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バイロイト音楽祭2024 FM放送


12月23日 楽劇「ラインの黄金」

ニーベルング族のアルベリヒがラインの黄金を盗み、指輪を作る。神々は巨人族に城を建てさせるが、報酬として指輪を要求される。神々は指輪を奪うが、呪いがかけられる。

現在の指環3年目にして異例の3人目、指揮者シモーネ・ヤングが登場 バイロイトの「指環」初の女性指揮者だが、世界各地の劇場で積み重ねた経験で、演奏の充実度が格段に増した。コニエチュニ(ヴォータン)とシーグルザルソン(アルべリヒ)の二人の歌唱は、この上演を牽引する力になっている
▽ゲストの池田香織(メゾソプラノ)はワーグナーとの出会い、公募で掴んだイゾルデ役、指揮者・飯守泰次郎の思い出などを語る。
【解説】青山学院大学教授…広瀬大介
【ゲスト】池田香織(メゾ・ソプラノ歌手)

楽曲情報

楽劇「ラインの黄金」
トマシュ・コニエチュニ(ウォータン/バリトン) ニコラス・ブラウンリー(ドンナー/バリトン) ミルコ・ロシュコフスキ(フロー/テノール) ジョン・ダシャック(ローゲ/テノール) オウラヴル・シーグルザルソン(アルベリヒ/バリトン) ヤーツォン・ホァン(ミーメ/テノール) イェンス・エリック・オースボー(ファゾルト/バリトン) トビアス・ケーラー(ファフナー/バス) クリスタ・マイア(フリッカ/メゾ・ソプラノ) クリスティーナ・ニルソン(フライア/ソプラノ) オッカ・フォン・デア・ダメラウ(エルダ/メゾ・ソプラノ) エヴェリン・ノーヴァク(ウォークリンデ/ソプラノ) ナタリア・スクリツカ(ウェルグンデ/ソプラノ) マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト(フロースヒルデ/メゾ・ソプラノ) バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) シモーネ・ヤング(指揮)
(2時間30分38秒)
〜2024年7月28日 バイロイト祝祭劇場〜

楽劇「神々のたそがれ」から「ジークフリートのラインの旅」
東京都交響楽団(管弦楽) 、飯守 泰次郎(指揮)
作曲: ワーグナー
(9分15秒)
<フォンテック FOCD9203>

楽劇「トリスタンとイゾルデ」から イゾルデの愛の死「優しくかすかな彼のほほえみ」
池田 香織(イゾルデ/メゾ・ソプラノ) 、東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽) 、広上 淳一(指揮)
作曲: ワーグナー
(5分31秒)

あらすじ

全1幕:
ライン川の底。ライン川の黄金を守る、天真爛漫ではすっぱな三人の乙女たち。地底の世界からやってきたニーベルング族の醜い小人アルベリヒが、このラインの乙女から官能的な悦びを得ようとやってくる。アルベリヒの下心を早々に見抜き、いいように翻弄する三人。やがて黄金に光が当たり、三人はその黄金を褒め称える歌を歌う。女性との真実の愛を断念したものだけが、この黄金を手に入れ、世界を支配する力を得ることができる、という事実をアルベリヒに教えるも、愛欲にとらわれたアルベリヒにその勇気はあるまい、と高笑いする乙女たち。アルベリヒはこの黄金を奪い取って逃げ去る。 神々の住まう天界。夜明け。雲が晴れ、新築成ったヴァルハル城が、その偉容を表す。ヴォータンとその妻フリッカは、その様子を眺めて感慨にふけるが、フリッカは建設主の巨人族ふたりに支払うべき対価を美の神フライアとしてしまったことに不安を抱く。やがて、フライアを連れて帰ろうとする巨人族のファフナーとファーゾルトがやってくる。契約に従っているのは巨人族のほうであり、ヴォータンは立場上強いことが言えない。フリッカの兄弟、雷神ドンナーと歓びの神フローが割って入るも、事態の解決には至らず、業を煮やした巨人は、フライアを強引に連れ帰ろうとする。 そこへ、火の神ローゲが登場。彼はすでに、ラインの水底で、アルベリヒによって黄金が奪われた、という情報を掴んでいた。アルベリヒはこの黄金から指環を作り、ニーベルング族の支配者となって、神々の住まう世界までをうかがう勢いだという。ヴォータンはみずからの権力が脅かされることを怖れると同時に、アルベリヒがその指環の力を使って生み出す財宝、そして指環そのものを手に入れてやろうと思いを巡らす。巨人も、永遠の若さ(フライアのリンゴ)と世界を支配できる権力を秤にかけ、対価の変更に応じるものの、フライアを人質としてその場から連れ去る。フライアがいなくなったためにリンゴを口にできず、突然力を失う神々。ヴォータンはローゲとともに、アルベリヒから指環を奪うため、地底の世界へと降りていく。 ニーベルング族の住まう地底。鉄床(かなとこ)の音が響くなか、アルベリヒはニーベルング族に地下鉱脈を掘らせ、黄金を精製し、巨万の富を得ていた。アルベリヒは、鍛冶仕事を生業とする弟ミーメを虐げ、自身の姿を隠すことのできる兜を作らせ、ますます増長する。アルベリヒの姿が見えぬ間に、いかに自分たちが虐げられているかを延々と嘆くミーメ。 アルベリヒが戻る気配を察し、ミーメは慌てて姿を消す。アルベリヒはヴォータンとローゲの突然の訪問に強く警戒するが、鍛冶仕事に欠かせぬ火を司る神ローゲの問いには、渋々答えねばならない。ローゲはとっさに、アルベリヒを騙して捕まえてやろう、というアイディアを思いつく。ミーメが作った隠れ兜をだしに、わざとその効果を疑って見せ、はじめは大蛇に、次に蛙へと変身させる。ローゲはヴォータンに目配せし、蛙に変身したアルベリヒを難なく捕まえ、地底から引きずり出す。 アルベリヒは縄で縛られ、神々の世界へと引き立てられる。ヴォータンが要求するのは、それまでに掘り出した財宝の数々と、アルベリヒの指に光る指環。全力で抵抗するアルベリヒを押さえつけ、その指から指環をねじり取る。何もかも奪われ、叫び声をあげたアルベリヒは、指環呪いをかけ、地底の世界へと戻っていく。 やがて、巨人たちがフライアを連れて戻る。神々も集まり、フライアに代わる財宝を巨人に与える。巨人は、フライアの姿が見えなくなるまで財宝を積み上げるよう要求し、その場にあった財宝がすべて彼らのものとなる。だが、わずかに残った隙間からフライアの瞳が見える、と嘆くファフナー。指環の存在を知る巨人は、ヴォータンが指にはめるその指環も渡すよう迫るが、何があっても渡さない、と言い張るヴォータン。 すると世界が突然暗闇に包まれ、地底の奥深くに住まう大地の女神エルダが登場。呆然と立ち尽くすヴォータンに対し、指環を今すぐに手放せ、と迫る。さらにその預言を聞こうとするヴォータンを遮るように、地底へと戻るエルダ。ヴォータンはさまざまに想いをめぐらせた末に、巨人に指環を与えることを決める。すると、巨人の兄弟はその指環を巡って争いを始め、ファーゾルトはファフナーを殴り殺す。あまりの出来事に慄然とする神々。験直しに、ドンナーはその場に立ちこめた雲を集め、稲妻を起こす。晴れ間ののぞいた先に輝くヴァルハラ城に入るため、虹の橋を架けるフロー。妻フリッカとともに入場するヴォータンと神々だが、ローゲはその仲間に加わらず、やがてやってくる神々の没落に思いを馳せる。遠くからは奪われた黄金を返してほしい、という、ラインの乙女たちの嘆き節が聞こえる。
(文・広瀬大介)

バイロイト観劇記(新野見卓也)

《ラインの黄金》

2022年にプルミエを迎えたヴァレンティン・シュヴァルツによる《ニーベルングの指環》も3年目を迎えました。本演出ではヴォータンをいわば「ゴッド・ファーザー」とする、マフィアの世界が描かれます。

[マフィアの世界を舞台としたシュヴァルツの《指環》]

過去2年の観劇記において、指環の若さの象徴としての子どもへの置き換え、暴力のモチーフの頻出などの分析をとおして、この読み替えの意図を読み解くとともに、問題点を指摘しました。今年の上演でもいくつかの再調整が行われました。そして、それによって《指環》ほんらいの主題のひとつが効果的に提示されたといえます。それは父の問題です。

[暴力の連鎖が本演出のひとつの主題 過去の観劇記を参照]

《ラインの黄金》の冒頭に双子の胎児の映像が流れることは、以前にも指摘しました。すなわちこの演出においては、双生児であるヴォータンとアルベリヒの類似性が描かれることが予告されます。その映像中、胎内でアルベリヒがヴォータンの眼を潰すシーンがありますが、今年はさらに、ヴォータンがアルベリヒの生殖器を傷つける描写が加わりました。

小さな変更ですが、効果的です。これは生殖器の欠損、すなわち、アルベリヒが父親になれないことを示唆します。そうであれば、彼が指環=子どもを誘拐するという読み替えの理屈が通ります。また、そもそも《指環》は、神々の長たるヴォータンが父になり損ねる物語だと読むことができます。アルベリヒの「去勢」の提示により、ふたりの共通性を際立たせる演出意図が明確となり、かつ《指環》の本筋との整合性も保たれています。

[アルベリヒは指環=子供を誘拐 彼は成長してハーゲンとなる]

