それぞれのDesign Leadership #03 – 誰かの仕事を楽にすることが使命
「Design Leadership」部門は、複数の要因とステークホルダーがからみ合い、一方向からでは解決がままならない硬直化した現状に対して、変革を促すためのシナリオ・プランニング、組織デザイン、新規事業創出などのファシリテーションやリードを行っていくチームです。
そのメンバーは、これまでどんなキャリアを積んできたのか。その1人であるデジタルプロダクトディレクター、ビジネスデザイナーの家内信好に、これまでのキャリアを振り返りながら、現在のDesign Leadership部門の活動について話を聞きました。
就職活動は一切せずに、フリーランスとして活動する
—現在どのような業務を行っているのでしょうか。
企業のDX推進をサポートする立場で大規模サイトやシステム関連のプロジェクトに携わり、さまざまな業務やシステムアーキテクチャに対するコンサルティングを行っています。また、社内のマネジメント体制に問題を感じて、マネージャー制の立ち上げや全社会議、情報の透明性などの改革をボトムアップで実施しました。体制の変更後は、デジタル化に伴う業務変化に対応した社内コミュニケーションのプランニング、トレーニングの企画・実施なども行っていますね。
—社内外で非常に広い領域のプロジェクトを担当している印象がありますが、キャリアをどのように積んできたのでしょうか。
大学は東京国際大学の商学部を出たんですが、大学受験のタイミングというのが世間でインターネットが話題になり始めたときだったんです。1994年の頃ですね。以来、インターネットに興味をもつようになり、データベースやオブジェクト指向プログラミングをテーマとしていたゼミに所属することになりました。そこで、ネットワーク上の対人距離感(パーソナルスペース)がどのような因子で形成されるかを研究しました。
また、在学中に担当教授の仕事のお手伝いをしていて、ホームページ制作などネット周りの実務経験に携わることが多くありました。その関係で、仕事を紹介してもらう機会にも恵まれて、学生時代からそれなりの収入が得ることができていました。そのため「このまま就職しなくてもいいかな」と考えるようになり、就活自体も一切せず……。大学を卒業した後はフリーランスとして2年ほどウェブサイトの制作などをしていました。
フリーランスのときは、プロジェクトベースで仕事をして、時間ができると西日本を中心にいろんなところに行っていました。一番長くいたのは福岡ですね。あとは、大阪や京都。学生時代にネットを通して知り合いになった人たちのところに遊びに行って、ついでに長期で滞在をして、その地域で仕事を見つけたりして……。今で言うノマドみたいな生活でしたね。
あらためて会社組織に所属し、システム開発の広範囲の領域を担当
そうしているうちに、知人から「医療系情報配信・受託システム開発のITベンチャーに入らないか」という誘いがあって。そこではじめて会社というものに所属することになりました。医療情報配信というのは、海外通信社発の医療系記事を国内のドクターに専門分野に合わせてピックアップしてもらって、それをさらに翻訳してもらい、国内の会員に配信していくというようなサービス。そこでは、データベースや画面設計などを担当していました。また、時間が空いているときはまだ主流になっていなかった技術を取り入れながら、プロダクトをつくることもありましたね。
しかも、その会社はフィリピンにも支店があったこともあり、当時はマニラと東京を往復するような生活をしていました。マニラはとても雑多な街で、「30分前までいたスーパーマーケットが爆破された」というような危険も隣り合わせでしたが、逆に言えば日本では絶対に味わえない時間を過ごせたと思います。おかげでそれ以降はどこの国に行っても怖いことはなくなりましたしね。
—その後、ITベンチャーの会社を退職して、別の会社に就職したとか。
会社を辞めた後、日本に戻ってきてしばらくゆっくりしていたんです。すると、前回と同様に、また別の知人から「ちょっと手伝って」と(笑)。このとき入社したのがベンチャーSIerの会社なんですが、ここではオンデマンド動画配信サービスのコンテンツ管理・視聴率計測システム、誌面広告管理・効果測定システム、在庫管理・ロジスティクス運用まで含めたECプラットフォームなど、 BtoB、BtoC、BtoBtoC 問わずプロジェクトを担当しました。
