バイロイト音楽祭2022 NHK-FM放送

バイロイト音楽祭2022 楽劇「ラインの黄金」

初回放送日: 2022年12月12日

5年ぶりに新演出で登場する「ニーベルングの指環」▽演出のバレンティン・シュワルツの大胆な読み替えに聴衆が大ブーイングした4部作の最初の作品「ラインの黄金」 指揮は新型コロナに感染したインキネンに代わり、10日前に登場したコルネリウス・マイスター。以前に指揮助手としてバイロイトを経験していたマイスターは独特の舞台構造を熟知しており、複雑な音響をものともせず、スピード感あふれる指揮でオーケストラをドライブして聴衆を驚かせた。その音作りは伝統的な音楽を求める人々からは批判されるなど、賛否両論を巻き起こしている。解説・三澤洋史

演奏

  • ウォータン:エギルス・シリンス(バス・バリトン) ドンナー: ライムント・ノルテ(バス) フロー: アッティリオ・グラーザー(テノール) ローゲ: ダニエル・キルヒ(テノール) アルベリヒ: オウラヴル・シーグルザルソン(バリトン) ミーメ: アーノルト・ベズイエン(テノール) ファーゾルト: イェンス・エリック・オースボー(バス) ファーフナー: ヴィルヘルム・シュヴィングハマー(バス) フリッカ: クリスタ・マイア(メゾ・ソプラノ) フライア: エリザベト・タイゲ(ソプラノ) エルダ: オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ) ウォークリンデ: リー・アン・ダンバー(ソプラノ) ウェルグンデ: ステファニー・ハウツィール(メゾ・ソプラノ) フロースヒルデ: ケイティ・スティーヴンソン(アルト) 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:コルネリウス・マイスター (2時間20分10秒)録音:2022年7月31日、バイロイト祝祭劇場

楽曲概要

  • 前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」 楽劇「ラインの黄金」 Das Rheingold リヒャルト・ワーグナーが作曲した、楽劇《ニーベルングの指環》(全四部)の序夜。全1幕。(初演1869年、ミュンヘン宮廷歌劇場)。ワーグナーみずからが執筆した脚本による。 【登場人物】 神々: ウォータン(bar.)/ドンナー(bar.)/フロー(ten.)/ローゲ(ten.) ニーベルング族: アルベリヒ(bar.)/ミーメ(ten.) 巨人: ファーゾルト(bar.)/ファフナー(bs.) 女神: フリッカ(mez.-sop.)/フライア(sop.)/エルダ(mez.-sop.) ラインの少女: ウォークリンデ(sop.)/ウェルグンデ(sop.)/フロースヒルデ(mez.-sop.) ニーベルング族

