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「二日目のわたし」

これから毎日投稿していきたい。そう心に軽く決めて二日目にしてここに宣言しておくことにした。

宣言して「続ける」と、しれっと自分を騙し騙ししながら繰り返しているうちに「毎日続ける」ことになっていると二つ方法があるような気がするが、
今度は前者を試してみたい。

みなさんにはぜひ温かく見守っていただけると嬉しい。

noteでたまたま見つけたお気に入りの方が#毎日投稿で#毎日投稿をして良かったことについて話している記事を読んで、私もその景色を見てみたいと思ったのがそうすることになったきっかけだ。

そして今日山の日に行った東京都現代美術館では『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』展で、「言葉」について考えさせられたばかりだった。
展示について何を思うかはそれぞれでそれでいいのだが、言葉は実は感情とは切り離された単なる「意味」を伝えるものでそれを読むもの見るもの聞くものが想像しその意味にストーリーを重ねるのではないか、というのが私が受け取ったメッセージだった。そうであるから、言葉を紡いだ者をその紡ぎ出された言葉を辿るだけでは完全に理解することはできないし、言語化された瞬間に「言葉」は自分から切り離された別の物として存在し始めるのではないかという理解に辿り着いた。

このnoteでは自分がそのことについて書かなければ誰にも語られなかったかもしれないことについて書きたい。そうして自分が本当に伝えたいと思うことについて書きたい。今だって、全然違うテーマの記事を途中まで書き初めてそんなことじゃないと思い直し、素直に話せるテーマに戻ってきた。

あなたが想像する私と、私が言葉を使って映し出したい私と、感じたことをそのまま言葉にしているつもりの私はそれぞれ別のものであるだろうがここにあるのは「二日目のわたし」には間違いないのだと思う。

読んでくれてありがとう。


『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』展より


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