そして実際に、今年はこの父の失墜というモチーフが各所にみられました。このことにかんしては続く観劇記のなかでも引き続き考察したいと思いますが、ここで今年の音楽面での変化も確認しておきましょう。2年目の昨年も指揮者・キャストの変更がありましたが、今年はさらに大胆な入れ替わりがありました。

初年度のコルネリウス・マイスター、2年目のピエタリ・インキネンに続き、今年バイロイトのピットでオーケストラを率いたのはシモーネ・ヤングです。10年にわたりハンブルク国立歌劇場の総裁・芸術監督を務めたほか、世界各地のオペラ・ハウスで信頼の厚いベテランです。ヤングの《指環》といえばハンブルクでの録音がありますが、ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場でもチクルスを成功に導いた実績があります。満を持しての登場、いやむしろ遅いくらいのバイロイト・デビューといえます。

そして、まさに、三度目の正直。過去2年と比べ、演奏の充実度が格段に増しました。モチーフの際立たせ方、テンポの緩急など、理に適っており、その立体的な響きはこの指揮者の作品の知悉を示しています。これこそ、バイロイトのクオリティでしょう。

(鑑賞日 8月20日)

12月24日 楽劇「ワルキューレ」

ジークムントは嵐から逃れ、妹ジークリンデの家に辿り着き、二人は禁断の愛に落ちる。ヴォータンの娘のブリュンヒルデは彼らを助けるが、父から罰を受け岩山で眠りにつく。

第1幕はバイロイトデビューの二人、ジークムント役で幅広い声域で力強さを見せるマイケル・スパイアーズと、ジークリンデ役で抒情的な表現力と瞬発力を合わせ持つヴィダ・ミクネヴィチューテが躍動する。第2幕以降は、ヴォータン役トマシュ・コニエチュニの演技力に満ちた歌声と、娘ブリュンヒルデを演じるキャサリン・フォスターの情熱的な表現力に引き込まれる。シモーネ・ヤングは緊張感のある指揮で説得力ある音楽を構築する。

【解説】青山学院大学教授…広瀬大介

楽曲情報

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から楽劇「ワルキューレ」第1幕マイケル・スパイアーズ(ジークムント/テノール) 、ゲオルク・ツェッペンフェルト(フンディング/バス) 、トマシュ・コニエチュニ(ヴォータン/バリトン) 、ヴィダ・ミクネヴィチューテ(ジークリンデ/ソプラノ) 、クリスタ・マイア(フリッカ/メゾ・ソプラノ) 、キャサリン・フォスター(ブリュンヒルデ/ソプラノ) 、キャサリン・ウッドワード(ゲルヒルデ/ソプラノ) 、ブリット・トーネ・ミュラーツ(オルトリンデ/ソプラノ) 、クレア・バーネット・ジョーンズ(ワルトラウテ/アルト) 、クリスタ・マイア(シュヴェルトライテ/アルト) 、ドロテア・ヘルベルト(ヘルムヴィーゲ/ソプラノ) 、アレクサンドラ・イオニス(ジークルーネ/アルト) 、マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト(グリムゲルデ/アルト) 、ノア・ベイナート(ロスワイセ/アルト) 、バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) 、シモーネ・ヤング(指揮)
作曲: ワーグナー
(1時間3分14秒)
〜2024年7月29日 バイロイト祝祭劇場〜

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から楽劇「ワルキューレ」第2幕
作曲: ワーグナー
(1時間30分39秒)

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から楽劇「ワルキューレ」第3幕
作曲: ワーグナー
(1時間8分47秒)

「ウェーゼンドンクの五つの詩」から「天使」、「温室で」、「悩み」、「夢」
ワルトラウト・マイアー(メゾ・ソプラノ) 、パリ管弦楽団(管弦楽) 、ダニエル・バレンボイム(指揮)
作曲: ワーグナー
(17分19秒)
<WQRNER-PIONEER CORPORATION WPCC-3258>

あらすじ

第1幕:
フンディンクの家 嵐の中、這々の体で逃げてきたヴェルフィング族の男は、一軒の家を見つけ、その場へと転がり込む。その家に暮らす女は、突然の闖入者に驚くが、傷を負い、水を求める男に対し、警戒しながらも水と酒を与える。フンディンクが帰宅。訪れた男が、みずからの妻によく似ていることに内心驚きつつも、一夜の宿を貸すからには、自分が何者かを名乗るよう迫る。みずからの冒険を語る男が、先ほどまで討ち果たさんとして探し回っていた男であることに気づき、鋭い緊張が走る。武器を持たずに逃げ込んだ男には一夜の宿を貸す、という仲間内の掟に従うが、明日は尋常に勝負せよ、と伝え、部屋に鍵をかけてその場を立ち去るフンディンク。寝酒を用意するよう命じられた妻は、部屋を立ち去る前にトネリコの木に目配せするが、男はそれに気づかない。 男は、昔父親が、万策尽きた時にはきっと剣が与えられるだろう、と約束していたことを思い出す。月明かりに照らされて、トネリコの木に刺さった剣が光るが、何が光っているのかはわからない。やがてフンディンクの妻が戻る。驚く男に対し、妻は「フンディンクの寝酒には眠り薬を入れた。この日が来るのをずっと待っていた。自分を解き放ってほしい」と熱く訴える。扉が開き、月明かりとともに春の訪れを感じるふたり。語り合ううちに、互いが生き別れた兄と妹であることを悟る。兄はみずからをジークムントと名付け、妹もみずからをジークリンデと命名。ジークムントはトネリコの木から、ノートゥングと命名した剣を引き抜き、ジークリンデと結ばれる。

第2幕:
岩山 ウォータンは、自分の思い描いた計画がことごとく図にあたったことを喜び、ワルキューレたるブリュンヒルデに、引き続きジークムントの勝利とフンディンクの敗北を支援するように命じる。だが、そこへ妻フリッカが登場。妻を奪われたフンディンクに願をかけられたため、彼の味方をするよう、ウォータンに迫る。兄と妹が近親相姦を犯したこと自体、結婚の神たるフリッカには堪えられない。他所で浮気を繰り返す夫ウォータンもフリッカに強いことが言えず、その剣幕にたじろぐ。結局ウォータンは、フンディンクに味方し、ジークムントを斃す、というフリッカの決定に、無理矢理同意させられる。 ブリュンヒルデがその場へと戻る。計画が頓挫し、深い絶望感にとらわれるウォータン。ウォータンはエルダとの邂逅、ブリュンヒルデの生い立ちなどを語り、自分の計画が無に帰すならば、いまや望むのは「世界の終焉」と叫ぶ。父親の深い絶望に驚いたブリュンヒルデは何とか父を翻意させようとするが、ワルキューレは自分の手足となって動けばよい、と考えるウォータンの逆鱗に触れる。 フンディンクの館から逃れてきた兄妹がやってくる。心身ともに疲労の限界に達したジークリンデは、ジークムントが襲われ、殺される幻影を見て、その場で倒れてしまう。逃げることに疲れ、その場に眠るふたり。そこへ、ブリュンヒルデがやってきて、ジークムントを起こす。ジークムントはフンディングに斃される運命にある、と告げるブリュンヒルデ。無情な神々の決定をなじるジークムントの必死の訴えに、心を動かされるブリュンヒルデ。ともに死ねぬ定めならば、この場でジークリンデを刺し、自分も死ぬと宣言するジークムントの姿に、ブリュンヒルデは父親の意に逆らい、ジークムントを助けることを決意。戦場で助けることを約束する。 ジークリンデが一人目覚める。気がつくと、遠くでジークムントとフンディンクが戦っている。成り行きに胸を痛め「まず自分を殺して」と叫ぶジークリンデ。ブリュンヒルデの加勢を受け、ジークムントがまさにフンディンクにとどめの一撃を見舞おうとした瞬間、ウォータンが現れ、ジークムントのふるう剣ノートゥングを二つに折る。体勢を立て直したフンディンクが、ジークムントを深々と刺し貫く。絶望のあまり、その場に倒れるジークリンデをブリュンヒルデは助けつつ、ノートゥングの破片を拾い、その場を離れる。フリッカのもとへ行け、とフンディンクに死を与えたウォータンは、娘ブリュンヒルデの背信に激怒し、娘の後を追いかける。

第3幕:
第2幕とは異なる岩山 戦乙女、ワルキューレたちは、人間界で駆り集めた戦死した英雄たちを、ヴァルハラ城に連れて行く前にいったんここに集めることにしている。互いの戦果を誇るワルキューレ。そこへ、ブリュンヒルデがジークリンデを連れて逃げてくる。事の顛末を聞いた8人のワルキューレたちは、ウォータンの激しい怒りに恐れおののき、ブリュンヒルデを助けようとしない。絶望に駆られたジークリンデは、みずから死を選ぼうとするが、その胎内にジークムントとの新しい命が宿っていることをブリュンヒルデに告げられると、俄然生きる気力を取り戻す。ブリュンヒルデは、大蛇が棲む東の森の中ならば、ウォータンの力も及ばない、と、ジークリンデにノートゥングの破片を、そして、やがて生まれる子供に「ジークフリート」という名を与える。感謝の気持ちを表し、立ち去るジークリンデ。 やがて、恐ろしい雷鳴とともにウォータンが追いつく。ワルキューレたちは人垣を作ってブリュンヒルデをかくまうが、数々の罪状を並べ立てるウォータンの剣幕に屈し、みずからを罰してくれ、と人垣から現れる。ウォータンは、ブリュンヒルデの神性を剥奪し、通りすがりの男のものになる、という罰を与える。父の激しい怒りの前に、ヴァルハラ城へと逃げ去る8人のワルキューレたち。 岩山には父と娘が残される。父親の本当の意向に従ったブリュンヒルデに、怒りを忘れ、父親としての愛情を抑えきれないウォータン。娘の必死の懇願に折れ、「ブリュンヒルデを得るものは、この世でもっとも強い男」となるよう、炎の壁で娘を守ることを決意。ウォータンはブリュンヒルデの眼に口づけて娘を眠らせ、火の神ローゲを呼び出して、岩山の周りを炎で包む。みずからの権力の黄昏を予感しつつ、ウォータンは岩山を立ち去る。
(文・広瀬大介)

