ASDというイカれた特性

僕の実体験と現時点での発症例を書いていきます。

反芻

まずこれが厄介。一日中衝撃的だった出来事やそうでなくても楽しい出来事を考える。
前者の場合自分で制御が一切効かない。
ASDの8割は無職だと言うが、無理もない。
思考が繰り返される。考えたくない事も。

集中し過ぎるため、ルールやルーティンの変化に対応できない(セットシフティングの弱さにより過集中する)等

よく言われる言葉として↓
・考えても意味がないから考えるな
・ポジティブにいこう!
・プライベートと仕事の切り替えをつけろ
・何ぼーっとしてんだよ笑

そんなことを言われてできるならとっくにやっている、むしろ俺を助けてくれ。
非常に迷惑である。反芻という概念に対しても(僕は思うし)、これを言ってくる人に対しても、そして言っている側も俺と反芻という狂気じみたチームワークにより被害を被る。
ネガティブが極限に達して鬱になると、そこから戻ってくるのが非常に難しい。
僕は毎日3〜5時間散歩をして、筋トレをする、友人に会うことで対策している、それにしても厳しい。

共通認識の違い

これもクレイジーです。
脳の作りが違うため、明文化されてない、ルールでは無い暗黙の了解と言われるもの(俺はこれが嫌い)、空気という同調の圧力を無意識に破ってしまう。
会社の上司が自分が不細工なのに他人を不細工だと馬鹿にするのを見て、え?○○さんもブサイクじゃないですか!と言ったり(場が凍りつく)、自身の場合は仕事で、こうセッティングしてくださいと言われた時、こうってなんですか?と聞いた後にそのセッティングの意味やセオリーを理解しなければ応用することが確実にできないという事。(常識の欠如と言われる)

よく言われる言葉として↓
・デリカシーないよね
・察してよ、笑
・そんな丁寧にやらなくていいから笑
・なにがみえてるの??やる気ないの?笑
・見るだけじゃなくて、とってきて!馬鹿だねほんと。

俺から言わせてもらえば、君たちが常識がない。これは軽いジョークだけど、半分は本気。
例えば、そのままでいいのか?このズレをそのままにするなんて正気か!って思ってしまう。
社会性としては経験を積むことで、この手の人間はこれを好まない、好む、と言う法則を見出してメタ的に改善して行った。
自身の主観としては全く異なる意見だが、全てを押し殺すことで社会に隠れるバケモノと成れる。
ビスマルクの言う愚者の体現がこの俺。
とにかくこの常識の違いが全ての生きづらさを招いている、俺が良くても他人が良くなくてまたその逆も然り、俺が嫌なだけだと反芻からの鬱により行動を停止する無能型AIのような有様になる。
対策として、メタ認知の一点しかない気がする。
自身の経験に基づいて他人と社会というものを理解する、文字通り経験と文字で読むことでしか理解できない。
初めてコース料理や二郎系ラーメンを食べた時異様な空気感に圧倒されるだろう、その感覚に等しい。
俺には社会がそう。

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