勝てる企画に価値はない
ちょっと不思議な夢を見た。
自分にとって意味深だったので、書き残しておこうと思う。
自分が関わっているプロジェクトに突然超有名なクリエイティブディレクターが参加してくる。
会議の日、あまりの緊張から僕はうまく説明ができず辿々しくなる。
そこに、クリエイティブディレクターとそのチームは勢いのある世界観を描いたプレゼンテーションを展開して、その場にいたプロジェクトメンバーは圧倒される。
そして、
すごい世界観ですね!
いいですね!
これで進めましょう!
みたいな流れになる。
これまでプロジェクトを進めていた僕はなんだかモヤモヤした気持ちになる。
これまで、みんなでいろんな意見を出しあってコツコツと積み上げてきたプランは、クリエイティブディレクターのプランに圧倒され、脆く崩れさる。
僕はビビりながらも意見する。
このプランはあくまでクリエイティブディレクターの世界観であって、プロジェクトメンバーの考えが反映されてないけど、ホントにそれでいいんですかね?世界観はすごいけど、これ長期的にみて、目的を達成できるんでしょうか?
その時僕はこう感じていた。
さすが有名なクリエイティブディレクターだけあって、ものすごく世界観のあるプランだけど、このクリエイティブディレクターは最後までつきあってくれるんだろうか?プランを出して、あとはスタッフ、もしくは業者がやる感じになるんじゃないだろうか。そして、段々と尻つぼみになってしまうんじゃないだろうか。。
夢なのに、妙に生々しい。
僕は無意識にこういう思いを溜め込んでいたんだろう。
これまでずっとコンペの企画書を書き続けてきた。コンペに勝つことを考え、必死に世界観を描いてきた。その時僕は長い長い未来を見据えていただろうか?人の思いと社会のつながりをイメージできていただろうか。
僕は有名なクリエイティブディレクターではないけど、この夢はそんな問いを投げかけてきていたように思えた。
例えば、WEBプロモーションのプランでオウンドメディアやウェビナーなんかを提案したりするけど、その際どうやって運用していくか、持続させるための綿密な設計が必要になる。
やった方がいいのは当たり前で、持続できるかが問題。
それを考えずに安易に提案するのは、すでに失敗しているのと同じだ。提案側はどこまで付き合えるか、相手側は最終的に自走できるか。
課題解決を誰が、どうやって遂行していくかは、社会が抱える大きな課題だ。
自分たちでは解決策が思い当たらないから、他者に相談する。相談された側は自分の意見を話す。それから?どうする?
予算は無限にあるものだろうか。ただ外部に委託して予算が減っていけば、どんどん尻つぼみになっていく。そうならないためにも、内部にノウハウを蓄積し、どこからかは自走していく必要がある。
今、会社の中はどうなってるだろうか?
みんな伝書バトみたいになってないだろうか。
依頼されたことを右から左へ発注するだけで、スキルもノウハウも身につかない。そうなってないだろうか?
この先は、外部でも内部でも、生産性のある行動がもとめられるようになるだろう。その時に僕はどんな存在でどんな価値を提供できるようになっているか、明確にしておかなくてはいけない。