バイロイト観劇記(新野見卓也)

《ワルキューレ》

《ラインの黄金》冒頭では、不能の父のモチーフが明らかになりました。続くこの《ワルキューレ》は、ヴォータンの父としての権威が揺らぐ物語です。婚姻を司る神である妻のフリッカに自説の矛盾を指摘され、最愛の娘であるブリュンヒルデを罰せざるを得ない立場に陥ります。愛情と怒りの板挟みになりながら、自暴自棄に神々の終焉を望みます。

この演出では、最後にヴォータンはフリッカと離婚するという結末を迎えます。フリッカはそれが喜ばしいことのように祝杯を上げますが、ヴォータンは拒み、結婚指輪を外します。妻に見放された神々の長が、がらんとした舞台で身を縮こまらせ、ひとりかなしみにかきくれる幕切れです。家長の権威の失墜を示すことにおいて、この《ワルキューレ》の演出は成功しているのではないかと思います。

[結婚指輪を外すヴォータン]

ところで、本演出で父になれないのはじつはヴォータンだけではありません。以前の観劇記でも指摘しましたが、シュヴァルツの読み替えでは、ジークリンデが懐胎しているのはジークムントではなく、ヴォータンの子でした(ジークムントと出会った時点で、ジークリンデはすでに妊娠しています)。つまりここでは、ジークムントもまた、父たりえない存在として描かれています。

今年《ワルキューレ》の歌手陣でもっとも注目を集めたのは、マイケル・スパイアーズでしょう。バロックやベルカントを得意とするテノールとして知られていましたが、近年はバリトンのレパートリーも歌い「バリテナー」を自称する、ユニークな才人です。彼はこの大舞台で、ジークムントのロール・デビューをはたしました。ワーグナー歌手にはなかなかいない朗々とした声と語り口ですので、はじめは違和感がありましたが、劇場を満たす声は魅力的です。フレーズの捌き方や陰影のつけ方など、役としての深まりを期待したい点はありますが、今後の可能性を感じます。

[スパイアーズとミクネビキューテ]

対してジークリンデのヴィダ・ミクネビキューテはすこし固さが気になりました。またヴォータンのトマス・コニエチュニーは、近年この人物の怒りにばかり焦点を当て、歌唱が荒っぽくなっている傾向があります。この《ワルキューレ》においてもすこし踏み込みすぎているように思われました。その怒りと悲しみの落差が強い表現力をもっていることは確かなのですが、ワーグナーの書いた音符との隔たりが感じられることがあります。

そのような多様な歌手を、ヤングの指揮はどっしりと受け止めます。別のいい方をすれば、歌手の発声事情如何で揺るがないオーケストラの土台をしっかり築いているということでしょう。まさにベテランの仕事です。
(鑑賞日 8月21日)

12月25日 楽劇「ジークフリート」

ジークフリートは鍛冶屋ミーメに育てられた英雄。竜ファフナーを倒し指輪を手に入れる。森の小鳥の助言で眠るブリュンヒルデを見つけ、彼女を目覚めさせる。二人は愛を誓う。

バイロイトで絶大な人気を誇るクラウス・フロリアン・フォークトがついにジークフリート役で登場、無垢な若者の内面を見事に表現した。台湾出身のヤーツォン・ホァンは今年ミーメ役でバイロイトデビュー、勢いのある歌声で緊迫感のある場面を歌い切った。さすらい人役のコニエチュニは迫力と説得力のある歌声で威厳を感じさせ、最後に登場したブリュンヒルデ役のキャサリン・フォスターは圧倒的なまでの輝かしい歌声を聴かせた。

【解説】青山学院大学教授…広瀬大介

楽曲情報

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から 楽劇「ジークフリート」第1幕
クラウス・フロリアン・フォークト(ジークフリート/テノール) 、ヤーツォン・ホァン(ミーメ/テノール) 、トマシュ・コニエチュニ(さすらい人/バリトン) 、オウラヴル・シーグルザルソン(アルベリヒ/バリトン) 、トビアス・ケーラー(ファフナー/バス) 、オッカ・フォン・デア・ダメラウ(エルダ/メゾ・ソプラノ) 、キャサリン・フォスター(ブリュンヒルデ/ソプラノ) 、アレクサンドラ・シュタイナー(森の小鳥/ソプラノ) 、バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) 、シモーネ・ヤング(指揮)
作曲: ワーグナー
(1時間19分45秒)
〜2024年7月31日、ドイツ、バイロイト、バイロイト祝祭劇場〜

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から 楽劇「ジークフリート」第2幕
作曲: ワーグナー
(1時間12分50秒)

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から 楽劇「ジークフリート」第3幕
作曲: ワーグナー
(1時間20分37秒)

ベッティ・ショット夫人のためのアルバムブラット
新野見 卓也(ピアノ)
作曲: ワーグナー
(4分46秒)
<SNRT2203>

エレジー「あこがれ」
新野見 卓也(ピアノ)
作曲: ワーグナー
(1分47秒)
<SNRT2203>

あらすじ

第1幕:
森の中の岩屋 ミーメは大蛇が持つ指環を得るために、勇者ヴェルズング族の血をひくジークフリートを育て上げ、彼に大蛇を倒させて、その財宝を横取りしようと企んでいる。だが、その大蛇を倒すために必要な名剣ノートゥングを、ミーメの技術(はんだで折れた破片をつなぎ合わせる)では元通りにすることができない。外で遊んできたジークフリートが帰宅。ミーメはノートゥングを慌てて隠し、彼のためにと作った別の剣をあてがうが、ジークフリートの怪力で次々と叩き折られてしまう。ジークフリートは、普通父と子は姿が似るはずなのに、どうして自分とミーメは似ていないのかと迫り、ついに自分がミーメの実の子ではないことを白状させる。その父が亡くなる前に形見として託した剣ノートゥングのことを知るに及び、ジークフリートは興奮し、その剣を鍛えろとミーメに迫る。進退窮まったミーメをよそに、息詰まる洞窟を離れ、広い世界へと思いを馳せるジークフリート。 入れ違いに暖炉のそばで休息を求めるさすらい人が登場。暖炉で休らう権利を得るため、ウォータンは自分の「首」を賭け、ミーメが出す三つの問いに答えようと提案。ミーメは渋々、地底・地上・天上に住まう種族の名を訊く問題を出す。それぞれにニーベルング族、巨人族、神々と正解を出すウォータン。代わってさすらい人が出す問いは、ウォータンの愛した種族、その種族にウォータンが与えた剣の名前。いずれもヴェルズング族、ノートゥングと答えを出せたことにミーメは有頂天になるが、ではそのノートゥングを再び鍛えられるのは誰か、と問われ、従前からそのことに困り果てていたミーメはパニック状態に。さすらい人は「怖れを知らぬもの」が剣を鍛えられる、という謎めいた答えを与え、ミーメの命はそのものに預けようと言い残し、その場を去る。 やがて戻ってきたジークフリートに、ミーメはその怖れを教えようとするが、いっこうに要領を得ない。「怖れを知らぬ」ジークフリートは業を煮やし、ついにみずから剣を鍛え始める。はんだでつなぐのではなく、やすりで剣を粉々にし、炎でその粉を溶かし、新たに剣を鍛える様子を横目で見ながら、ジークフリートが大蛇を倒した後に毒殺すべく、その薬を調合するミーメ。ジークフリートも剣を完成させ、鉄床をふたつにたたき割って、その驚くべき切れ味を見せつける。

第2幕:
深い森の中 大蛇の住まう洞窟の前で、指環を奪還すべくその動向をうかがい続けるアルベリヒ。そこへさすらい人が登場。ウォータンだと一目で見破ったアルベリヒは積年の恨みを爆発させるが、さすらい人は全く気にする様子もなく、これからミーメとジークフリートがやってきて大蛇を倒そうとしていること、そのことを大蛇に教えて、その礼に指環をせしめてはどうか、などという助言まで与え、アルベリヒを驚かす。大蛇へのアルベリヒの説得は不調に終わり、さすらい人もアルベリヒもその場を離れる。 ミーメにつれられてやってきたジークフリートは、ミーメを早々に追い払う。一人きりで森の小鳥の声に耳を澄ませ、葦笛で会話を試みるが、失敗に終わる。みずからの角笛で仲間を呼び寄せようと吹き鳴らすと、眠る大蛇を起こしてしまう。大蛇はジークフリートを丸呑みしようとふたりは戦い、ジークフリートは大蛇の心臓に首尾よくノートゥングを突き立てる。何故自分を呑もうとしたのか、ジークフリートは大蛇の来歴を訪ねるが、要領を得ぬまま大蛇・ファフナーは息絶える。剣を引き抜いた際の返り血を口に含むと、突然さっきは聴き取れなかった小鳥の言葉を解せるようになり、その助言に従って洞窟へ降りていく。 戦いの様子を遠くから見守っていたアルベリヒ、ミーメ兄弟が、洞窟の前で鉢合わせし、指環を巡って醜い争いを繰り広げる。やがてジークフリートが、小鳥の言葉に従って隠れ兜と指環を持って帰ってきたことにふたりは驚愕。ミーメはジークフリートに近づき、指環をせしめるために騙して毒薬を飲ませようとするが、口からはその本心が出てきてしまう。その穢い意志に耐えきれず、ついにジークフリートはミーメを手にかける。森の小鳥が再び現れ、岩山の頂上でジークフリートを待つ花嫁がいることを告げる。ジークフリートは喜び勇み、その岩山へ向かって旅に出る。

