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それぞれのDesign Leadership #05 – 興味のままに学び、スピーディーに試してひらく

コンセントの組織を構成するグループの1つ「Design Leadership」は、複数の要因とステークホルダーがからみ合い、一方向からでは解決がままならない硬直化した現状に対して、変革を促すためのシナリオ・プランニング、組織デザイン、新規事業創出などのファシリテーションやリードを行っていくチームです。

そのメンバーは、これまでどんなキャリアを積んできたのか。その1人であるデザインリード、サービスデザイナーの赤羽太郎に、これまでのキャリアを振り返りながら、現在のDesign Leadershipの活動について話を聞きました。


就職先は、ヨハネスブルグの大使館…のはずが、まさかの大失態

——まず、現在の仕事について教えてください。

今は社内でDesign Leadership(以下、DL)のメンバーとしてデザインリードやサービスデザイナーの活動をしながら、Service Design Network(以下、SDN)というドイツに本拠地を置くサービスデザインの国際団体の日本支部共同代表をしたり、 大学や Designship Doという実践型のデザインスクールで講師をやらせてもらったりしています。

デザインのイベントもやっていて、SDNで300人ぐらいのオンラインイベントを開催したり、経産省の「高度デザイン人材育成ガイドライン」に関するシンポジウムを行ったり。あとは、サービスデザインに関する書籍の編集協力ですね。これはボランティアみたいなものですけど。

——最初のキャリアは飛び込み営業だったんですよね。その後、サービスデザイナーにキャリアチェンジするわけですが、なぜそのような道を進むことになったんですか。

いや…実を言うと、合理的な理由はあんまりないんですよ(笑)。

大学(国際基督教大学(ICU)教養学部人文科学科)を出る頃の話から始めると、卒業する際に1つだけ就職試験を受けたんです。3年ほど外国の大使館で働く在外交官派遣員という仕事なんですけど、それが運良く受かってしまって。

行き先は、ヨハネスブルグ。実はそのとき、ヨハネスブルグが南アフリカにあることを全然知らなかったんです。「なんとなく名前がヨーロッパっぽい」という理由で志望先に国名を書いたら、それが通ってしまって。でも、改めて調べてみたら「…治安がかなりやばい国だな」と。

実際、ヨハネスブルグに短期留学したことのある友だちに現地の話を聞いたら、「ホームパーティーをやっていたら、隣の家にロケットランチャーが打ち込まれたことがある」と言われました。ただ、現地手当が他の国に比べて高いんですよ。それで、「親にも『一応、就職先が決まった』って言っちゃったし、とりあえず行くか」って。

でも、その後、必要書類の提出日をすっかり忘れてしまって。しかも、その理由が「麻雀をやっていたから」というのが先方にバレて、謝っても許してもらえず、結局ヨハネスブルグには行けなくなったんです。

 

就職先が潰れることを知り、駅構内で思わず上げた歓喜の声

——大学を出た後は1年ほどフリーター生活を送ったのだとか。

仕事をせずに家にいると、親にけちょんけちょんに言われますからね。その後、後輩からも「いい加減、社会に出た方がいいですよ」と忠告されるようになって、ようやく就職を考えるようになりました。そんな最中、ネットの採用サイトで見つけたのが、「あなたも、がんばり次第で年収1,000万!」というキャッチコピー。早速、その会社に応募しました。

——すでに怪しいような気がしますが、それが飛び込み営業の仕事だった、と。

社会人経験をしたことがないし、バイトもあんまりやったことがないし、そういうことがわかんなかったんですよ。すると、面接したその日のうちに採用が決まり、そのときに初めて完全歩合制であることや電車代を出してもらえないこと、パソコンが支給されないから自腹で買う必要があることを知らされました(笑)。

その会社は外国資本のところで、本国プロデュースの新規事業の営業担当だったんですけど、全然契約は取れない。当然、収入も完全歩合制なので稼げない。でも、初めての社会人経験じゃないですか。親からも「3年はがんばれ」って言われていたんで、「石にかじりついてでもやってやる」と決めていたんです。

