井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#2
(2)子どもたちが「自分」を表現できる場が少ないというもったいなさ
親がしんどいのは「不安」起点だから?
「親の不安を起点にした子育てはしないほうがいい」と井上さんは言います。
その大きな理由は以下の2つです。
1つ目は、親自身がしんどい状態になってしまうこと。
2つ目は、子どもが育つときにはその環境が大事であり、親もまたその環境の一部だということです。分かりやすくいうと、親が不安起点で子育てをすると、それは子どもにも少なからず影響するのです。
高1のAくんが「不安を持っていると自由になれない」という本質をついた発言をしたことに、私は驚きました(#1参照)。
自分が高校生のとき、そんな発言はできたでしょうか。頭の中でいろいろ考えていたことはありましたが、それを言語化して周囲に伝えられたかというと、当時の私にはできなかったと思います。
振り返ると、自分自身が子どものころ、自分の考えを聞かれたり、その考えを心から安心できる場で表現したりした経験はほとんどなかったと記憶しています。
今私は米国に住んでいます。現地校において印象的なことの一つが、子どもたちが自分の考えを表現する機会をたくさん与えられていること。何かプロジェクトに取り組んだら授業中に発表することを求められますし、作文の宿題一つとっても、「自分がハロウィンパーティを企画するとしたらどんなパーティにするか」といったテーマが与えられるなど、常に「あなたはどう考えるか」を聞かれ、その結果を表現することを求められます。そのような機会を小学生のときから与えられ続けると、自分の頭で考えて、それを表現することが日常的な営みになるのだろうなと容易に想像できます。また、その過程で「私とは誰か」を知ることにもつながるでしょう。
これまでライターとして取材してきた中で、「日本の子どもたちは『あなたはどう思う?』『あなたはどう考える?』と聞かれる機会が少なすぎるのではないか」と指摘する教育の専門家に複数会いました。自分を知り、自分で考え、それを表現する力は、今の子どもたちに必要な基本の力だと思います。
Co-musubiのオンラインミーティングを初めて見たとき、子どもたちが気負いなく自分の考えを発言している姿に驚きました。もちろん参加して間もない子どもたちは、いきなりよどみなく発言できるわけではありません。でも、井上さんやほかの子どもたちがその意見を受け入れてくれるのだということが分かり、「ここでは自分が思ったことを、恥ずかしがったり、間違いを気にしたりせずに言っていいんだ」と気づけた瞬間に、変わります。
それぞれの個性から出てくる発言は、時に素敵な笑いを呼び起こすアイデアだったり、大人からは出てこないような素朴で深い気づきだったりします。
「正解/不正解」「いい/悪い」「効率/非効率」といった二軸に囚われずに、心理的安全性が確保されて発言できる場が、子どもたちには継続的に必要なのだとしみじみ感じます。この経験を繰り返すことで、自分で考えて表現すること、また反対に誰かの考えを聞くことが日常になります。
(次回#3に続く)
書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親)
新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。