第3幕:
ブリュンヒルデが眠る岩山 ジークフリートが首尾よく指環を手に入れた今、今後の世界の展望を訊くために、さすらい人は地底深く眠るエルダを起こし、その託宣を求める。さすらい人みずからが引き起こした世界の矛盾(ブリュンヒルデに反抗を教えながら、その反抗した娘を罰した)の顛末を聞くが、それを理解できずに困惑するエルダ。さすらい人は神々の世界の没落を望み、世界を統べる役割をジークフリートに譲るのだ、と宣言。みずからの叡智がもはや役に立たないことを悟るエルダは、静かに地底へと戻る。 森の小鳥につれられてやってきたジークフリートは、その場にいるさすらい人の正体を見抜けない。内心ではジークフリートにかなわないと思いつつ、さすらい人は神々としての威厳を見せようと、岩山へ行く道を塞ごうと試みるが、手にした槍はジークフリートの持つノートゥングで叩き折られる。権力の源泉たる槍を失ったウォータンは、諦めとも、安堵ともつかぬ調子でその場を離れ、ジークフリートは意気揚々と、岩山の周りで燃えさかる炎をものともせずに駆け上る。 岩山の頂上で、鎧に守られながら眠るブリュンヒルデ。それが誰かを知らないジークフリートは、鎧を結ぶ鎖を剣で断ち切る。鎧をとると、横たわる人間が女性であることを知り、初めて「怖れ」を覚えるジークフリート。怯えながらもその女性に口づけると、ようやく目を覚ますブリュンヒルデ。彼女は、目の前にいる勇者がジークフリートであることを知り、みずからの希望が叶えられたことを喜ぶが、いまや神としての力を失い、ただの弱い女になってしまったことに不安を抱き、ジークフリートの求愛を拒絶しようと試みる。だが、次第にブリュンヒルデはジークフリートの情熱に屈し、高らかに「晴れ晴れとした死」の日を歌い上げ、愛の歓びを謳歌する。
(文・広瀬大介)

バイロイト観劇記(新野見卓也)

《ジークフリート》

《ジークフリート》は、野蛮な青年が愛を知る成長譚です。母に憧れ、夢想するこの精神分析的存在は、とうぜん父殺しを決行することになります。

ジークフリートは2度父親を「殺し」ます。ひとりめは育ての親であるミーメです。シュヴァルツ演出の第1幕では、ミーメはジークフリートの誕生日パーティーを準備しています。この義父は必死に息子の気を引こうとしますが、野生児は歯牙にもかけません。もちろんその裏には狡猾な計略があるわけですが、父親として失敗する姿はどことなく哀れをさそいます。彼は第2幕でジークフリートの手にかかることになります。このドワーフもまた父となれなかった者なのです。

ミーメを殺したジークフリートの次の相手はヴォータンです。ヴォータンはほんらいの設定ではジークフリートの祖父にあたりますが、この演出においては実際の父親です(《ワルキューレ》の記事を参照)。ですからこれは文字通りの父殺しといえます。

その対決のすこし前、ふたりの間にメダルをめぐるやりとりが加わりました。ヴォータンは自分の首に提げたメダルをジークフリートに授けようとするのですが、拒否されます。そして第3場ではそこに残されたメダルを、ジークフリートがブリュンヒルデに渡します。彼女は一旦それを身につけはしますが、やがて自らジークフリートに返し、彼は幕切れでそれを投げ捨てます。勇敢な伴侶をえたブリュンヒルデは、もはや父親の庇護を必要としません。ここにいたってヴォータンの父権は完全に力を失うのです。

[ヴォータンのメダル 子どもたちはこの忘れ形見を拒否する]

さらに、シュヴァルツ演出の《ジークフリート》ではもうひとつ注目すべき人間関係があります。第2幕の病床にあるファーフナーと、彼が《ラインの黄金》で連れ去ったハーゲン(=指環)の間のそれです。若きハーゲンは生気のない、臆病な人物として描かれており、ここにも父子関係の失敗がみられます。ジークフリートがファーフナーを殺すと、勇気づけられたハーゲンは彼とともにファーフナーの館を飛び出します。幕切れの場面は象徴的です。ふたりの若者は、梯子を駆け上がり、舞台中央に飾られている父子の肖像画を突き破って舞台奥へと姿を消します。《ワルキューレ》同様、今年加えられたこのような変更により、演出は整えられたと思います。

[ファーフナーの館 ジークフリートとハーゲンは中央の父子像を突き破る]

音楽面にも言及しなくてはなりません。まずはなんといってもクラウス・フロリアン・フォークトのジークフリートです。ついにこの大役をバイロイトの檜舞台で披露しました。たんなる乱暴者ではなく、それでいて力強い、独自のジークフリート像を打ち立てています。

そして、ミーメを歌いバイロイト・デビューを飾ったヤーツォン・ホァンにも喝采を送りたいと思います。じつはミーメこそ、《ジークフリート》の音楽に立体感をあたえるカギを握るキャラクターです。ワーグナーはその人物造型に様々な音楽的技法を駆使しましたが、ホアンはそれを十全に表現していたと思います。大胆でありながらけっして音楽から逸れない声の演技に、歌手としての知性が光っています。今後ますますたのしみな逸材です。

[ミーメを好演したヤーツォン・ホァン]

(鑑賞日 8月23日)

12月26日 楽劇「神々のたそがれ」

ハーゲンの策略でジークフリートは記憶を失いブリュンヒルデを裏切る。彼の死後ブリュンヒルデは指輪をラインの乙女たちに返し、炎に身を投じる。神々の時代は終焉を迎える。

シモーネ・ヤングの指揮は経験豊かで、しっかりとした全体設計の中に色彩感があふれる演奏となった。第1幕で忘れ薬を飲まされたジークフリート演じるフォークトの声楽的表現は経験の深さを見せ、ハーゲン役のミカ・カレスは繊細さを表現できるバスの声色で存在感を見せた。
▽ゲストのメゾソプラノ池田香織は「たそがれ」がコロナ禍で無観客公演となったびわ湖リングの思い出や、今後のワーグナー作品への取り組みについて語る。

【解説】青山学院大学教授…広瀬大介
【ゲスト】池田香織(メゾ・ソプラノ歌手)

楽曲情報

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から楽劇「神々のたそがれ」第1幕
クラウス・フロリアン・フォークト(ジークフリート/テノール) 、ミヒャエル・クプファー・ラデツキー(グンター/バス) 、オウラヴル・シーグルザルソン(アルベリヒ/バリトン) 、ミカ・カレス(ハーゲン/バス) 、キャサリン・フォスター(ブリュンヒルデ/ソプラノ) 、ガブリエラ・シェラー(グートルーネ/ソプラノ) 、クリスタ・マイア(ワルトラウテ/ソプラノ) 、ノア・べイナート(第一のノルン/アルト) 、アレクサンドラ・イオニス(第二のノルン/アルト) 、クリスティーナ・ニルソン(第三のノルン/ソプラノ) 、エヴェリン・ノーヴァク(ウォークリンデ/ソプラノ) 、ナタリア・スクリツカ(ウェルグンデ/ソプラノ) 、マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト(フロースヒルデ/メゾ・ソプラノ) 、バイロイト祝祭合唱団(合唱) 、エバハルト・フリードリヒ(合唱指揮) 、バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) 、シモーネ・ヤング(指揮)
作曲: ワーグナー
(1時間58分24秒)
〜2024年8月2日、ドイツ、バイロイト、バイロイト祝祭劇場〜

前夜祭と33日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から楽劇「神々のたそがれ」第2幕
作曲: ワーグナー
(1時間5分43秒)

前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」から楽劇「神々のたそがれ」第3幕
作曲: ワーグナー
(1時間16分14秒)

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲 ピアノ独奏版から
ゾルターン・コチシュ(ピアノ)
作曲: ワーグナー
編曲: コチシュ
(8分1秒)
<PHILIPS UCCP8019>

あらすじ

序幕:
エルダの娘である三人のノルンたちが、世界の運命を司る綱を編みながら、世の中の来し方行く末を物語る。ウォータンがトネリコの木から槍を作り、それで世界を統べていたが、ジークフリートがその槍を折ってしまったため、ウォータンはヴァルハルを護る勇士たちにトネリコの木を切らせ、薪としてヴァルハルの周りに積み上げさせた。やがて神々が滅びる日、その薪に火がつけられるだろう、という預言を歌う中、紡ぐ綱が切れてしまう。世界の終焉を感じつつ、地下へと戻るノルンたち。 ブリュンヒルデの岩山。愛の時を過ごしたブリュンヒルデとジークフリート。ジークフリートは、新たな冒険へと旅立とうとしている。みずからの愛の証に、愛馬グラーネを贈るブリュンヒルデ。そのお返しに、ジークフリートは大蛇との戦いで勝ち得た指環を贈り、驚喜するブリュンヒルデ。互いの無事を祈りあいながら、ジークフリートは旅立ち、ライン川を船で下っていく(ジークフリートのラインの旅)。

