませた。
「たんす、おべんと、クリスマス」
この仕掛けがわかったときはどうしようもなく苦しくなった。
北海道に住む同年齢は読むがいいよ。
雪、灯油、方言、風習、そして全国共通「親」のこと。