あらすじ

  • 全1幕: ライン川の底。ライン川の黄金を守る、天真爛漫ではすっぱな三人の乙女たち。地底の世界からやってきたニーベルング族の醜い小人アルベリヒが、このラインの乙女から官能的な悦びを得ようとやってくる。アルベリヒの下心を早々に見抜き、いいように翻弄する三人。やがて黄金に光が当たり、三人はその黄金を褒め称える歌を歌う。女性との真実の愛を断念したものだけが、この黄金を手に入れ、世界を支配する力を得ることができる、という事実をアルベリヒに教えるも、愛欲にとらわれたアルベリヒにその勇気はあるまい、と高笑いする乙女たち。アルベリヒはこの黄金を奪い取って逃げ去る。 神々の住まう天界。夜明け。雲が晴れ、新築成ったヴァルハル城が、その偉容を表す。ヴォータンとその妻フリッカは、その様子を眺めて感慨にふけるが、フリッカは建設主の巨人族ふたりに支払うべき対価を美の神フライアとしてしまったことに不安を抱く。やがて、フライアを連れて帰ろうとする巨人族のファフナーとファーゾルトがやってくる。契約に従っているのは巨人族のほうであり、ヴォータンは立場上強いことが言えない。フリッカの兄弟、雷神ドンナーと歓びの神フローが割って入るも、事態の解決には至らず、業を煮やした巨人は、フライアを強引に連れ帰ろうとする。 そこへ、火の神ローゲが登場。彼はすでに、ラインの水底で、アルベリヒによって黄金が奪われた、という情報を掴んでいた。アルベリヒはこの黄金から指環を作り、ニーベルング族の支配者となって、神々の住まう世界までをうかがう勢いだという。ヴォータンはみずからの権力が脅かされることを怖れると同時に、アルベリヒがその指環の力を使って生み出す財宝、そして指環そのものを手に入れてやろうと思いを巡らす。巨人も、永遠の若さ(フライアのリンゴ)と世界を支配できる権力を秤にかけ、対価の変更に応じるものの、フライアを人質としてその場から連れ去る。フライアがいなくなったためにリンゴを口にできず、突然力を失う神々。ヴォータンはローゲとともに、アルベリヒから指環を奪うため、地底の世界へと降りていく。 ニーベルング族の住まう地底。鉄床(かなとこ)の音が響くなか、アルベリヒはニーベルング族に地下鉱脈を掘らせ、黄金を精製し、巨万の富を得ていた。アルベリヒは、鍛冶仕事を生業とする弟ミーメを虐げ、自身の姿を隠すことのできる兜を作らせ、ますます増長する。アルベリヒの姿が見えぬ間に、いかに自分たちが虐げられているかを延々と嘆くミーメ。 アルベリヒが戻る気配を察し、ミーメは慌てて姿を消す。アルベリヒはヴォータンとローゲの突然の訪問に強く警戒するが、鍛冶仕事に欠かせぬ火を司る神ローゲの問いには、渋々答えねばならない。ローゲはとっさに、アルベリヒを騙して捕まえてやろう、というアイディアを思いつく。ミーメが作った隠れ兜をだしに、わざとその効果を疑って見せ、はじめは大蛇に、次に蛙へと変身させる。ローゲはヴォータンに目配せし、蛙に変身したアルベリヒを難なく捕まえ、地底から引きずり出す。 アルベリヒは縄で縛られ、神々の世界へと引き立てられる。ヴォータンが要求するのは、それまでに掘り出した財宝の数々と、アルベリヒの指に光る指環。全力で抵抗するアルベリヒを押さえつけ、その指から指環をねじり取る。何もかも奪われ、叫び声をあげたアルベリヒは、指環呪いをかけ、地底の世界へと戻っていく。 やがて、巨人たちがフライアを連れて戻る。神々も集まり、フライアに代わる財宝を巨人に与える。巨人は、フライアの姿が見えなくなるまで財宝を積み上げるよう要求し、その場にあった財宝がすべて彼らのものとなる。だが、わずかに残った隙間からフライアの瞳が見える、と嘆くファフナー。指環の存在を知る巨人は、ヴォータンが指にはめるその指環も渡すよう迫るが、何があっても渡さない、と言い張るヴォータン。 すると世界が突然暗闇に包まれ、地底の奥深くに住まう大地の女神エルダが登場。呆然と立ち尽くすヴォータンに対し、指環を今すぐに手放せ、と迫る。さらにその預言を聞こうとするヴォータンを遮るように、地底へと戻るエルダ。ヴォータンはさまざまに想いをめぐらせた末に、巨人に指環を与えることを決める。すると、巨人の兄弟はその指環を巡って争いを始め、ファーゾルトはファフナーを殴り殺す。あまりの出来事に慄然とする神々。験直しに、ドンナーはその場に立ちこめた雲を集め、稲妻を起こす。晴れ間ののぞいた先に輝くヴァルハラ城に入るため、虹の橋を架けるフロー。妻フリッカとともに入場するヴォータンと神々だが、ローゲはその仲間に加わらず、やがてやってくる神々の没落に思いを馳せる。遠くからは奪われた黄金を返してほしい、という、ラインの乙女たちの嘆き節が聞こえる。 (文・広瀬大介)

バイロイト観劇記

1.楽劇「ラインの黄金」

新野見 卓也

2022年12月9日 午後11:09 公開

バイロイト音楽祭といえば世界中の音楽ファンにとっての一大イベントですが、今年2022年は複数の事情が重なりその特別感が増していたように思います。2020年の中止、2021年の規模縮小を経てコロナ禍以降初の通常開催。《トリスタンとイゾルデ》の新制作。そしてなんといっても、2年延期された末の《ニーベルングの指環》新演出のお披露目。当然、期待が膨らみます。そんなわけで私自身も、どうにかチケットを入手できたときは安堵の胸をなで下ろし、3年ぶりの「巡礼」を心待ちにしていました。

ですが実際に劇場を訪れるとコロナの影響を感じざるをえません。劇場スタッフは全員マスクを着用していますし、ビュッフェの軽食も値上がりしていました。またワーグナーのスタンプを押してくれていた劇場敷地内の郵便局はもうありません。それでもやはり世界中から集まったワグネリアンたちは心躍らせ、音楽祭の雰囲気を楽しんでいました。花壇で記念撮影する姿、様々な言語で歌手や演出の善し悪しを論じ合う声、バルコニーでのファンファーレにスマートフォンを構える様子、そしてバイロイト恒例幕切れでの盛大なブラボーとブーイング(!)。この音楽祭ならではの光景に、私も「聖地」に来たことを実感しました。

さて、その《指環》の新制作。今回演出に抜擢されたのは弱冠31歳(本来初演予定だった2020年の時点)の若手ヴァレンティン・シュヴァルツです。この年齢には多くの人がパトリス・シェローを思い浮かべたのではないでしょうか。シェローは1976年、初演100周年記念の《指環》を同じく31歳にして演出しました。作品の舞台をワーグナーの生きた19世紀に置き換えたこの演出は今でこそ名演出と讃えられていますが、当時はその大胆な読み替えがスキャンダルを巻き起こしました。そんなシェローを例外としてバイロイトの《指環》ではベテラン演出家の起用が続いていたので、これは注目の人選と言えます。

シュヴァルツの演出についてはプルミエ前の時点ですでに様々な噂が聞かれましたが、そのひとつに「Netflixのよう」というものがありました。《ラインの黄金》第2場に登場する豪奢なファッションに身を包んだ神々は、たしかにマフィア映画の登場人物のようです。

(モダンな部屋でカラフルな衣装を纏う神々。警備や使用人の姿も見られる。)

またラインの黄金を子どもに読み替えるという本演出のキモにより、指環を巡る争いはサスペンス映画のような誘拐劇となります。

(少年を誘拐するアルベリヒ。少年の服装に注目。)

もちろんこのような読み替えは、シェロー以降けっして珍しいものではありません。ではこのような「Netflix設定」でシュヴァルツは何を描こうとしたのでしょうか?

