見出し画像

カット6000円を高いと思わなくなった理由

美容室なんてどこでもいいや、と思っていた。同年代の女子が行ってそうな、当たり障りのないお店でいい。新規クーポンでお得になると嬉しい。そんな風に特に期待することもなく、毎回なんとなく検索する、いわば美容院難民だった。

ところが、5年ほど前、私は運命的な出会いをした。一度きりと思って選んだ美容室で、偶然担当してもらった美容師さん。どちらかといえば、価格は高い方だと思う。会社員になった今でも、予約をするときは弱気な声が頭をよぎる。前回のカットから4週間しか経ってないし、あと1週間我慢できないかな。それでも、他の美容室を探そうと思ったことは一度もない。

*

もともと美容師さんとの会話は苦手だった。

夏休みはどこか行くのかと質問されて、スリランカに行くと言ったら、すごいですね!僕、この歳まで一度も海外に行ったことがなくて(笑)と返された。仕事だから義務的に質問をしたんだろうなと、心がスーッと冷めていき、会話を続けるのが億劫になった。勝手に、金銭感覚の差を感じて、ちょっと悪いことをしたような気持ちになった。急に椅子が硬くなった気がして、身じろぎをした。

考えてみれば、美容室での雑談って恐ろしく難易度が高いのかもしれない。美容師さんが私について知っている情報といえば名前くらいで、年齢も職業も家族構成も知らない。かといって「彼氏いるんですか?」なんて踏み込んだ質問も気軽にできない。そんな状況で、特に話したいとも思っていないお客さん相手に、なんとか見つけた話題で話し続けないといけない(場合によるかもしれない)。

*

私が出会ったその美容師さんは、会話が上手だ。

スリランカの場所を知らなくても、どこにあって何が名所なのか聞いてくれるだろう。私は、インドの右下にある小さい島で、世界遺産のとんでもなく大きい岩があって、その上には宮殿の跡があると答える。そうしたらきっと、詳しく質問してくれるか、他に行ったことのある世界遺産を尋ねてくれる。ほどよい打ち返しが、ストレスフリーで心地いい。

画像1

もしかすると、その美容師さんは質問を続けずに、自分の行ったことのある国の話を始めるかもしれない。

その美容師さんは、何でも熱っぽく語ってくれる。

たとえば、前髪の切り方ひとつでも、ハサミを縦に入れるのか横に入れるのか、上下でレイヤーを分けるのか、梳きバサミを使うのかなど、色々なパターンがある。額の形や髪の生え癖を見ながら、完成形をイメージして切っていると、細かく説明してくれた。そう聞いてから、私は前髪カットで美容室に行くようになった。

ほかにも、その美容師さんに教えてもらったことは山ほどある。ハサミは自費で買わなきゃいけないとか、定期的に研ぐ必要があるとか。火曜日は美容師のお客さんが来る確率が高いとか、美容室専門のコンサルタントがいるとか。

美容師という職業は、高度な技術を日々訓練している職人だと知った。

そして美容室は、身近な異世界との接点として、私の好奇心をくすぐる場所になった。

*

その美容師さんは、私の苦手意識も消し去ってくれた。

私は「この髪型にしたいです」と希望を伝えることが苦手だ。そもそも、モデルさんの髪型をまねても、イメージ通りになった試しがない。

たとえば、逃げ恥のみくりさんがかわいくてショートカットにしてみても、「なんかイメージと違う」状態になるだろう。ガッキーと私では、顔も骨格も全く違う。セットが意外と大変かもしれない。じゃあ何を目指したら…と、もやもやが渦巻く。

画像2

その美容師さんは、私が「ちょっと短くしたくて」くらいしか言わなくても、何の戸惑いも見せない。会話の端々から、髪の悩みや普段のヘアスタイルを聞いて「じゃあ今日はこんな感じで行きましょうか」を提案してくれる。

しかも、私を納得させるのが上手だ。頭の形を生かして梳いているとか、後ろの方は上向きの癖が出てきたから重めにしているとか、説明してくれる。頭の形や髪質を、全部考えてくれたと思うと、これが最適解だと自信がわいてくる。

だから、正解がわからない私でも「なんかいい感じに仕上がったな」と思える。美容室の帰り、街を歩いている見知らぬ人たちに、髪切ったんだな似合ってるな、と見られている気すらしてしまう。

*

驚いたのは、その美容師さんがもともと人見知りらしいということ。アシスタント時代に上司に注意されまくり、コミュニケーション能力を鍛えられたらしい。

美容師は技術だけでなく、コミュニケーション能力にも長けた職人だ。ますます尊敬するようになった。

私は髪を切るとき、職人さんを1時間ほど拘束することになる。設備や土地にかかっているお金も考えると、カットで税込6000円以上の価格設定にも納得できるようになった。

*

その美容師さんと出会って、私の美容室への足取りは軽くなった。どんな髪型にしたいか決まっていなくても、どんな色にしたいか決まっていなくても、もう大丈夫だ。

私には、美容師さんがついている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?