この会社では、火消し部隊としてもよく動きましたね。炎上しているプロジェクトに対して、途中から中に入って立て直しをするようなイメージです。そういう事案が発生したときには必ず呼ばれて、数名のメンバーと一緒に火を消しに行くという。数日の対応で千万単位を売り上げるようなものもありました。でも、その数日でトラブルを抑え、被害を最小限にできたということで、クライアントからはすごく感謝されました。
—ベンチャーSierの時代には、2つの会社の立ち上げにも参画したそうですね。
他社との協業という形で起業しました。ひとつはインターネット広告関連事業の会社、もうひとつはECサイトの会社ですね。両社とも業務オペレーションや実際の会社運営がゼロの状態から携わったんですが、このときのマネジメント経験はコンセントに入ってからも活きましたね。
社内に必要なインフラ整備を役員としてバックアップ
—そして、2011年にコンセントに入社することになります。前の会社を辞めるきっかけは何だったのでしょうか。
実は、前の会社でも「役員になってくれないか」という話はいただいていたんです。でも、「自分にはまだ早い」と思っていたところがあったので、長い間ずっと断り続けていました。それに「この先ずっとシステム開発の会社にいても、やりたいことがなくなってしまう」という感覚がありました。というのも、その会社でつくっていたのは業務システムが中心だったんですけど、当時はエンジニアの都合ばかりが優先されて、ユーザーの都合はあまり考えられていなかったんです。でも、異を唱えても現場はついてこない。そういう状態に少しずつ限界を感じるようになったんです。
それで会社を辞めてしまって、半年くらいはフラフラしていました。そういえば、そのときは近所のスポーツセンターにある弓道場に毎日通っていましたね。昔に少しだけやったことがあったんですけど、そこまでの経験ではなかったので一から練習を始めて。……何で弓道だったんだろう。たぶん、集中したかったんですよね。「体を動かしたい」とも思っていたんですが、そもそもチームスポーツというものが苦手で(笑)。だから、1人で集中してできるものが良かったんです。すると、近所で弓道の体験ができるということを知って。弓道は本当に1人の世界。「勝負する相手がいない」というのが良いなと思いまして。たぶん、気持ちが少し疲れていたんでしょうね。
ただ、そうしているうちに半年くらいが経って、「そろそろ働かないとマズイんじゃないかな」と(笑)。ただ、自分から就活をした経験が今までなかったので、どうしていいのかがわからず、「とりあえずエージェントに相談してみよう」と。ちょうどデザイン業界にも興味があったので、クリエイティブ業界に強いエージェントを探してネット申し込みをしたんですが、翌日すぐに「明日、コンセントという会社の面接が可能です」と連絡が来て。その後、2回ほど面接を行っていろいろお話をして、「この会社だったら、おもしろいはずだ」と思って入社を決めました。
入社してからは、まず大規模なサービスサイトの設計支援やデジタルマーケティング基盤づくりを担当することになりました。デザイン会社の仕事は、自分がそれまでやってきたこととは全然違います。でも、スキルを活かすチャンスがつくり出せそうだとも考えていましたね。
—2015年になるとAZグループが再編されることになり、系列会社のPIVOTが参画することになります。このとき取締役としてPIVOTに移籍していますよね。
そうですね。PIVOTには2年ほど在籍していました。その後、業績が回復してきたのに伴って、再びコンセントに戻ることになった感じです。その際は、ちょうど社内の世代交代のタイミングとも重なったこともあって、今度は役員としてコンセントに入ることになりました。
戻ってきた直後は「CD3(Communication Design 3 division)」という部署に所属して、メンバーがやろうとしている試みをマネジメントするという名目で、デザイナーの働き方やデザイン領域、表現する媒体の開拓など、これまでコンセントが踏み込んでいなかったところを好き勝手にやらせてもらいました。
