夫という人間について考える
僭越ながら、私には夫がいる。
私は既婚者であり、人妻であり、夫に恋する乙女である。
夫のなにが好きかと問われれば、迷わず答えるのが顔面である。
本人は自分の顔が嫌いだとか言うけれど、ぱっちりしたおめめに高めの鼻、愛情深さを表すと言われる厚めの唇。どれをとっても優勝だ。
特に唇については、その感触のガチャガチャの景品があるならあたりが出るまで回したいくらいだし、なんならいつでもポケットに忍ばせて暇さえあれば揉みたい。
先日結婚を報告した友人に夫の写真を見せたところ、
「え!こんなにカッコよかったっけ!?前はもっと死にかけみたいな顔してたじゃん!!」
と言ってもらえたので、他人から見てもそれなりなんだなと少し嬉しくなった。(死にかけって何?)
次に夫を好きなところと言えば、センスである。
服やインテリアを選ぶセンスといった見た目に関する事柄はもちろん、言葉のチョイスや絶妙な会話の間(ま)まで全てツボである。
同じものを「これ、素敵だね!」と言って愛でられる時間の尊さもさることながら、センスの良い人間に選ばれた優越感まで与えてくれるので本当にありがたい限りである。
ちなみに夫が最近「この人好きだなぁ」とつぶやいていた芸能人はぼる塾のあんりさんだった。
さて、そんな夫に対しても苦手なところがある。
それは『正論が過ぎる』ところだ。
夫は非常に論理的な思考の持ち主で、歯に衣着せぬ物言いをすることがたまにある。
喧嘩ともなれば言い負かされること必至だし、言いたいことがあるときほど感情が前面に出まくってしまう私としてはこれ以上恐ろしい人はいない。
「言いたいことがあるならその都度言う方がいい」
という言葉通り、夫は小さなことでも不満があればその都度言ってくる。
その時は正論ながらも言葉を選び、オブラートには決して包まず「○○してもらっていい?」とあくまでお願いする形で言ってくるので、多少心に刺さるものはあるものの、何をしていいか何をしてはいけないかが明確でわかりやすい。
相手が他人ともなれば、オブラートどころか剥き出しの刃物で突き刺すなんてことは朝飯前の夫なのである。
対する私はと言えば、イラっとすることがある度それを飲み込みやり過ごすことがほとんどである。
例えば家事の負担割合について。
私たちは共働きで、家事は「出来る方がやる」という方針のもとに生活をしているのだが、いつの間にやら食事の用意はまるで私が担当になっている。
私が疲れて作れないときに代わりに作ることなど年に1回あるかないかだし、夫の休日にも関わらず仕事から帰宅した私が作るなんてこともザラにある。
作ったものは出す度に感謝とおいしいという感想付きなのでそれだけでもありがたい話ではあるのだが、私が食事を作る分の家事を夫が他の家事の負担で賄っているかというとそうでもない。
「作りたい気分」「料理を楽しんで出来る」ときというのは全く気にならないのだが、ストレスが溜まっていてそんな気分にもなれないときには夫の何気ない言動がスイッチになることがある。
いつもなら気にならない夫の思い切りの良い「ブッ!!!」という屁の音すらイライラの元になってしまう。
(屁なんてこいてないで、たまにはご飯作りやがれ!)
屁と食事作りという因果関係のない怒りが込み上げてしまうこともしばしば。
こういったときの私は「これが元で争っても、イライラは発散されるどころか険悪な空気が余計にストレスになる」と思っているので何も言わないことを選ぶ。
そもそも家事負担について問題がないと思っているからこそそのままの態度を貫く(屁をこく)のであり、指摘したところでしたくない食事作りを夫に強いることになるか、「私が食事を作っている最中に音の出る放屁を禁止」というめちゃくちゃなルールが出来るだけである。
もちろん他の夫が得意そうな家事を分担してもらうこともひとつの解決策に繋がるだろうけど、そもそも家事を分担制にしなかったことに理由があったからで、きっちり分担することは私たちにとっては理想的ではないのだ。
話が逸れてごちゃごちゃうるせぇなと思われそうなので本題に話を戻すが、夫の『正論が過ぎる』ことに対する苦手意識は、上記のような理由からきている。
「は???」と思っている多くの皆様の為に説明をさせていただくと、
『正論が全ての人を動かすわけではない』
ということである。
またしても「は?」と思っていただいて構わない。
私もなにを言っているのかわかっていない。
私は夫に言い負かされるのが恐ろしいのも事実ではあるが、それ以上に言い負かされてする行動では理想的な関係を築けないと思っている。
正論で自分の言動を指摘されて素直に過ちを認めることが出来る場合もあるが、大抵は「ぐぬぬ…」と苦虫を噛みつぶしたような気持ちになるだろうと思う。
夫婦関係であれば尚更、好き好んで愛し合ってラブラブちゅっちゅで一緒になった二人なので、そんな相手に指摘されることの悲しみや憎しみは何倍にもなるだろう。
感情抜きにして正論でわかり合うなんてことは、到底無理な関係なのだ。
以前付き合いのあった既婚の友人に「喧嘩したときにこんなことを言われてすごく嫌な気持ちになったんだけど、どうしたら相手を納得させられるか?」を相談されたことがあった。
そもそも友人のお相手側の言い分に矛盾を感じたのでそこを指摘すると、「確かに!うわ~そうやって言えばよかった~」と言っていたが、その後理論武装をキメた友人は相手を言い負かすことに快感を覚えてしまったらしく、最終的には離婚していた。
余計なことしちゃったな、と後悔したと同時に「夫婦間の言い争いに正論の持ち込みすぎは危険」ということを学ばせてもらった出来事である。
誰彼構わず正論を振りかざすことがないのは夫の人間性あってのことではあるが、その気になればいつでも人の心をえぐることが出来るというのは身近にいる私としてはある意味殺し屋と生活を共にしているような気分と言ってもいいかもしれない。
本当は、足が臭いとかスマホを見る時間が長いとか思うところはたくさんあるのだが、私の場合夫に対する怒りは大抵「自分にとって都合が悪いこと」なのかもしれないと思えばほとんどが許容するに値することばかりだ。
万が一にでも浮気なぞされようものなら、六法全書を持ち出してこれでもかと正論で責め立ててやろうと思う。
夫という人間について自分なりの気持ちを書いてみたが、夫のイメージが「足が臭くよく屁をこくひろゆき系の男」になってやいないかと少しの罪悪感が生まれるという結果になってしまった。
夫の良いところ(中身)も補足しておくと、小さい子供や動物に対しての愛がすごいし、寝起きがめっちゃいい。基本的には小さいことは気にしないユッティな精神も持ち合わせているので、完璧主義の私からするとすごく救われる。ワカチコな夫だ。
長々と書いてしまったが、この文章量から推察するに私はちゃんと夫を愛しているのだろう。
好きでなければきっとこんなには書けないはず。
これを読んで下さった皆様にも、配偶者や恋人、友人や家族などの好きなところについて改めて考えてみることをおすすめしたい。