【35歳未経験ワーママ転職物語③】~17年間も何をしてたの?ママ編~
18歳で思い描いたインテリア・建築業界への憧れ。
35歳までそこにたどりつけなかったのはなぜ?17年も何してたん?と思われたと思うので、まずは人となりを綴っていきます3部作の第3部。こちらはママ編です。
概要を知りたい方はこちら。
ママになって選んだ仕事とその基準
2015年に長女を出産。私に似ず、お顔立ちがなかなか整っている子が産まれ、子供は本当に可愛かったです。
夫の会社が大阪に支店を作るというタイミングで、夫婦揃って大阪人の私たちは、大阪に戻ることになりました。
そして産後半年で、金銭的にも助かるという理由と、夫の支店を支える事務パートがいないという理由が重なり、ゆる〜くリモートと出社を併用しながら社会復帰。
(ちなみに私が新卒で入った、夫と出会った会社に出戻りしました!)
数カ月アルバイトとして働き、保育園入所のことも加味してフルタイムの社員になるか考えようというタイミングで、すべてを知っている上司に転職活動をもう一回させてもらうチャンスをもらいましたが、相変わらず業界未経験。かつ1歳の子持ち。
数社受けましたが、ほとんど相手にされませんでした。
・夫の会社にいさせてもらえば、保育園に入れる
・知り合いばかりで夫もいるから
子育てしながら働く仕事としては最高の環境
・残業なし
・こんな私を社員として迎えてくれる
・一番大きかったのは副業OKだったこと
が決め手となり、
働かせてもらいながらパラレルキャリアで、インテリア業界に近づこう
という意思決定をしました。
このあたりで、子育て優先になって
仕事や夢をあきらめるママも多いですよね。
子供は可愛いし、子どもの人生を背負い始めたから、
自分のことばかりも言ってられない気持ちもすごくわかります。
友人も親もそういう意見が多かったですし、何度も流されました。
でもなぜか、私は往生際が悪かったんです。
もう少し、諦めたくないなって、気持ちがぶり返してしまいました。
パラレルキャリアで実績を作る日々
パラレルキャリアの意思決定をしてからも模索は続きましたが、
・帰ってきた関西の知り合いを新たにつくる
・Instagramをプライベートと分け、本格運用開始
・パラレルキャリアのオンラインサロンに入って刺激を受けながら活動
・とにかく頂いた仕事は何でもやる
・自分のことを応援してくださる応援団作り
・新たにコミュニティに入る(食べるプラス、NEXTWEEKEND)
に注力しました。
またこの時期一番大きかったのは、
ライフオーガナイザーという収納片付け資格との出会い。
10年前に取ったインテリアコーディネーター資格が次の就活に生きるとはとても思えない。今自分が何を頑張っているのか、証明できるものを、と考えた時、調べに調べてこの資格を取得することを決意しました。
パラレルキャリア歴は途中で出産もはさみますが、4年近くになりました。
ようやくインスタフォロワーさん1000名、インテリアのお仕事も収納のお仕事も、個人としていただくようになり始めました。
活動実績というものを、就活で出せるようになるまで、やり続けることができたのは、周りで同じように頑張っていた人たちのおかげです。
二人目問題と転職活動のタイミング
最初は二人目を産むことをためらっていましたが、夫が2人いてくれたらいいな、という考えの人でした。
仕事も大事だけど、
まず土台にあるのは円満な家庭だよね
夫婦どちらかに子供のことで、あの時ああだったら、という後悔が生まれてしまうのも悲しいかな
と思うになり、あとはいつ産むかということばかり考えていました。
この時点で企業で働いている女の人なら、ぶっちゃけのところ、産休をとらせてもらえる最適な方法を考えますよね?
当時の会社の上司が、産休とるのは権利だから取ってね、といってくださる方だったので、取ることありきで計画を練らせてもらえたことは本当にありがたかったです。
恩返しになっていたかはわかりませんが、私は自分ができ得る最大の貢献を会社にしました。
一人目のとき、ちょうど産休がとれない時期に妊娠したというのもあって、できれば取りたい、という思いもあったのかもしれません。
考えていた案は2つ。
子供の年齢7歳差案
勤めている会社を2年ほどで退社し、新しい仕事で2年以上頑張ってから、新しい会社で産休をとらせていただく
子供の年齢差近い案
今の会社で1年半以上がむしゃらに働き、産休をとらせていただき、すぐ復帰してある程度貢献して、転職活動をする
当初は子供の年齢差があいてでも、少しでも自分の年齢が若いうちに転職活動をしようと思っていました。7歳差兄弟の人を見つけてはいろいろ聞いたり。そのため、求人とは常に向き合っていました。
モデルルームコーディネートの会社の面接を受ける最大のチャンスもあったのですが、私のスキル不足に加え、自分のことばかりの発言をしてしまったのか、熱意伝わらず、アルバイトですら不合格。
アルバイトもだめなんだな、と極度に落ち込みました。
結局、1つ目の案でもない、2つ目の案でもない、迷走ぶりが伝わる、4歳差で次女を出産。
当時の会社で産休をとらせていただく決断をしました。
次女出産後にどう動いたか
次女が産まれた月が9月だったので、一斉入所時期しか保育園に入れないエリアの我が家は、半年か1年半の産休の選択をせまられ、生後半年で職場復帰することを選びました。
(ちなみに育休は最高でした。でも私には時間がないと思いこみ、焦っていたんです。ベストは8〜10ヶ月子供といたかったのですが、半年と1年半の取得では転職時期が2年近く変わる。悠長なことも言ってられませんでした。)
復帰と同時に、
1年後の35歳までに企業勤めのために動く、最後の転職活動がしたい。この会社を辞めて、退路をたって、バイトでも派遣でもいいから業界にもぐりこみたい。
ということを上司に伝えました。
(非常識に見えると思いますが、それが許されたありがたい社風の会社。伝えることで会社もそのつもりで私の仕事を与えてくださいました。)
最後の転職活動といったのは、私が設計までできる人になる夢をあきらめるか、あきらめないかという意味で、一般的な職業であれば、35歳が最後の転職には絶対ならないと思います。
私の場合、企業に勤めないと設計のスキルは身につかないと思っていたので、もし今回の転職活動がだめなら、企業で働くことは諦め、フリーランスやアルバイトで、収納やインテリアの仕事を始め、その時勤めていた会社でWワークをさせていただく予定でした。(それも会社はオッケーしてくれた😭)
2人目育休復帰後は、パラレルキャリアのスピードも加速。
1年でき得る限り、精一杯働き、転職活動をして合格。無事、円満退社しました!
思い描いて17年。
就活期がブレブレで定まらない学生時代約5年間。
畑違いの職場で頑張りつつも迷走しつづける社会人時代約6年間。
ママとなり、もがきながらもパラレルキャリアで食らいついた約5年間。(途中つわりの時期などは2回とも活動停止状態)
今だから言える。
・ブライダルの仕事の経験で増えた人脈とスキルがあってよかった
・インスタ、snsをがんばってよかった
・パラレルキャリアのオンラインサロンに入って、周りの人を見てよかった
・大阪に帰ってきたとき、人脈づくり、コミュニティに入ることをやめないでよかった
・子供2人に出会えてよかった
・畑違いと思っていた仕事でも、続けたことでどんな仕事でもこなす力がついてよかった
・諦めないでよかった
全部評価してもらえたからです。
それぞれの詳細については、下記にどんどん追加リンクという形で記載していきたいと思います。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!