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Co-musubiの小学生たちは、7〜8月にかけて「元素」をテーマに学んでいます。
私たちの体、宇宙、身近なすべてのものが元素でできていることを意識できるよう確認しながら、それぞれのペースや学び方で進めています。

先日は、終戦の日が近いということもあり、ご家族で平和について話し合うきっかけにもなるようにと、核分裂に関するリーゼ・マイトナーと、オットー・ハーン、そしてアルベルト・アインシュタインとマンハッタン計画について取り上げました。

周期表の歌などを活用し、元素名が耳に馴染んでいた子どもたちは、マイトナーの名前に由来する「マイトネリウム」に「お〜!」と反応しながら、物語とともに、原子爆弾と戦争について元素とつなげて知ることができました。

ちょうど、日本の原爆研究を昨年NHKがドラマ化した「太陽の子」が、映画として公開中という情報もあわせて紹介しました。


すると、小学6年生のYくんが、映画を観て家族で話し合い、元素について自分の考えを添えてまとめたとご報告をくれました。


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太陽の子という映画を観ました。
1945年の夏、主人公が仲間とともに原子爆弾の研究開発を進めていた話で、映画の中で「人は何でできているのか?」「死んだらなくなるのか?」というセリフがあり、人は元素で出来ている。死んでもなくならずに循環すると言っていました。
人が死んでその遺体を焼くと骨が残り、骨はカルシウムとリンで出来ていますが、人間は窒素、カルシウム、水素、酸素、炭素などでも出来ているので、目に見えないそれらはどうなるのかを考えると、例えば体内にあった水は気体となって空気中にたまって雲になり、雨となって海や山や川に降り注いで、魚や植物に循環していると思いました。
少し前におじいちゃんが亡くなって、火葬場に行きましたが、火葬場の煙突からでるけむりには、おじいちゃんの体内にあったわずかな元素が含まれていて、その元素はこの世界で役立っているんじゃないかなと考えました。
それは、宇宙の仕組みに似ているとも思いました。
科学者が兵器を開発していいのか、という台詞が映画の中でありました。
科学者は兵器を開発してはいけないと思う。
それぞれに大切な人がいて、戦争は大切な人を失わせてしまう。
沢山の人が犠牲になったことを思うとなみだが出ました。

ぼくが太平洋戦争の時代に生まれていたら、人のことを殺したくないし、自分も死にたくないので、戦争に行かなくていい職業に必死についたと思う。
ぼくのおばあちゃんの家は長野で、東京から疎開してきた人たちを受け入れていたと聞きました。
最初はお金と食物を交換していたけれど、お金がなくなってくるとその人たちの持ち物を交換したそうです。
そうやって助け合いながら生き延びられてよかったと思う。

彼は、元素の学びと映画の台詞から、大切な人の死について丁寧に考えました。
人の死を初めて体験し、悲しみよりも恐怖が勝り葬儀では泣くことも出来なかったそうです。
しかし、丁寧にご家族との対話を重ね、

「おじいちゃんの体内にあったわずかな元素が含まれていて、その元素はこの世界で役立っているんじゃないかなと考えました。
それは、宇宙の仕組みに似ているとも思いました。」

と理解し、死を柔らかく受け入れることが出来ました。

また、
「科学者が兵器を開発していいのか」
という、難しい問いも映画から受け取り考えました。

彼ははっきりと、
「科学者は兵器を開発してはいけないと思う。」
と、自分の考えを表明しました。

「それぞれに大切な人がいて、戦争は大切な人を失わせてしまう。
沢山の人が犠牲になったことを思うとなみだが出ました。」

と、他者の痛みを感じ、人間の尊厳から問いに答えました。



ノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマン教授は、「もしも一大異変が起きて、科学的知識が失われて、ただ一つの文章だけしか次の時代の生物に伝えられない場合、最少の語数で最大の情報を込めた文章はどんなのものか?」という問いに、「あらゆるものは、原子からできている」と答えました。

元素を学ぶとは、究極の1点からどこまでも世界を広げ学べるということだと考えます。

保護者の皆様には、(手法が愉快なものであっても)「元素を記憶すること」を目的とした学びに狭めるのではなく、創造的に学ぶ手助けや選択をしてあげていただきたいと願います。

複雑な世界を捉え柔らかく理解できる子どもたちの豊かな思考を、ぜひそのまま大切に守り育ててください。



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