そうしているうちに、今度は社内のインフラを刷新する「BPR(Business Process Re-engineering)」という部署を立ち上げることに。当時の社内というのはグループウェアが古い状態でした。ちょうど東京オリンピックを目前に控えていたこともあり、「開催のタイミングで都内の交通網が麻痺したときでも、業務が継続できる環境を整えないといけない」ということで、Office365の導入準備をスタートさせました。すると、その後すぐに新型コロナウィルスが蔓延することになってしまって。以来、スケジュールを前倒しにして、完全にリモートワークができる環境づくりを早急に進めていきました。今考えると、早めに準備をスタートさせておいて、本当に良かったなと思いますよ。
新しい分野の仕事を開拓しながら、知見を積み重ねて実践していく
—そして2020年、現在のDLのポジションにつきます。
DLは組織立ち上げ時から携わることになりました。最初の1年間はトライアルという形で運営して、その後現在のメンバーに拡充していきました。
DLをコンセント的に説明するとすれば、「新しい分野の仕事を開拓し、同時に実践していく」ポジション。その際、チームとして動くというよりは、個々の働きの積み上げによって新しいものを生み出していきます。
—DLの魅力というのはどんな点だと考えますか。
やはり、マネジメントする立場というものからも解放されるので、クライアントワークにも、R&D(Research and Development)のような自主研究にも集中できるという点ですね。あと、マネジメントを受ける立場でもなくなるので、比較的自由に動くことができるというのもメリットだと思います。
また、経営層と同等の情報にアクセスできるというのも大きい。コンセントには役員と各組織のマネージャーが情報共有する場が設けられているんですが、DLのメンバーもそこへダイレクトにアクセスすることが可能になっています。そのため、全社の状況や、今後の方針などの部分も、経営層やマネージャーと遜色ないレベルでアクセスすることができます。「企業に所属しながら個人として動く」ことを大事にしている組織ですし、個人の探求を会社がサポートしてくれるという側面もあるので、将来的に夢がある分野だったり、社会的に意義のあるものを胸に秘めていたりするのであれば、DLはひとつの選択肢として有効だと思っていますね。
「自分に使命があるとするなら、誰かの仕事を楽にすること」
—さて、現在に至るまでのキャリアを振り返りましたが、仕事をする上でどんなことを大切にしてきたのでしょうか。
いつも思っているのは、「誰かの仕事を楽にすることが、自分の使命」ということです。例えば「業務システムを使うことで仕事が効率化され、1日3分の時間短縮ができた」というようなことがあったとしますよね。そういうことが私の目指すべき成果なのかな、と。具体的に「何かをつくりたい」というのは全然ありませんし、「何かをしたい」というのもないんです。たぶん、仕事に関しては主体性がないんですよ(笑)。
—最後の質問ですが、今後どのように活動していく予定ですか。
変化が発生した社会をキャッチアップするのではなくて、変化途上にある状況に参加して、実践を通じて得た知見を社会に還元していきたいですね。それは、現在もDLとしてクライアントと一緒に行っていることではあるんですが、そこで得られる「何ができるかわからない」というのが楽しみの醍醐味でもあると思うので。できることだけをやっていてもしかたがないじゃないですか。そういったところに挑んでいけるというのはなかなかワクワクすることなので、そのような活動は今後も続けていきたいと思いますね。
/登場人物:株式会社コンセント|デジタルプロダクトディレクター、ビジネスデザイナー 家内信好
システム開発会社で、関連事業会社2社の設立を経て、2011年より株式会社コンセントに入社。大規模サービスサイトの構築支援やデジタルマーケティング基盤の構築支援などを行う。2014年、株式会社PIVOTの取締役に就任。2016年より株式会社コンセント取締役を兼任。
インタビュー/柴崎卓郎 butterflytools
写真/牧野智晃 〔4×5〕