第1幕 第1・2場:
ギービヒ館の広間 ライン川沿いを支配する豪族ギービビ家。同家の当主グンターは、異父弟にあたるハーゲンに、自分たちの勢力・名声が充分に行き届いているかを訪ねる。内心ではこの兄妹を快く思っていないハーゲンは、彼らを逆に利用して、ニーベルング族にとって悲願とも言える指環の奪還を目指している。ハーゲンはグンターに対し、名声は充分足りているが、グンターは最高の女、グートルーネは最高の男と結婚すれば、その名声はさらに上がるはず、と説く。最強の勇士ジークフリートをグートルーネの美貌、そして過去のことをすべて忘れてしまう効果を持った薬酒を飲ませて籠絡し、彼にしか超えられない炎の先に住むブリュンヒルデを連れてこさせ、グンターの妻にすればよい、というハーゲンの助言に喜ぶふたり。折しも、ライン川を下るジークフリートが館のそばを通り過ぎようとしていたので、ハーゲンはジークフリートに声をかけ、館へと招待する。 ジークフリートが館へとやってくる。グンターとジークフリートはすぐに意気投合し、ハーゲンはジークフリートの持っている宝が、魔力を持った隠れ頭巾であることを教える。やがてグートルーネが薬酒を持って登場。ジークフリートは最初の一口をブリュンヒルデに捧げる、と歌ってから飲み干すが、効き目はすぐに現れ、ジークフリートは完全にブリュンヒルデのことを忘却し、目の前にいるグートルーネに夢中になる。グートルーネを娶るため、グンターのためにブリュンヒルデを連れてくることを約束し、ジークフリートとグンターは互いの血を混ぜた杯を飲み、義兄弟の契りを結ぶ。ふたりはブリュンヒルデのいる岩山へと向かう。すべては自分の策略通りに事が進み、いずれは指環を手に入れると、内に秘めた野望をむき出しにするハーゲン。
第3場:ブリュンヒルデのいる岩山 ひとりブリュンヒルデが留守をまもっていると、ヴァルハルから馬に乗ってヴァルキューレの一人、ヴァルトラウテがやってくる。ヴァルトラウテは自分がウォータンの目を掠めてやってきたこと、折れた槍を携えて戻ってきたウォータンがすべてのやる気を失い、神々の世界の終焉を待ち望んでいることを語る。ウォータンのつぶやきを耳にしたヴァルトラウテは、姉にその指環を返すよう懇願。だが、ジークフリートから愛の証としてもらった指環を、ブリュンヒルデは決して手放そうとしない。絶望しながら天上の世界へと帰るヴァルトラウテ。やがて夜が近づき、炎が燃えさかる。ジークフリートの帰還かと思いきや、そこへやってきたのは、グンター(隠れ頭巾の魔力で姿を変えたジークフリート)。ブリュンヒルデを妻にするためにやってきたと語るグンターに精一杯の抵抗を見せるが、力及ばず、指環も奪われてしまう。ブリュンヒルデがその場を去った後、ジークフリートは頭巾をとって本来の姿に戻り、グンターへの真義を貫くため、みずからと女との間を隔てよ、と名剣ノートゥングに願をかける。

第2幕:
ギービフング館前の川の岸辺 館を守り、仮眠をとっているハーゲンの夢枕にアルベリヒが現れ、ジークフリートが持っている指環をかならず取り返せと、ハーゲンに発破をかける。夜が明け、アルベリヒが夢枕から消えると、ジークフリートが隠れ頭巾に隠された瞬間移動能力を使い、一足先に館へと帰還。ハーゲンとグートルーネに冒険の様子を物語る。ハーゲンは館の家臣と軍を招集。グンターに危機が迫ったかと慌てる男たちは、ハーゲンが告げる結婚の報せに歓びを爆発させる。 グンターがブリュンヒルデを連れて帰る。打ちひしがれた様子のブリュンヒルデを尻目に、ギービヒ家の栄光を声高に称えるグンターと家臣たち。だが、そこにグートルーネと共にいるジークフリートの姿を見つけたブリュンヒルデは愕然とする。しかも、前日にグンターに与えたはずの指環をジークフリートが持っている事に気づき、炎を越えてやってきたのが姿を変えたジークフリートであったことを悟り、激昂する。指環がもとから自分のものであると立証できないジークフリートはやむなくハーゲンの槍にみずからの潔白を誓うが、ブリュンヒルデも同じ槍で裏切り者に死を与えよと誓う。 その場に残ったハーゲンはブリュンヒルデから、ジークフリートの弱点は背中であるという事実を聞き出す。名誉が傷つけられたと嘆くグンターに対し、ハーゲンはジークフリートを殺害し、指環を奪ってその権力を手に入れろと唆す。ブリュンヒルデはジークフリートが裏切った本当の理由を知ることなく、グートルーネに惑わされたに違いないと叫び、三者三様にジークフリートの殺害を誓う。

第3幕 第1・2場:
ライン河畔、森と岩の入り組んだ谷間 ラインの川岸で、《ラインの黄金》に登場した乙女たちが歌う、失われた黄金を返して欲しいという歌が響く。迷い込んできたジークフリートに対し、手にしている指環を返してくれと歌う。ケチと罵られたジークフリートは指環を返そうとするが、指環の呪いで命が危ない、と脅かされると、脅しには屈しないと前言を撤回。乙女たちは、指環はいずれ自分たちのてもとに戻ると意に介さず、水底へ戻っていく。 グンター、ハーゲンが率いる狩りの集団が到着。その場で酒盛りを始める。ジークフリートの殺害に気もそぞろなグンターを励ますべく、ジークフリートは自分の昔話を語って聴かせる。物語が中途まで進んだところで、ハーゲンは記憶が甦る薬酒をジークフリートに飲ませ、その真相を語らせる。驚くグンターと男たちを尻目に、ハーゲンはジークフリートの弱点である背中に槍を突き立てる。ブリュンヒルデに思いを馳せながら息絶えるジークフリート。ジークフリートの亡骸を館へと運ぶ男たち(ジークフリートの葬送行進曲)。
第3場:
ギービヒ館 誰もいない館の中、グートルーネは不安に怯えながら、夫の帰りを待ちわびる。だが戻ってきたのは、背中を刺されて息絶えたジークフリートの変わり果てた姿。殺害したのがハーゲンとわかり、グンターも弟を責める。ハーゲンは平然と指環を要求し、一騎打ちの末にグンターを斃してしまう。するとそこへ、ブリュンヒルデが登場。事の真相をすべてラインの乙女たちから聞き及んだブリュンヒルデは、ジークフリートの亡骸から指環を抜き取り、愛馬グラーネと共にギービフングの館を焼く炎の中へ躍り込む。炎は勢いを増し、天上のヴァルハルにまで届き、その城も焼け落ちる。ハーゲンはラインの流れに溺れ、指環の呪いは清められる。後に残された男女が、燃える炎を眺め、新しく始まる世界に思いを馳せる。
(文・広瀬大介)

バイロイト観劇記(新野見卓也)

《神々のたそがれ》

これまで、《ラインの黄金》で不能の父として示されたアルベリヒを契機に、シュヴァルツ演出にちりばめられた父たることの失敗のモチーフを考察してきました。ですが過去2年での観劇記でも述べたように、《神々のたそがれ》が最大のボトルネックです。やはり最後の映像——ふたりの胎児の和解——に、それまでとの繋がりがないのです。

[父たりえない存在のアルベリヒ]

ではひとまずその最後の映像は置くとしましょう。先にも指摘しましたが、父権の失墜はそもそも読み替えの以前に、《指環》4部作における主要な主題です。また、父の問題というのは作曲家リヒャルト・ワーグナーその人が抱えていた問題でもありました。彼は自分のほんとうの父親がフリードリヒ・ワーグナーなのか、母親の再婚相手のルートヴィヒ・ガイヤーなのか、生涯確信をもてなかったといいます。

ではこの読み替えによって、その主題をどれほど効果的に示すことができたか。ゴッド・ファーザーを頂点とするマフィアの世界と、ヴォータンを長とする《指環》の神々の世界を重ねたことが活かされているといえます。ですから私は、これは一定の評価をされてよいと思います。たとえば《黄昏》で示されるアルベリヒとハーゲンというもうひとつの親子関係の描き方など、まだ検討の余地はあると思いますが、すくなくとも初年度・2年目にくらべ舞台として見やすくなったことは確かです。

[ブリュンヒルデを演じるフォスター この終結にはまだ検討の余地があるだろう]

ただおそらく、その見やすさは演出の調整のためだけではないでしょう。ここで再度、ピットに入ったヤングの功績を強調しておきたいと思います。初年度のマイスターは、スコアの読みの独自性を示そうとして、作品の輪郭がゆがんでしまう瞬間がすくなくありませんでした。一方昨年のインキネンはオーケストラをバランスよく仕上げましたが、すべての歌手を自らの磁場に引き寄せることができていたとはいえません。

その点で今年のヤングは演奏の構築力という意味でも、求心力という意味でも十分な仕事を成し遂げたと思います。音楽がまとまったことにより、歌手たちがひとつの方向を向くことができました。それは彼らの歌はもちろん、所作にも大いに影響し、つまりは舞台のあり方も左右します。すっきりとした舞台になった理由のひとつは、ここにもあるでしょう。

またフォークトやホアンといった《指環》初登場の歌手たちが、この演出に新しい風を吹き込んだことも大きいでしょう。暴力的な場面が多いこの演出でも、それに引っ張られすぎることなく、自身の作品解釈をはっきりと聴かせてくれました。いわば指揮者や歌手たちが演出に飲み込まれなかったことで、演出を救った、という面があると思います。

