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私が台湾へ来た理由

台湾へ来てから1年5ヶ月目突入。
今回は、記録の為になんで台湾へ来たのかを改めて書いていく。

去年の2月まで約2年間、大好きな街タイのチェンマイに住んでいた私。

仕事はフリーランスで日本の仕事をしている為、生活はできていた。
それとは別に、長期滞在に必要なのがビザ。

数年前まではタイはバックパッカーに人気。ビザなど滞在に対してもゆるい、そんなイメージの国だったらしい。
自分はバックパッカー経験はない為、そういうかたちでタイに訪れたことはない。

タイの情勢は年々変わっていき、私の住んでいる間にも多くの変化が。
わかりやすく言うと、外国人滞在のルールがどんどん変化していったのだ。

こういう変化も日常茶飯事なのがタイ。
地元のタイ人も何度もコロコロ変わる税金やルールの変化に慣れっこらしい。

こういう国の事情あって、このまま長期滞在を続けることが不利になると考えた私。

今後チェンマイにずっと住むためにも、自分に合った長期滞在を見つける為にも
無駄滞在を一旦なくし、離れて別のことに挑戦しよう。そう考えた。

別のこととは、"日本語"だった。

チェンマイの暮らしで、唯一興味があったことが日本語を教えること。
教える程の知識はないが、日本語を学ぶ人に対してなぜか興味をもった。
私の知る日本語の世界とは違った日本語の勉強というジャンル。

普段、働くことや仕事に全然興味がない私が珍しく、これには強く興味を持ったのだ。

もう少しこれを掘り下げていくべく、色々調べていたら
次に出会ったのが"技能実習生"という制度。

ベトナム、その次にミャンマーへと広がっている日本の未来を支える人材を育てていく、そんなかんじの制度。

調べれば調べる程、ベトナムで多くの技能実習学校が存在していた。

そこで、チェンマイ滞在中に一度ベトナム ハノイ技能実習学校にボランティアへいくことに。
単独でアポを取り、一人で飛行機でふらっと。1週間の経験をさせていただく。
その内容は今度書くとして。

この経験から、もっと現場を知りたい。
そういう気持ちが芽生えた。

そして決断した。

チェンマイで長く住むために、他の国で日本語の技術を磨いてこよう。
そして少なくとも1年間はチェンマイに戻らず、他国で実績をつくることにした。

そう考えてチェンマイの部屋を退去し、準備している去年1月頃。
中国と関わりが強いタイ。地元のタイ人からコロナの情報を教えて頂く。
そしてマスクをしたり手洗いや、アルコールの指導を仲いいタイ人から厳しく指摘頂く機会がちらほらと。

チェンマイの雰囲気が何やら雲行きあやしくなっていく。

私は日本の友人夫婦が新婚旅行に行く為、その間愛犬2匹のシッター兼お留守番の約束が2月末にあった。

チェンマイで引き続き残り少ない滞在生活をするにつれ、
薬局のマスクが爆買いされている等の
コロナの始まりをガンガン感じていく。

しかし、日本の様子をうかがうとコロナを全然漂わせていない。

不思議だな、と思いながらも嗅覚で何かを察知した私は
ベトナムにいる知り合い、ラオスにいる知り合い、そして台湾の友人に状況を確認する。

日本だけスタートきっていない感ありつつ、いづれ各国同じ状況に至るだろうと推測。
そして、2月中旬に台湾のコロナ封じ込め措置を台湾の友人に聞いた。

"日本より、台湾にいたほうが良さそうだな"

台湾友人との一本の電話で、決断をした。

そして2月末、日本の友人の愛犬とお留守番を約束どおりするべく一時帰国。

本来長く滞在を考えていたが、早く台湾に入国しないとまずいだろうと推測し、お留守番終了後に速攻で台湾に入国成功。

私が台湾入国し、2週間後くらいに台湾は外国人の入国を禁止し始めた。

これが、台湾に移動した全ての経緯。

シンプルにこんな気持ちだ。

"コロナで予定変わった、日本より台湾のが自由で安全だからとりあえずここへ"

こういう安易な気持ちで台湾に来て、まさかの1年5ヶ月が経過。

ありがたいことに、私が入国した時期に台湾に来た外国人は特別な措置として
ノービザの滞在のまま自動延長というかたち。
今もなお、手続きや支払いなく滞在させていただけている。

理由としては、
"世界的なコロナの影響をかんがみて、外国人に特別な措置をとってます"
こんな感じだ。

この台湾政府の措置には驚きと感動が常にある。

外国人にここまでしてくれるなんて、この寛大な対応は一生忘れないし色んな人に言いふらし続けるであろう。

タイやベトナムに旅行でなく、長期滞在したからこそ国の外国人ルールを知っているからこそわかるありがたみ。

こんな風に、何の理由もなく海外生活を送るのは始めてだ。

チェンマイにいた頃の、ビザのことやこれからのことを考えヒリヒリする生活に比べると台湾の生活は全然違う。

それでも私はチェンマイの生活に戻りたい。もはや夢見ている。そんな気持ち。

はじまりは、成り行き任せのなんてことない台湾生活。

しかし、目的や意思が全然ないからこそ
苦しいことに打ち勝つ力も全然ないことを度々痛感。

チェンマイでの苦しみは、
"それでもここにいたいんだ"この気持ちひとつで乗り越える力が湧いてきた。

台湾では、そういうたぐいの気持ちが全くといっていいほどない。ほっといたら、やさぐれてしまうんじゃないかっていう時期もあった。

"日本帰りたい、逃げたい"
"いつチェンマイ行けるの?恋しい"

この感情が定期的にこみ上げて、苦しくて号泣。
日本へ戻ることをイメージして、友人との美味しい日本食や安らぐ空間を想像して。さらにイメージ膨らませて、1ヶ月、もしかしたら3ヶ月、、、

こうイメージするとやっと冷静になる。

はじめは、安心するさ母国だし。大好きな人のかたまりいるし。

でもさ、結局同じなんだよな。

自分の心はチェンマイって決まってる、
じゃあ日本へ戻ったほんのひととき終わったらまた惰性。ここと変わらない。

ここと日本との違いは、

"言語、文化、発見、孤独感、成長、出会い、物価、仕事環境の良さ、自由度"

これを多く感じることができるのは、どっちだ。

こっちだな、うんじゃあここでやるしかないじゃん。

はい、終わり。

この葛藤の繰り返しで、1年5ヶ月目。

こういう暮らし方、生き方もあるんだな。
我ながらそう思っている。

得たものも、もちろんある。

自分にとって大切な人が誰かわかったこと

守りたいものは何か を知ったこと

チェンマイの良さは何かを再確認

日本人でいることの疲労感とメリット

これは一部、ぱっと今思いついたもの。

そしてnoteを通して、各地各国の同じような感覚の人や同じような孤独な人と出会えたことも
台湾にきたことでやってられなくて、noteはじめたからこその結果。

夢から遠のいたようで、
繋がれるはずのなかった遠くの同志のような存在を知ることもできた。

これは、この先の私をより強くしてくれる最高の武器だと考えている。

改めて、人生って捨てたもんじゃないな。
そんなことをしみじみ思っている。

長くなったけど、noteで出会った方々に私は心から救われたり感謝しています。

ここ半年の中で、コメントもらえた文章で3回はぐっと来て泣いたのも事実。

飾らない、思ったままの言葉をくれる皆さん、いつもありがとうございます。

これからも、この場所で出会いたい人がいます。

こんな感じですけど
今後とも、宜しくお願い致します。






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