そうしているうちに、そこそこ売れるようにはなったのですが、1年半経ったころ、その会社の日本支部がなくなることになりまして。通勤中に「今日はもう来なくていい」と連絡が来たのですが、すぐに近くの駅で電車を降りて渾身のガッツポーズをしました。僕の人生において、あれほど心から「やったぁぁぁ!」と歓喜の声を上げたことはないと思いますね(笑)。

その後、実家に帰って引きこもりの生活を続けていたんですけど、半年ほど経ったとき、「いい加減、家から出ていけ」と親に言われまして。それで、就職活動をまた始めました。

営業のヒントを探すために読んだ本がきっかけでサービスデザインの道に

——そのとき就職したのがアレフ・ゼロ(現在のコンセント)の関連会社で、雑誌広告を専門にした会社だったんですね。

あのときは他にも、当時日本では珍しかったSaaSの会社も最終面接まで進んでいました。でもまだ30人ぐらいの小さな会社で、前の会社と同じ外資系でしたし、周りの人から「やっぱり日本の会社の方がいいんじゃない?」と言われて。僕としても「アレフ・ゼロはデザイン会社だし、その関連会社ならおしゃれそうで楽しそう」と、軽い気持ちで入社しました。

前の会社では、電話とFAXだけで営業する必要があったり、相手が部長以上じゃなければ名前を明かしてはいけないと言われていたり、営業ルールが厳しかったんです。だから、普通に担当者に連絡を取って、説明をして、契約を取るという仕事は、すごく平和な感じがしました。

ただ、雑誌広告の営業はそんなにたくさん売れるものでもない。ある程度量をルーチンで稼がなきゃいけない。それでも、経験を積み重ねてプロジェクトを回せるようになったんですけど、30歳前後あたりで、正直な話、ちょっと仕事に飽きてしまって。

 

——それでアレフ・ゼロ所属になって、ちょうどその頃、会社が旧コンセントと合併して現在の形になったんですね。

当時、新しく来た上原さん(コンセント代表取締役会長)と長谷川さん(同代表取締役社長)が「IA」とか「UX」とか聞き慣れない言葉を話すのをよく耳にしていたんです。

そうしているうちに、関連書籍が社内に置かれるようになったので、個人的な興味も手伝って「営業に使えるんだったら、ちょっと読んでみるか」という感じになりました。本棚には英語のものしか置いてなかったんですけど、幸い大学がICUだったので、そんなに読むことには抵抗がなかったんです。

それで、あるときクライアントに「UXってご存じですか」「HCDというものがありまして」と、本の情報を使った営業トークを試してみたんですね。すると、早速仕事になりそうな感じになって。

ただ、社内のUXチームに相談したところ、「今は他のプロジェクトで手一杯だから受けられない」と言われてしまって。どうしようか考えたんですけど、「…まあ、意外と自分がやっても大丈夫なんじゃないか」と。とはいえリスクはあるので役員の塩崎さんにお目付け役として同席してもらいつつ、関連書籍を読み込んで、そこで得た情報を提案書にまとめて、毎週クライアントに提案・説明していきました。

最終的には、僕がベースの設計を担当して、仕上げをデザイナーにお願いするという形で、パワポの動画機能を使ったクリッカブルなプロトタイプを制作して納品しました。それがまあまあ評価をいただけて、そのことがきっかけで仕事が続いていくようになったんです。

その後、社内にサービスデザインチームができまして。そのときに「勝手にUXみたいなことをやってるヤツがいる」という話になり、僕もサービスデザイナーとして新チームに混ざっていく感じになりました。

2014年からはサービスデザインチームのマネージャーを担当することになり、メンバーにプロジェクトを振り分けたり、プロジェクトの難易度をコントロールしたりする仕事にも携わりました。

その流れで、2015年にはSDN日本支部のサポートを行うようになり、2019年にはSDNのGlobal Chapter Teamメンバーに入ることになりました。2020年からは現在のDLポジションになり、デザインの新しいケーススタディをいろいろ試しながらメソッドとして展開している感じですね。

DLは「部下のいないマネージャー」。興味の赴くまま仕事ができる

——ちなみに、DLの仕事をするようになるターニングポイントはいつだったと思いますか?