[バイロイトでジークフリート役を初披露したフォークト]

さらに言及しておかなければならないのは、このヤングの登用によって、今年のバイロイト音楽祭には、《さまよえるオランダ人》のオクサーナ・リーニフ、《タンホイザー》のナタリー・シュトゥッツマンと、3人の女性指揮者が並び立ったことです。これは音楽祭の歴史にとって画期的といえます。そしてその成果は、ピットから立ち上がった響きから明らかでしょう。ワーグナー作品においてはしばしば女性の愛が救済をもたらしますが、今年の音楽祭の充実は、彼女たちの作品への献身を抜きにしては考えられません。未来の音楽祭の姿をかいま見ることができた気がします。
(鑑賞日 8月25日)

12月27日 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

マルケ王の婚約者イゾルデ姫は、媚薬で騎士トリスタンと恋に落ちる。裏切りが発覚し家来の刀で重傷を負ったトリスタンは、イゾルデの腕の中で息絶え、イゾルデも後を追う。

トリスタン役のアンドレアス・シャーガーは去年のジークフリートで見せた粗さがなく、丁寧な歌唱とキャラクターの構築が見事。イゾルデ役のカッミーラ・ニールントは歌唱が円熟し「愛の死」は感動的。ブランゲーネ役のクリスタ・マイアは毅然とした声が理想的に響いており、実力の高さを見せている。マルケ王のギュンター・グロイスベックは声に潤いが欠け、5年ぶり復帰のビシュコフの指揮は要所でやや散漫な印象を受けた。

【解説】新国立劇場首席合唱指揮者…三澤洋史

楽曲情報

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第1幕
アンドレアス・シャーガー(トリスタン/テノール) 、カミッラ・ニールント(イゾルデ/ソプラノ) 、ギュンター・グロイスベック(国王マルケ/バス) 、オウラヴル・シーグルザルソン(クルヴェナール/バス) 、ビルガー・ラデ(メロート/テノール) 、クリスタ・マイア(ブランゲーネ/メゾ・ソプラノ) 、ダニエル・イェンツ(牧童/テノール) 、ローソン・アンダーソン(かじとり/バリトン) 、マシュー・ニューリン(若い水夫/テノール) 、バイロイト祝祭合唱団(合唱) 、エバハルト・フリードリヒ(合唱指揮) 、バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) 、セミョーン・ビシュコフ(指揮)
作曲: ワーグナー
(1時間23分51秒)
〜2024年7月25日、バイロイト祝祭劇場、バイロイト(ドイツ)〜

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕
作曲: ワーグナー
(1時間17分4秒)
〜2024年7月25日、バイロイト祝祭劇場、バイロイト(ドイツ)〜

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第3幕
作曲: ワーグナー
(1時間15分32秒)
〜2024年7月25日、バイロイト祝祭劇場、バイロイト(ドイツ)〜

歌劇「リエンツィ」序曲
バイエルン放送交響楽団(管弦楽) 、カール・シューリヒト(指揮)
作曲: ワーグナー
(10分54秒)
<日本コロムビア COCO6594>

あらすじ

第1幕:船の中
アイルランドの王女イゾルデは、コーンウォールを治める国王マルケのもとへ嫁ぐべく、船旅を続けている。若い水夫がうたう歌詞の中に、自分を嘲る言葉が含まれていることにイゾルデは怒り、侍女として旅を共にするブランゲーネに問いただす。コーンウォールなどに行かず、船など沈めばよい、と憤るイゾルデ。ブランゲーネはイゾルデの真意がわからずうろたえる。舵を取るマルケ王の甥トリスタンの姿を目にしたイゾルデは、自分のところに挨拶に来るよう侍女に命じるが、トリスタンは言を左右にしてイゾルデの求めに応じない。その家臣クルヴェナールは、コーンウォールに屈服したアイルランドの王女など問題にもならない、と嘲笑し、罵声はトリスタンに殺されたかつてのイゾルデの婚約者モロルトにまで及ぶ。 イゾルデは、トリスタンこそモロルトとの戦いで傷を負い、タントリスという変名でアイルランドを訪れて彼女に治療してもらっていたことを明かす。トリスタンはその恩を忘れ、自分をマルケ王に売ろうとしていると咎めるが、それこそトリスタンの真心の現れ、とブランゲーネは弁護する。イゾルデの母が調合した媚薬をマルケに与えればよい、とそそのかすブランゲーネに、イゾルデは毒薬を取り出す。クルヴェナールがやってきて、上陸の支度をするように告げる。イゾルデはクルヴェナールに、上陸前にトリスタンを呼ぶように命じ、ブランゲーネには毒薬の支度を命じる。 それまでイゾルデを割けていたトリスタンがついにやってくる。イゾルデは婚約者モロルトの復讐を今こそ果たす、と告げると、トリスタンはこれで突き殺してくれ、とみずからの佩刀を差し出す。だが、イゾルデは「誓いの杯」を干すことにこだわる。毒薬が入っていることを知りつつ、トリスタンはその「誓いの杯」をあおり、イゾルデは途中でその杯を奪って残りを飲み干す。もうろうとした意識の中で、ふたりはお互いを見いだし、見つめ合ったふたりは激しい愛に陥る。ブランゲーネは、杯に毒薬ではなく媚薬を入れていた。船はコーンウォールに到着し、歓迎のラッパが鋭く鳴り響くが、ふたりは自分たちが置かれた運命に呆然と立ちつくす。

第2幕:コーンウォール・マルケ王の城の庭
マルケとその家臣たちが狩りに出掛けると、イゾルデは松明を消し、トリスタンを呼び込もうとする。だが、ブランゲーネはこの狩り自体がふたりを陥れる罠であり、とりわけトリスタンの親友メロートに気をつけろ、と警告する。 トリスタンが登場し、ふたりはもどかしげに再会の抱擁を交わす。昼の世界は偽りであり、ふたりは自分たちの永遠の愛を祝福する夜の世界を称える。ブランゲーネが見張り台から警告を与えるが、ふたりは聴く耳を持たない。やがて、ふたりは、互いの存在は一体のものとなるだろう、夜の世界、死の世界で結ばれよう、と誓い合う。愛の二重唱が最高潮に達した頃、ブランゲーネの悲鳴が聞こえる。メロートに導かれてマルケ王が、ふたりの密会の場へとやってくる。 マルケは信頼するトリスタンが何故このようなことをするのか理解できず、そのわけを尋ねる。だが、トリスタンはそれに応えず、イゾルデに「これから自分が向かう夜の国についてくるか」と尋ねる。首肯するイゾルデにメロートは激高。トリスタンはわざと自分の刀を取り落とし、メロートの刀に傷つき、その場に崩折れる。

第3幕:トリスタンの居城カレオールの海岸
トリスタンはメロートに受けた傷を癒しているが、昏睡状態から未だ目覚めない。シャルマイで嘆きの調べを奏でる羊飼いは、クルヴェナールにトリスタンの容態を聞き、イゾルデを乗せた船がやってきた時は、楽しい調べを吹いて知らせよう、と約束して去る。 やがてシャルマイの調べで目を覚ましたトリスタンは、夜の国から昼の国へ引き戻された、とつぶやき、昼の世界にいるイゾルデに会いたいと望む。クルヴェナールは既にイゾルデに迎えの死者を出したことをクルヴェナールが告げると、トリスタンは元気付く。トリスタンは自身の報われない生涯を振り返り、興奮して再び失神する。定かならぬ主人の生死に気をもむクルヴェナール。だが、やがて羊飼いの吹く調べが陽気なものに変わる。トリスタンはイゾルデに会える喜びのあまり、傷口を縛っていた布をむしり取り、鮮血にまみれながら歩き出す。やってきたイゾルデの腕に倒れると、そのままトリスタンは息を引き取る。イゾルデは腕の中のトリスタンをかき抱きながら、一人残されたことを恨み、気を失ってしまう。 イゾルデの船を追いかけるように、マルケの船がやってくる。逆上したクルヴェナールは最初に上陸したメロートを刺し殺すが、衆寡敵せず兵士に倒される。ブランゲーネによってことの一切を知らされたマルケは、ふたりを赦し、祝福するためにやってきたが、皆が死んでいくと嘆く。再び覚醒したイゾルデは、周りの様子には目もくれず、自身の愛が宇宙と一体となっていくさまを歌い(イゾルデの「愛の死」)、静かに息絶える。
(文・広瀬大介)

バイロイト観劇記(新野見卓也)

《トリスタンとイゾルデ》

直近のバイロイトでの《トリスタンとイゾルデ》は、ロランド・シュワブによる舞台でした。ですがコロナの影響か、いわば「つなぎ」のような役割とされてしまい、2022から2年間だけ、計4回のみの上演に終わりました。というわけで、今年2024年、トルレイフル・オルン・アナルソンによる新制作には期待が集まりました。

幕が上がると、立ちこめる霧のなかから、舞台に大きく広がるドレスを身に纏ったイゾルデの姿が現れます。この光景に、多くのワグネリアンはひとつの名舞台を思い出したのではないでしょうか。1981年に製作されたジャン=ピエール・ポネルの演出です(映像収録は83年)。ポネルは微妙な光の明滅とどの瞬間も絵になる構図で、幻想・幻惑的な作品世界をみごとに視覚化しました。対称的に、ポネル演出以降のバイロイトにおける《トリスタン》は、無機質な空間において、ふたりの主人公の心理的隔たりを強調する傾向にありました。ですので、この雰囲気のある幕開けからは近年の《トリスタン》とは異なる傾向が期待されます。

