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井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た#8

#8 アメリカで見た、親の「応援表現力」
(8) 謙遜の文化と「私なんて……」のつながり

 前回(#7 多くの親が陥りやすい「ちいさな病」) の続きです。親の「ちいさな病」がある上に、日本には謙遜の文化があります。

 自分の子どものよいところを誰かにほめられたら、「いえいえ、うちの子なんて……」と謙遜してしまうことはありませんか。でも、それこそ「もったいない」と思います。

 せっかく気づいてくれたのだから、素直に感謝して、そのよいポイントを伸ばす機会にしたいものです。反対に、子どもがその場にいるのに「うちの子なんて」などと謙遜すると、それを聞いた子どもは「そうか、自分はできてない子なのか」と受け止め、マイナス方向に働いてしまうかもしれません。

 「たいして出来てもいないのに親がそれをほめることで勘違いしたら困る」という意見もあるかもしれません。私もそう思ったことがあります。でも、勘違いして丁度よいくらいではないか――今アメリカに住んでいるので特にそう感じます。

 アメリカで自分が見聞きしている子育て周辺の文化には、「いいな」と思う点とそう思わない点の両方があります。見習いたいと感じているのは「親の応援力」、いや「応援表現力」とでも呼びたい習慣です。小学校の音楽発表会など、親が観客となって、子どもが成果を発表する会では、盛大な声援(本当に大きな声で!)や拍手が飛びますし、失敗があろうがなかろうが最後はスタンディングオベーションも。拍手喝采を浴びる子どもたちの表情は本当に自信に満ちています。

 出来、不出来に関わらず、誤解を恐れずいえば「その場に居る」ことに惜しみなく派手な声援と拍手を送る親たちの姿を見て、この環境の中では、子どもたちが失敗を恐れることなく、自分の意志でみんなの前に立ち、気軽に新しい何かに取り組む姿勢が育まれやすいのだろうなと思いました。実際、みんなの前で自分を表現する機会があると、率先して手を挙げてイキイキ取り組む子が多いのには驚かされています。

 謙遜の姿勢と、応援表現力の多寡は深いところでつながっている気がします。

 私自身、何か新しいことに直面したときに「私なんかにできるかな」と躊躇してしまうことがよくあります。異国の地で、新しい小さな挑戦を迫られている毎日だからこそ、自分自身が育つ過程で謙遜の文化に影響を受けて来たことのもったいなさを痛感しています。

 もちろん、みんながヒューヒューと派手に叫んで拍手する人になる必要はないと思います。ただ、子どもに見せる親の謙遜の言動が、子どもの「私なんかにはできないかも」という残念な消極姿勢につながる可能性があることを自覚するだけでも、未来は違ってくると思います。

 タキビバでも先日、参加者から「子どもを謙遜してしまう文化」についての話が出ました。自分の子どもをほめられたら、謙遜する代わりに「ありがとう」と言えるといいね、とみんなで対話しました。

 子どもの周囲で使う言葉は、子どもの環境を構成する要素のひとつです。気づいた人から変わっていけば、世の中は少しずつ変わります。

(#9に続く)



書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親)

新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。



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