【#現代4コマ】流行は味がなくなるまで煎じておけ
ぷらりねさんの『ブルーレットおくだけ』に評論文を添えるのが流行っているらしい。ということで私も添え4ならぬ添え評をしようと思う。
添え4について
さっきちょっと名前が出てきたけど、現代4コマには「添え4」という表現方法がある。これは本来主役である4コマを脇役へと奉じさせるというものだ。
脇役となったそれは4コマ以外の何ものでもなく、「4コマである」という他に情報を持たない。だからどこにでも配置でき、無理矢理画面に4コマ性を持たせたいときに非常に便利である。
以下は代表的な添え4作品だ。ここではあくまでもミ〇キーが主役であり、4コマはただそこに描かれているだけとなっている。
ブルーレットって脇役じゃないか?
ブルーレットは小林製薬の製品だ。置いておくとえらいやつ。
さて、ブルーレットくんは主役になり得るか論じたい。彼はトイレをキレイにするのが役割だ。トイレは彼の舞台であり、そこにいる限り主役を務めることもあるかもしれない。
しかしそのトイレを舞台にする者は他にもいる。それは人間だ。我々が用を足してるとき、トイレにとっての主役はブルーレットではなくなる。つまりそのあいだ、ブルーレットは脇役─トイレを彩るキャストのひとり─になるのである。
ブルーレットおくだけ
悲しいかな、人間は彼らの舞台を奪ってしまう。しかもそれはトイレに限らない。ぷらりねさんの「4コマにブルーレットがおかれている」絵。これは添え4の反対で、4コマに他のものが添えられている。否、ここでは置かれている状態だ。つまりこれは添え4ならぬ「ブルーレットおくだけ」だ。このときブルーレットはブルーレットであること以外の情報を持たず、その役割は4コマを引き立てるのみである。ゆえに画面の4コマ性は依然維持されているのだ。
結論:脇役も大切
ブルーレットは「ブルーレットおくだけ」をされているだけだった。でも脇役って大事だ。これがあるだけでこんなにおもしろいし、(なぜか)様々な論説が発表されている。
そもそもブルーレットはそこに存在するだけで有用なのだ。だから自信を持って4コマの上に乗っかっていてほしい。
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