井上さんと一緒に、「もったいない子育て」をやめる旅に出た #33
#33 小さな「自走」のサイクルを回す練習
対症療法に陥りがちな子育て④
(#32の続き)
「Co-musubi」小学校高学年ミーティング「授業博覧会」の続きです。自分でテーマを決めて、各自5分間の授業を行う「授業博覧会」。
自分の好きなもの、関心のあることについて授業をするから、起点となるのは自分です。でも、みんなに分かりやすく、楽しく学んでもらうためには、聞く側の視点になって工夫するなどの努力も必要です。準備の過程で、家庭内に新たな対話も生まれます。
そして当日、大いに盛り上がりました。みんなに手を動かしてもらったり(例:「4コママンガを描いてみてください」など)、問いを投げかけたりといった工夫がされた授業もありました。
各授業の後、全員が「先生」に対して感想や質問を言うことになっています。子どもたちは競うように手を上げます。「先生」は、質問されることで、自分が思ってもいなかった角度からそのテーマを見る機会を得られます。また、感想や質問が、新たな対話のテーマになり、話が盛り上がる場面も。自分が授業をした素材がきっかけとなって新たな対話が生まれる瞬間。そんな時間を体験すると、子どもの胸には小さな誇りと自信が生まれます。それは次の学びへ向かう土台になります。
後日、保護者同士で話す機会があったとき、「うちの子は、納得のいく授業ができなくて後で悔しがっていた」という話が出ました。小さな「自走サイクル」の一歩を踏み出したのかもしれません。
ここで使う「自走」とは、親がしてほしい「勉強」を自ら進んでする、という意味ではありません。
「自走とは、自ら挑戦して、挫折することもあるけど立ち直り、自分でどうするか考える。行動と内省を自分で繰り返す、動と静の繰り返しだと思っています。挑戦とは、自分の人生を切り開いていくようなものを指します」。井上さんはこう説明します。
でも、例えば高校生になったからといって突然自走できるようにはなりません。「小さな自走のサイクルを回して回して、だんだん自分というものが鍛えられていくからこそ、大きな挑戦を伴う自走もできるようになると思います」と井上さん。子ども時代は、小さなサイクルを回し続ける助走期間とも言えます。
その子にぴったり合ったストレッチゾーンとは何か。親子単位で家庭内で見つけられるストレッチゾーンもありますが、親子だけで見つけるのは難しいこともあります。コミュニティの有機的なつながりと環境のおかげでそれが見えてくることもあります。
同じ年代の子どもたちで一緒に学ぶことの意義を心から実感できた時間でした。同時に、一問一答の対症療法ではなく、子育てにおける「根本解決」にみんなで向かうことができる ――そんな可能性がしっかりと見えた時間でもありました。
(#34につづく)
書き手:小林浩子(ライター・編集者/小学生の親)
新聞記者、雑誌編集者などを経て、フリーランスのライター・編集者に。 自分の子育てをきっかけに、「学び」について探究する日々を重ねる。現在、米国在住。