やっぱりサービスデザイナーとして携わった最初のプロジェクトですね。一緒にプロジェクトを担当したデザイナーはUXを学んでいるアメリカ人だったんですが、つくるのがBtoBのUIで、言葉の壁とかもあったのか、なかなかうまく進まなくて。

だから「デザイナーと一緒につくった」と言いつつ、プロトタイプの作成も半分以上は僕が自分でやったんですよ。それでも、なんだかんだ無事に納品まで辿り着くことができました。それがきっかけで、「何かを売るだけじゃなくて、自分の責任でアウトプットするという仕事もおもしろいな」って思ったんです。いま考えてみると、いきなり大きなプロジェクトではなくて、小さく始められたのもラッキーだったのかもしれないですね。

——DLの仕事のメリットはどんなところだと思いますか。

DLには各領域の知見とネットワークを豊富にもっている人が集まっています。だから、コンセントで受けたことがないような未知のプロジェクトを目の前にしたときでも、とりあえずメンバーとブレストすると有益な情報が集まるんです。そういう場としてもかなり機能していますね。

あとDLは「部下のいないマネージャー」のような位置づけなので、メンバーを管理するコストがまったくない。プロジェクトのパフォーマンスを見つつ、自分の興味関心や試してみたいアプローチを仕事でできる点はメリットですね。もちろんクライアントワークなので、完全に興味だけで動くことはないんですが。ただ、学んだことをいろいろと試しながらプロジェクトを回していくというのは、マネージャーをやっていた頃よりもスピーディーにできますし、おもしろさが増したとは思います。

 

自分で新しい領域を切りひらきたいなら、DLに挑戦する価値はある

——働きやすさという点では、どうでしょうか。

働きやすいとは思いますよ。個人に課される目標が非常に高いという側面はありますけど、その代わりにチームのマネージメントからは解放されていますし、フットワークが軽くなるように承認もスピーディー。かなりフリーに動けるうえに会社の看板も使えるので、そういうところでのメリットも享受していると思います。

今後、若手の人やこれからコンセントに入社してくる人の中から、「DLを目指したい」という人も出てくるかもしれませんよね。そういう意味で言えば、「自分で新しい領域を切りひらきたい」「自分の責任でプロジェクトをやりきりたい」ということを考えている人だったら、DLメンバーになってみる価値はあるんじゃないかなとは思いますね。

——最後に、今後のビジョンなどがあれば教えてください。

やっぱりサービスデザインのプロジェクトをやっていると、クライアントワークの中で実践しきれない部分というのがけっこう多いんです。それは非常に大きな問題で。

なので、「もう少しクライアントに深く関われるようなやり方がないのか」という部分を模索している最中なんですが、結局それを実現するとなると、クライアントの中の人にならないとダメかなとも思って。それで現在はひょんなきっかけから、トヨタ自動車の社員もやっています。

ただ僕は今、大学院(武蔵野美術大学造型構想大学院博士課程)にも通っていて、2つの会社に属しながら研究するというのがなかなか難しくて…。いろいろと読まなきゃいけない論文が多いんですけど、最近はすごく読みが遅いんですよ。

「今度ワークショップで使わなきゃいけない」「セミナーで話すために、新しいネタをインプットしなきゃいけない」というときは3分の1ぐらいのスピードで読めるんですけどね。僕の場合、勉強の先に役に立つものがセットになっていることが思った以上に重要なのかもしれません。

とはいえ、研究も同じぐらいのやる気を出していかないといけないな、というのが最近の課題です。いろいろなデザインのプロジェクト実践をしていることは研究を進めるうえで強みでもあると思うので、何とか卒業できるといいなぁ。


/登場人物:株式会社コンセント|デザインリード、サービスデザイナー 赤羽太郎
顧客視点での新規サービス事業開発や体験デザイン、それを生み出す組織やプロセスをつくるコンサルティングに従事。UX/SD関連セミナー登壇や国内外でのService Design Networkの活動、SD関連書籍の翻訳チームにも参加。HCD-Net 認定人間中心設計専門家。


インタビュー/柴崎卓郎 butterflytools
写真/牧野智晃 〔4×5〕


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