[第1幕冒頭 舞台に大きく広がるドレスを着たイゾルデ]

事実、この舞台は演出家が独自の解釈を示すというより、作品世界の情緒を伝えようとするもののようです。たとえば第2幕、船底と思しきそこには絵画や彫刻、骨董品が雑然と置かれています。到達しえぬものへの憧れが、彼らの無意識のなかで息づいているということでしょうか。

[第2幕 船底には絵画や彫刻が積まれている]

ですが、そのようなイメージが観客の想像力に訴える力をもちえているかというと、議論の余地があります。というのもそれらの役割が、上演のなかでうまく位置づけられてるとはいえないのです。いささか逆説的ですが、観る者が想像力を働かせるにはイメージの連鎖を方向付ける基礎、つまり演出家の解釈が明確に示されている必要があります。

その点で、本演出はすこし弱いと思います。突飛な解釈をしているわけではないですし、(ワーグナー作品の演出に少なくない)露悪趣味もありません。ですから観にくい舞台ではないのですが、「実験工房バイロイト」での《トリスタン》には、もう一歩踏み込んだ作品に対する洞察と、そして野心があってもいいのではないでしょうか。

[トリスタン役のシャーガー この演出ではわざと照明の外れた場所に立たせることが多い]

音楽面にかんしては、まずイゾルデを歌ったカミッラ・ニールントの名を挙げたいと思います。もともとリリックな声のニールントは、ドラマチックな役柄においても音楽と役を丁寧に描きます。けっして声量が十分とはいえないのですが、音響効果に優れたバイロイトの舞台に助けられ、彼女の持ち味がしっかりと客席に伝わっていたと感じます。

ブランゲーネのクリスタ・マイヤーも安定した歌唱を聴かせました。一方でトリスタンのアンドレアス・シャーガーは、ニールントと並ぶとやや粗が目立ちます。第2幕ではソフトな表現を狙っているようでしたが、まだ完全に板に付いているとは言い難いでしょう。またマルケ王のギュンター・グロイスベックも、第2幕の長丁場を支配し切れなかったのが残念です。

指揮はセミョーン・ビシュコフ。2018年の《パルシファル》でのデビューに次いで、バイロイトでの指揮は2作目となります。ときに大胆な緩急をつけ、作品の情感を申し分なく引き出し、祝祭劇場をワーグナー・サウンドで満たしました。それでいて音楽の流れにぎこちなさがないのが、この指揮者の才能でしょう。来年以降もたのしみです。

(鑑賞日 8月26日)


12月28日 歌劇「さまよえるオランダ人」

漂流の呪いを解くため真実の愛を探すオランダ人船長はゼンタと永遠の愛を誓う。しかし彼女が恋人と争う姿を見て絶望、海へ戻ろうとする。ゼンタは海に身を投げ彼の魂を救う。

指揮のオクサーナ・リーニフは冒頭から緊張感に満ち、引き締まった響きが聴かれた。女声合唱は一部でテンポが速すぎてやや乱れたが、全体ではきれいに揃いながら楽しい雰囲気が伝わってくる。第3幕の男声合唱の響きの豊かさも見事。ソリストではゼンタ役のエリザベト・タイゲは少しビブラートが気になり、オランダ人役のミヒャエル・フォレはやや低音に響きを欠いた。舵手のマシュー・リーニンはリリックなテノールが好感を持てた。

【解説】新国立劇場首席合唱指揮者…三澤洋史

楽曲情報

歌劇「さまよえるオランダ人」
ゲオルク・ツェッペンフェルト(ダーラント/バス) 、エリザベト・タイゲ(ゼンタ/ソプラノ) 、エリック・カトラー(エリック/テノール) 、ナディーネ・ヴァイスマン(マリー/メゾ・ソプラノ) 、マシュー・ニューリン(かじとり/テノール) 、ミヒャエル・フォレ(オランダ人/バリトン) 、バイロイト祝祭合唱団(合唱) 、エバハルト・フリードリヒ(合唱指揮) 、バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) 、オクサーナ・リーニフ(指揮)
作曲: ワーグナー
(2時間17分)
〜2024年8月1日、バイロイト祝祭劇場、バイロイト(ドイツ)〜

歌劇「さまよえるオランダ人」から「紡ぎ歌」
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
作曲: ワーグナー
編曲: リスト
(5分58秒)
<ポリドール POCG3450>

歌劇「ローエングリン」から「エルザの夢とローエングリンの非難」
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
作曲: ワーグナー
編曲: リスト
(10分29秒)
<ポリドール POCG3450>

歌劇「リエンツィ」の主題による変奏曲から
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
作曲: ワーグナー
編曲: リスト
(8分45秒)
<ポリドール POCG3450>

あらすじ

利に聡いノルウェーの商人にして船長、ダーラントが、嵐を避けて港で難を避けている。舵取りに見張りを任せるが、その舵取りも眠り込んでしまう。そこに近づく幽霊船。呪いをかけられたこの幽霊船の船長オランダ人は、7年に一度だけその船から下りることを許されているが、その間にみずからへ愛の誠を捧げる女性を見つけねば、その呪いは解けない。いまがその7年目にあたるオランダ人は、みずからの救済を願ってやまない。 ダーラントのひとり娘ゼンタは、以前からオランダ人の絵姿を見ては、その不運に同情し、自分が救わねば、という使命感を感じており、糸紡ぎの仕事にも身が入らない。婚約者の猟師エリックはそんなゼンタを心配するが、何を説いても上の空。やがて、ダーラントが自宅へと連れてきたオランダ人は、娘ゼンタと運命の出会いを果たす。ゼンタは、自分の夢が実現したことに驚きつつも、ふたりは永遠の愛を誓い合う。 ダーラントの船員たちは、ひさびさの故郷への帰還に羽目を外すが、隣に碇を降ろしているオランダ人の船があまりに不気味で、やがて嵐と亡霊に襲われ、怖れをなして逃げ散ってしまう。ゼンタを妻にしようとするエリックはその心変わりを責めるが、ゼンタはまったく耳を貸そうとしない。ふたりの諍いを見たオランダ人は、やはり自分は救われることはないのだと絶望し、もとの海へ戻ろうとする。ゼンタはみずから海に身を投げ、オランダ人の魂を救済する。
(文・広瀬大介)

12月29日 歌劇「タンホイザー」

タンホイザーは快楽の女神ヴェーヌスの世界を離れエリーザベトと再会。だが歌合戦で自ら過去を暴露し、神の赦しを求めて巡礼。エリーザベトの犠牲で救済され天国へ導かれる。

ナタリー・シュトゥッツマンの積極的な指揮ぶりは好感が持てる。第2幕の歌合戦では彼女の指揮の下、登場人物のアンサンブルが見事にまとまった。タンホイザーのクラウス・フロリアン・フォークトは自分の声質にあった新しいタンホイザー像を構築、第3幕の有名な「ローマ語り」では様々な声色を難なく使い分けた。
▽中大・森岡実穂教授はクラッツァー演出がバイロイトを開かれた劇場にした功績、読み替え演出の本質等を語る。

【解説】新国立劇場首席合唱指揮者…三澤洋史
【ゲスト】中央大学教授…森岡実穂

楽曲情報

歌劇「タンホイザー」第1幕
ギュンター・グロイスベック(ヘルマン/バス) 、クラウス・フロリアン・フォークト(タンホイザー/テノール) 、マルクス・アイヒェ(バリトン/ウォルフラム) 、シヤボンガ・マクンゴ(ワルター/テノール) 、オウラヴル・シーグルザルソン(ビテロルフ/バス) 、マルティン・コッホ(ハインリヒ/テノール) 、イェンス・エリック・オースボー(ラインマル/バス) 、エリザベト・タイゲ(エリーザベト/ソプラノ) 、アイリーン・ロバーツ(ヴェーヌス/ソプラノ) 、フルーリナ・スタッキ(牧童/ソプラノ) 、バイロイト祝祭合唱団(合唱) 、エバハルト・フリードリヒ(合唱指揮) 、バイロイト祝祭管弦楽団(管弦楽) 、ナタリー・シュトゥッツマン(指揮)
作曲: ワーグナー
(56分50秒)
〜2024年7月26日ドイツ、バイロイト、バイロイト祝祭劇場〜

歌劇「タンホイザー」第2幕
作曲: ワーグナー
(1時間10分51秒)

歌劇「タンホイザー」第3幕
作曲: ワーグナー
(52分22秒)

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲 ピアノ独奏版
グレン・グールド(ピアノ)
作曲: ワーグナー
編曲: グレン・グールド
(9分35秒)
<SONY RECORDS SRCR-9571>

楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から「従弟たちの踊り」「マイスタージンガーの入場」優勝の歌「朝はばら色に輝き」
カナディアン・ブラス(金管合奏) 、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団員(金管合奏) 、バイロイト祝祭管弦楽団員(金管合奏) 、エド・デ・ワールト(指揮)
作曲: ワーグナー
編曲: フラッケンポール
(11分40秒)
<Philips PHCP-9750>

