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【小話:ライフマネジメント】 書く、ビビデバビデブー創造

私が言葉の『書く』からイメージする絵は色々あるけど、人生を”学生”として過ごした時間の割合多もいからか、

ノートとペンで、机でカリカリ…

どうしてもキーワードとしては”勉強”が強くなってしまう。

いわゆる、「書くと脳が活性化して、記憶力や学習能力が高まるよね。」ってやつで。

でも、肩書きとしての”学生”を卒業している今、「学生の時より、けっこう書いてない?私。」と思っている。

それに、学生の時の『書く』って

・黒板をノートに板書する =転写として写す
・問題を解く =問いを定められた論理式で再現記する
・試験で回答する =脳に詰め込んだ内容を書き起こす
とかとか…

けっこう、工業的な作業としての要素が強いよねって思う。
(私が通っていた学校の教育スタイルの特性も大きいと思うけど。)

そして、最初の
「学生の時より、けっこう書いてない?私。」
の、”書いて”に関しては、

学生時代にやっていた工業的な『書く』とは、また違った感覚を持っている。

そんで工業的な『書く』以外の『書く』でも、目的としてはいくつかあって

・仕事のタスクを書く =ToDoを忘れないように管理する
・手紙を書く =誰かに気持ちを言葉・文字の表現として伝える

をはじめ、色々あると思うけど、

今回は、

私の中で、"思考を書く・書いて思考する”と分類されている『書く』について探究してみる。

ちなみに、この時に使う道具たちを「思考帳」って呼んだりしてる。

そういえば、前にこんなことも書いている。

この記事で私は、

〈 ”書きたい”ってどんな欲なんだろ。
 ----------
  ”書く”とは、自分のなかの換気。

 自分のなかの窓から出ていく風が言葉ってことかな。

 風が言葉である。
 言葉が風になる。〉

と言っていた。

工業的じゃない『書く』を少しずつ見つけて、少しずつ自分のものになってきた最近、「私は『書く』がより好きになっている。」ってことなのかなと思ってる。

じゃあ、その
"思考を書く・書いて思考する”
の、なにが私はたのしいのか、おもしろいのか。

いったん言葉にしようとしてみると、

"思考を書く・書いて思考する”

書く行為=没頭できる状態
によって、たのしい・おもしろいが生まれてる

「その瞬間に積極的に注意を向けるもの」をつくれることで、その対象物への集中力が上がり、積極的に発想力や創造力が発揮される

① 発想する・創造する行為:没頭=たのしい
② 発想によって創造されたものに触れる:ふむふむ=おもしろい

こう見てみると、私自身の特性も大きいと思う。

① 発想する・創造する行為:没頭=たのしい
に関しては、

まず、「文字を書く」ことが、けっこう好き。

「きれいに字を書くには?」に、幼い頃から今まで、けっこう強めの好奇心を持っている。

硬筆を習っていた影響が強いのかな。

幼稚園の時だったけど、
「”◯”を上手に書くには〜 (ex. ◯=あ、ヲ、林)」シリーズの授業、今でもけっこう覚えてる。
ひらがな・カタカナ・漢字、どの授業も好きだったな。

文字を覚えると同時に、「字を上手く書くにはコツ・ワザがあるんだよ!」を最初に教えられたことで、

「ワザを使えれば / コツさえ掴めば、字は上手く書けるんだ!」の気持ちと一緒にペンを握ったんだな、私。

(ここにきて急に、私の中で子どもにおすすめしたい習い事に <硬筆> が急上昇。笑

 気になって、当時の習い事の名前を調べてみたら、まだあった!笑

 改めて、送り迎えしてくれたおじいちゃん、本当にありがとう。

あと、母がめちゃくちゃ達筆なことも、すごく影響が強いと思う。

彼女の小学生、中学生、高校生の卒業文集を見たことあるけど、The・字キレイ。それに確か、社会人になってから習字を習い始めて、師範?か何か一番上の段を持ってると聞いた記憶。

小さい頃、自分の持ち物に母の文字で名前を書いてもらうことが大好きだった。
今でも覚えてるのは、黄色の(確かプーさんだったかな)ハンカチのタグにひらがなで書かれた自分の名前。黒い太めのマジックペンで書かれてた。

今のところ、パソコン作業とかで見るフォントも含めて、私の人生最大級にズキュンときた、”きれい”な文字。

このnoteのフォントよりも、全然きれい。

字って言葉として”きれい”が付きやすいけど、
私の感覚としては、あれは本当に”うつくしい”文字。
私の人生最大級にズキュンときた、”うつくしい”文字。

そんな母と、小さい頃から
「きれいに字を書くには?」
の探究を何気なく重ねてきた気もする。

・自分が好きな字を黒板に書く先生の話、その先生のフォントの真似
・自分が上手く書けた字を彼女に見せてみる(周りにいた人間の中で、いつも一段と大きくレスポンスをくれる)
・文字を上手く書くコツの発表会(ex. ”な”のバランスを上手くとるには◯◯がポイントだと思うんだけど、いつも何を気をつけてる?と彼女に聞いてみる)
・最寄り駅の高架下に定期的に飾られてた習字の展示(区?で表彰されたもの、地域の書道の習い事会の作品)に足を止めて、あーだこーだ対話する
・新作の大河ドラマのタイトルテロップ(有名な書道家さんが書いたやつ)を見るたびに、あーだこーだ対話する
・この人の字がすんごい良かったんだよ話、あの人の字すんごい引いたんだよ話
・母が会計時、レシートに書くサイン・ペンの動かし方を、こっそりめちゃくちゃ観察する(今も会う時の観察癖は抜けないけど、強烈に覚えてるのは10年以上前に一度、彼女が急いでたか何かで超テキトーにサインを書いた時、お店を出た直後に「あれはヒドいよ」と言って、「よく見てんね、あんた」となぜか爆笑されたやつ)

