記事一覧
大ネット航海時代に空疎な手を見つめる
マルチ商法まがいで世間を騒がせている某アニメ映画。チケット台本を買い取り、色を付けて転売することで儲けが出るという建てつけ。
失業保険を使ってチケット台本を2桁万円分買い取り、結局さばけなかった人のエントリがだいぶ話題になっている。他のエントリを見ると何とも表現し難い落ち着かなさはあるのだが。この件を笑える人はかつての自己顕示欲や劣等感から目を逸らし誤魔化しているだけでは、と思う。
大ネット時
生クリームからは自己陶酔の香り
己の感情や考えを余すことなく表現しようと腐心するが、だいたい過剰で過多で、食傷気味な言葉が生み出される。気の利いた言葉はインターネットの海に毎秒放出され、漂流している。独り言の大群。
言葉を尽くすとは果たして何なのか。そういう胃もたれしそうな言葉は自己満足ではないのか。相手に伝えるのなら、考えに考え抜いて純度を高めたい。真っ直ぐに。相手が受け止めやすいように。
気の利いた言葉からは陶酔の匂いが
「あなたには才能がある」 嫌われ者の言葉に救われたあの日
時々どうしようもなく居た堪れない瞬間が訪れる。身体の輪郭がぼやけて溶けて、横たわる寝具に溶けてしまいそうな、所在のあやふやさに見舞われる。
こういう感情を覚えたのは、小学校高学年の頃からだろう。他人の悪意を、悪意だと認識できるようになってから。
自分がぼやけてしまいそうな時――往々にして言葉に殺されそうになった時ではあるが、言葉に救われてきたこともまた事実だ。
いつかの国語の授業。産休代替
記憶の中のホットビスケット
私は決して健康優良児ではなかったように思う。入院をしたことはなかったけれど、病院は馴染み深い場所だった。高齢出産でうまれた一人娘で、母自身も体が弱い。食事にとても気を遣ってくれていたように思う。
残酷なのは、幼い頃の母の手料理の記憶が一切ないことだ。代わりに、たまのファストフード体験は鮮烈に残っている。終業式の日は帰宅するまでにお腹が空いてしまうからとファストフードに寄った。ミスタードーナツとケ
思考の強制終了も必要
何のために生きているのか、何のためにがむしゃらになっているのか。分からなくなる瞬間はふと訪れる。
止まってしまった足が動かない。喧騒が自分から切り離されたかのような感覚。夢中で没頭していた時には感じなかった寄る辺なさ。
そういう時は大抵疲れている。心の容量が悲観に占められている。悪い方、悪い方へと進む思考は止めた方が良い。思考に毒される場合も充分にある。
誰かと親密な関係にあっても、この空白
真綿で首が締まらないように
両手では抱えきれない、膨大な感情に押し潰されそうになることがある。到底言い尽くせないような質量。そんな時は、あれやこれやと言葉をあてがって「今はこれしかない」と納得する。自分に覆いかぶさり、息の根を止めようとしてくる重さたちを一つ一つ剥がしていく。それしか救いがない。
---
生真面目さを擬人化したら、きっと彼になる。そんな人が、自ら人生にピリオドを打った。燦然と輝くお星様が、ある日の夜、空を
寄り道に支えられた暮らし
生命維持という観点では、暮らしはいかようにも最小限にすることができると思う。呼吸して、栄養補給して、就寝し、起床し、勤労する。これだけで、生きることはできる。ただこれでは暮らしているとは感じられない。何のために生きているのかもよく分からなくなってしまう。自分へのご褒美とケーキを買って帰ったり、好きな芸能人が載っている雑誌目当てに寄った本屋で別の本も購入したりする。気分転換にドライブしてサービスエリ
もっとみる守られてこなかった集大成がいまの私だと思うと、もやに包まれたような気持ちになってしまう。