あらすじ

第1幕:ヴェーヌスベルクの洞窟
騎士タンホイザーは、ヴェーヌスベルクに棲まう愛欲の女神ヴェーヌスと享楽の日々を送っていたが、そんな日々にも飽き、地上の生活の素朴な喜びに思いを馳せる。ヴェーヌスの願いに応じてタンホイザーはその美しさを讃える歌を聞かせるが、心ここにあらず、といった雰囲気で、歌は必ず「ここから解き放ってくれ」という懇願で終わってしまう。ヴェーヌスは怒り、傷つき、すがりつくように「行かないで」と願うが、タンホイザーが聖母マリアの名前を唱えると、ヴェーヌスベルクは忽然と消え失せる。タンホイザーは、あたりに響く牧童の歌で、故郷へと戻ってきたことを悟る。そこへ国王と騎士たちが現れ、タンホイザーに、ともにヴァルトブルクへと戻ろうと誘う。タンホイザーはその誘いを固辞するが、ウォルフラムの「エリーザベトのもとに留まるのだ」という言葉に、前言を翻(ひるがえ)し、ともにヴァルトブルクへと向かう。

第2幕:チューリンゲン、ヴァルトブルク城
チューリンゲンの領主の姪エリーザベトは、歌合戦の会場、「歌の殿堂」に久々に足を踏み入れ、密かに慕うタンホイザーと久々の邂逅を果たす。領主ヘルマンはやってきた人々に歌の芸術の素晴らしさを褒め称え、歌手である騎士たちに、愛の讃歌を歌ってその素晴らしさを証明するよう求める。だが、タンホイザーは、他の騎士たちが歌う生ぬるい歌に業を煮やし、つい、ヴェーヌスベルクでの愛欲の日々を讃美する歌を歌ってしまう。人々はその告白に驚き、タンホイザーの罪を激しく問い詰めるが、エリーザベトは身をもってタンホイザーを庇う。領主の裁定により、タンホイザーはローマ教皇のもとへ赦しを請いに赴くこととなり、一同はその声に和す。

第3幕:ヴァルトブルク城近くの谷間
エリーザベトは、聖母マリア像の前で、タンホイザーが救われるよう祈りを捧げるが、帰ってきた巡礼の列の中にその姿がなかったことに落胆し、その場を立ち去る。タンホイザーの友人ウォルフラムは、みずからが想いを寄せるエリーザベトがタンホイザーを慕うのを見て苦しむ。ひとり残されたウォルフラムは星を見上げつつ、苦しい胸の内を吐露する(夕星の歌)。すると、そこへ変わり果てた姿のタンホイザーがやってくる。ローマ教皇からはヴェーヌスベルクで暮らした罪は未来永劫消えることはない、と宣告されたことを物語り、自暴自棄になって、ヴェーヌスベルクへと戻ろうとする。再び現れたヴェーヌスがタンホイザーを誘うが、ウォルフラムは「エリーザベトのもとに留まれ」と再び叫び、ヴェーヌスはその場から消え去る。遠くから聞こえてくる鐘の音で、エリーザベトが亡くなったことを知ったタンホイザーもその場に息絶えるが、巡礼の杖から葉が芽吹く、という奇跡が成就し、タンホイザーの魂が救済されたことが示される。
(文・広瀬大介)

バイロイト観劇記(新野見卓也)

《タンホイザー》

2019年に新制作されたこのトビアス・クラッツァーによる演出は、傑作との呼び声が高く、放送や配信で、または現地でご覧になった方もおられるかと思います。

本読み替えのキモは、まずはワーグナー作品およびバイロイトに対する批判性といえるでしょう。この演出では旅回りのヴェーヌス一座が大暴れします。仲間はピエロのタンホイザーに、『ブリキの太鼓』(ギュンター・グラス)のオスカー、ドラァグクイーンのガトー・ショコラ。つまり障がい者や性的少数者といった、社会のなかで弱い立場や不利な立場に置かれてしまうことの多い者たちです。そしてバイロイト、ひいては私たちの社会や文化が排除・抑圧してしまっている者たちなのです。彼らとバイロイト音楽祭という「神聖な」共同体との対立が浮き彫りにされます。そして明らかに、前者の描かれ方のほうが魅力的なのです。

[ピエロ姿のタンホイザーと仲間たち]

彼らは第2幕で、バイロイトに戻ってしまったタンホイザーを取り返すべく、祝祭劇場に乗り込みます。リアルタイム撮影の映像も駆使した、たいへん見応えのある場面です。ですが第3幕冒頭では一転、オスカーがひとり寂しく佇んでいます。しばらくするとガトー・ショコラが大々的に写る高級時計の広告が現れます。いまや彼女は一躍有名人となり、セレブの仲間入りを果たしたのです。ここには持つ者と持たざる者の入れ替わりという、資本主義社会の残酷な一面が示されています。いったんは弱者であった者が、いつのまにか強者の側に回る。つまりクラッツァーはみずからが示した批判を、さらに相対化するという離れ業をやってのけるのです。

[第2幕で歌合戦の場に侵入するヴェーヌスたち]

こう書くといささか小難しく感じられるかもしれません。ですがそのような高度な政治性がむしろコミカルに描かれていることが、この演出が人気を集めていることの理由でしょう。そして、それが音楽に沿って、さらには音楽を牽引しているということを強調したいと思います。昨年の観劇記で広瀬大介さんが「演出の力によって、指揮者も、歌手も、オーケストラも、これほどまでに輝ける」と書かれていますが、まさにそのとおりで、これほどまでに演出が上演の原動力となっている舞台には、なかなか出会えるものではありません。バイロイトの歴史に残る名演出といってよいでしょう。

最後に。幕が開き序曲が奏される間、ヴェーヌス一行を描くロードムービーが流れます。この一部は毎年くすっと笑いを誘うような新しいネタに更新されていましたが、今年は惜しくも2023年に他界したステファン・グールドを讃える映像が挿入されました。本演出のプルミエを率いたこのヘルデン・テノールの遺影に、オスカーが献杯するのです。そのさりげなくも愛情と尊敬のこもった表現に、聴衆からは自然と拍手が沸き起こりました。そして観客の感情が昂ぶったところで、ピットからは「ヴェーヌス賛歌」が響きわたります。完璧なタイミングです。こんなところで泣かせにくるとは! 

(鑑賞日 8月22・27日)

(放送なし)舞台神聖祝祭劇「パルジファル」

バイロイト観劇記(新野見卓也)

ジェイ・シャイブ演出の《パルジファル》は、今年2年目を迎えました。残念ながら今回は音源の提供がなく、NHK-FMでの放送はありませんが、上演の様子を少しだけお伝えしたいと思います。

この《パルジファル》は演出にAR=拡張現実を取り入れたということで話題になりました。ですがARを体験するためのゴーグルが備わった席が、平土間後方と各上階の最前列に限られており、またその使用料が最大で80ユーロも(!)チケット代に上乗せされるなど、万全とはいえない体制でした。残念ながらこれらの問題にかんしては、今年も改善はみられませんでした。

ゴーグルをとおして見える拡張現実空間には、さまざまなイメージが現れます。その多くは《パルジファル》という作品の歌詞や音楽から連想されるものです。

[AR空間に現れる像 たんなる映像とは異なり、角度によって見え方が変化する]

ただ昨年の観劇記で述べたとおり、それらは演出家が舞台で示す作品解釈とはあまり関係がないものでした。というわけで私は今年の上演はAR装置を付けずに鑑賞したのですが、音楽祭の提供写真を見る限り、今年も大きな変化はないのではないかと推測されます。実際各海外メディアの評もあまり芳しくなく、舞台とARのギャップはさらに広がったという意見もあります。

[AR空間に現れる像 実際の舞台とは関係のないイメージが少なくない]

もちろん現実の舞台と拡張現実の空間の差異を強調する、あえて齟齬をつくり出すというのも演出の手法としてありうると思いますが、どうもそのような効果も上げていないようです。

[第1幕はがらんとした舞台だが、ARの映像が間を埋めるというわけでもない]

では舞台上での演出はどうかというと、それ自体もあまり説得力があるようには感じられません。この演出では聖杯がコバルトの鉱石に置き換えられており、パルジファルがそれを砕き終幕となります。現在の半導体技術の革新にともなう、レアメタルの需要逼迫への批判的視点でしょうか。ですがそもそも演出で用いられているAR技術にも半導体が用いられているであろうことを考えると、上演全体としての整合性がないようにも思われてしまいます。

[シャイブは、過剰な採掘により荒れ果てた地を舞台とした]

それでもやはり《パルジファル》をこの祝祭劇場で鑑賞することは、なにものにも代えがたい体験です。昨年本演目でバイロイト・デビューを飾ったパブロ・エラス=カサドの指揮は、この少しさびしい舞台を補って余りある充実した響きを立ち上げました。活き活きとした細部はそのままに、とくに第3幕では昨年に比べ音楽の流れが自然になったように思います。また、いまや音楽祭の要ともいえるゲオルク・ツェッペンフェルトの重厚にして明晰な歌唱は、彼が当代随一のグルネマンツ歌いであることを物語っています。

[ツェッペンフェルトのグルネマンツはまさにバイロイト・クオリティ]

ただ2年目の上演ということで、その他のキャストにはもう一歩踏み込んでほしかったというのが正直なところです。題名役のアンドレアス・シャーガーは第2幕のアムフォルタスの名を叫ぶ見せ場こそ圧倒的でしたが、全体的に一本調子のきらいがありました。クンドリのエカテリーナ・グバノヴァ、アムフォルタスのデレク・ウェルトン、クリングゾルのジョーダン・シャハナンらも、いまひとつ歌唱の勘所をおさえられていないのが残念です。

すこし厳しい意見が続いてしまいました。ですが、やはりここは「聖地」バイロイト。世界中のワグネリアンが望むのは、一流ではなく、超一流の上演です。来年はミヒャエル・フォレがアムフォルタスを、一部の公演でエリーナ・ガランチャがクンドリを演じる予定です。3年目らしい、そしてバイロイトらしい上演を期待したいものです。

(鑑賞日8月24日)



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