さっきの、
ー 字って言葉として”きれい”が付きやすいけど、私の感覚としては、あれは本当に”うつくしい”文字。 ー
の話じゃないけど、

振り返ってみるといつしか、
幼い子どもが、字がキレイな大人から
「きれいに字を書くには?」
を教わるステージ(=字はきれいに書こうねステージ)を卒業して、

最近は、字に好奇心強めの大人2人による
「美しい字とは?」
の探究に変わっている気がする。

一定、それぞれの字のスタイルを認めた上で、
(=母は母のフォント、私は私のフォントを磨くステージ)
”きれい”ってより、”うつくしい”っていう観点での話が増えた気がする。

明確に覚えている境目は、
高校2年の時に、「あなた、”岡”は私より上手いわ。」と言われたことで、
(私と母の名字は、松”岡”)

そこぐらいから、私自身が

お手本的な、きれいな字

アート的な、うつくしい字

の方に意識が強く向いてきた気がする。

気がついたら、自分の趣向も、

きれいな字

味がある字

になってる気がする。

あと、私はけっこう相手、その人の字を(半分無意識に)バキバキ観察するし、なかなか忘れないし、その人のフォントから色々とタイプをラベリングする癖がある。(けっこう自覚も強め)

言葉にするとちょっとキモいけど、誰か名前をフックに思い出そうとした時、顔とか声とかと同じくらいの上位検索結果として、その人が書くフォントは紐づけて鮮明に思い出すし、なんだったらそのフォントを再現して書けと言われたら一定レベルできる気がする。(でも文字の手書き模写はプチ特技だったりする。)

それに、自分で言うのもあれだけど
小3あたりから、何かと周りに字を褒められるようになって、

自分の中で感情的に、
字を書く=ウフフ
と脳にインプットされてる気もする。

いやー、はじめて『”字”を書く』について、自分を棚卸ししたけど、けっこうあったな。笑

あと、同時に
『PCでタイピングする』もけっこう好き。

ペンで字を書くのと、同等レベルで好き。

単純に、頭の思考速度との時差がより少なく言語化できる便利ツールとして好きなのもあるし、

3才〜高3までヴァイオリンを習ってた兼、利き手が右手な手前、無駄に器用になってしまったのにいつも手持ち無沙汰な左手を細かく動かせる数少ない時間が至福。(弦楽器経験者、分かりますよね?)

キーボードでタイピングする指の動きなら右手より左手の方が早いし(ヴァイオリンの弦を指で押さえるのと、動きが激似だから)、右利きの人間が日常で左手の指先を楽器を弾く時みたいに動かすのって、がんばってもポテチとかを取る時くらいだけだから(え?)、単純に楽しい。

だから、ガジェットとしての”キーボード”への興味も強い私。
仕事で会社から貸与されてるPCも、自分で外付けBluetoothのキーボードを買ってしまったくらい。笑

やばい。。。けっこう長くなってきてしまったけど、

① 発想する・創造する行為:没頭=たのしい
に関しては、

こんな感じで、字を書くことが大好きだし、
そもそもこんなnoteをバーーっと書くくらい、考え事がたのしいタイプの人間なので、言葉の通り、

頭の中で、考え事として発想すること、
字を創造する行為が、
夢中で没頭できる、たのしいこと

なのかな。

そして、もう1つ。

② 発想によって創造されたものに触れる:ふむふむ=おもしろい

これは、

・自分がペンで創造した字を見てウフフってなる
・自分がタイピングした文字列を見てほぉーってなる

のはもちろんあるとして、

その大前提として、

自分の頭の中だけにあった、手触り感がないものが
字(もっと近く言うなら、”言葉”かな)になることによって、
直接、手にとれるものにより近づくことが、私の「おもしろい!」につながってる気がする。

コト が モノ により近づくというか、

感覚的で見えにくい、認識しにくい、ただの考え事が、
言葉という輪郭を纏うことで、より可視化されて調理しやすくなる、ある種のビビデバビデブーがおもしろくてたまらない。

そう言えば、前の私はこんなことも言ってたな。

〈 ”つかめない、さわれない、ちゃんとみえない何かを、言葉という道具を使って現像して、認識できる状態にするから対応しやすくなる。みたいな。 
 ---------- 
 現像できると、さわりやすくなるし、つかみやすくなるし、みえやすくなる。だから、それをどうにかしやすくなる。〉

つまり、
自分が楽しくて好きな、考え事という発想作業によって、
創造された思考結果が、
”書く”というビビデバビデブー創造という現像作業によって、言葉という輪郭を纏い、
よりモノみたいに触れることができるからこそ、
より、ふむふむが加速して、そんでまた好きな考え事も進んじゃって、
結果的に、感情としてのおもしろいがドッカーンすることなのかな。

ほほーーーーーう。

そもそも、この記事、

最初に
ー "思考を書く・書いて思考する”と分類されている『書く』について探究してみる。ー
って言ったように、

”書く”と”思考”の『関係性』について、整理したいことがあったら書きはじめたのだけど、

そもそもの”書く”についてで、だいぶ深くまで潜ってしまったから、

本来、ネタとして紙のノートに整理した『関係性』については、また今度ということで。

すごい、これだけで4時間も書いてたな。
4,583文字。

おもしろ。HAHAHA

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