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地下鉄構内の、冷房が癒やし【#心の柔軟体操】
「降ります」
威圧的にならないように注意を払いながら、ハッキリと声に出した。
確かに聞こえたはずなのに、扉の前のど真ん中に立つ人たちは動く気配がない。
(…地面と足の裏が接着剤でくっついたのかな?)
内心ため息をついて、降り口に進む。
背後にも降りようとする人が連なっている。途中、人とぶつかる瞬間は避けられない。降りると何度言っても空けてくれない場合、存在しない道を通るしかなくなる。
あぁ、心底嫌だ。押された側も、押した側も、押すことになった側も、押されることになった側も、みんな不幸せだ。
玉突き事故的に、不愉快さが伝播していく。
想像力が何よりも大事だと信じて生きているが、「到着時に一度降りない人」のことはまるで想像ができない。目の前にいる人は、身体に不自由があるようにも見えず、周囲の様子に気づいていないようにも見えない。
降りない理由ってなんですか?と面と向かって聞いてみたいが、どこからどう見ても喧嘩を売っているようだ。内心、苛立っているのだし、そういう言外のトゲトゲは案外伝わる。
なんでかなぁ、降りてくれたっていいのに。
やっとこさホームに降り立ったが、車体から放出される熱で、まるで蒸し器のようだ。
二重にげんなりした心を引きずって歩くと、右手から爽やかな風がブワッと吹き抜けた。顔を向けると、髪が軽快なステップで首筋に踊っていった。
あぁ、生き返った。
階段をのぼり、地上に出る。気分が落ち着いて、ふと思う。
降りない理由みたいなのを、こちらが勝手に類推して、それはアリで、これはナシでって判断する。とても危険ではないか。
許容範囲は人それぞれで、上記の判断(断定とも言う)はギスギスした雰囲気をつくるし、すでにそういう節があるのだろう。あと一歩踏み込めば、排除の論理にもつながる。
こんな狭い空間に押し寿司もびっくりなほど詰め込まれることの方が、おかしいのだから。誰も退かなくても降りられるくらいが、健康的な風景だよね。
想像力も忍耐力も、まだまだ。心の平穏さは、思考の幅を広げる。
日付:2019年8月27日(火)、執筆時間:約30分、状況:洗濯を待ちながら、音楽:NCT『EMPATHY』
振り返り:満員電車の不愉快さを、見誤ってはいけないなと猛省した。降りれるなら降りてくれたほうがありがたいけども。
毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。