バイロイト音楽祭2022 楽劇「ワルキューレ」

初回放送日: 2022年12月13日

5年ぶりに新演出で登場する「ニーベルングの指環」▽演出のバレンティン・シュワルツの大胆な読み替えに聴衆が大ブーイングした4部作の第2作「ワルキューレ」 オペラ的な要素と楽劇的な要素が織り交ぜられたこの作品では、許されない兄と妹との愛の重唱や、父と娘の愛と葛藤という情感に溢れた場面に加え、単独で演奏されることも多い「ワルキューレの騎行」という名曲も聴かれる。ジークムント役のクラウス・フロリアン・フォークトとジークリンデ役のリーゼ・ダヴィッドセンの歌声は必聴。解説・三澤洋史

演奏

  • ジークムント: クラウス・フロリアン・フォークト(テノール) フンディング:ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス) ウォータン:トマシュ・コニエチュニ(バス・バリトン) ジークリンデ:リーゼ・ダヴィッドセン(ソプラノ) フリッカ:クリスタ・マイア(メゾ・ソプラノ) ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン(ソプラノ) ゲルヒルデ:ケリー・ゴッド(ソプラノ) オルトリンデ:ブリット・トーネ・ミュラーツ(ソプラノ) ワルトラウテ:ステファニー・ミューター(ソプラノ) シュヴェルトライテ:クリスタ・マイア(メゾ・ソプラノ) ヘルムヴィーゲ:ダニエラ・ケーラー(ソプラノ) ジークルーネ:ステファニー・ハウツィール(メゾ・ソプラノ) グリムゲルデ:マリー・ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ) ロスワイセ:ケイティ・スティーヴンソン(アルト) 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:コルネリウス・マイスター 録音:2022年8月1日、バイロイト祝祭劇場

  • 第1幕(59分36秒)

  • 第2幕(1時間26分47秒)

  • 第3幕(1時間8分40秒)

  • 楽曲概要

    • 前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」 楽劇「ワルキューレ」 Die Walküre リヒャルト・ワーグナーが作曲した、楽劇《ニーベルングの指環》(全四部)の第1日。全3幕。(初演1870年、ミュンヘン宮廷歌劇場)。ワーグナーみずからが執筆した脚本による。 【登場人物】 ジークムント(ten.) フンディング(bs.) ウォータン(bar.) ジークリンデ(sop.) フリッカ(mez.-sop.) 戦いの女神たち(9人): ブリュンヒルデ(sop.)/ゲルヒルデ(sop.)/オルトリンデ(sop.)/ワルトラウテ(sop.)/シュヴェルトライテ(alt.)/ヘルムヴィーゲ(sop.)/ジークルーネ(alt.)/グリムゲルデ(Mez.-sop.)/ロスワイセ(alt.) 【時代と舞台設定】 神話の時代。フンディンクの家、岩山、岩山の頂き

あらすじ

  • 第1幕:フンディンクの家 嵐の中、這々の体で逃げてきたヴェルフィング族の男は、一軒の家を見つけ、その場へと転がり込む。その家に暮らす女は、突然の闖入者に驚くが、傷を負い、水を求める男に対し、警戒しながらも水と酒を与える。フンディンクが帰宅。訪れた男が、みずからの妻によく似ていることに内心驚きつつも、一夜の宿を貸すからには、自分が何者かを名乗るよう迫る。みずからの冒険を語る男が、先ほどまで討ち果たさんとして探し回っていた男であることに気づき、鋭い緊張が走る。武器を持たずに逃げ込んだ男には一夜の宿を貸す、という仲間内の掟に従うが、明日は尋常に勝負せよ、と伝え、部屋に鍵をかけてその場を立ち去るフンディンク。寝酒を用意するよう命じられた妻は、部屋を立ち去る前にトネリコの木に目配せするが、男はそれに気づかない。 男は、昔父親が、万策尽きた時にはきっと剣が与えられるだろう、と約束していたことを思い出す。月明かりに照らされて、トネリコの木に刺さった剣が光るが、何が光っているのかはわからない。やがてフンディンクの妻が戻る。驚く男に対し、妻は「フンディンクの寝酒には眠り薬を入れた。この日が来るのをずっと待っていた。自分を解き放ってほしい」と熱く訴える。扉が開き、月明かりとともに春の訪れを感じるふたり。語り合ううちに、互いが生き別れた兄と妹であることを悟る。兄はみずからをジークムントと名付け、妹もみずからをジークリンデと命名。ジークムントはトネリコの木から、ノートゥングと命名した剣を引き抜き、ジークリンデと結ばれる。 第2幕:岩山 ウォータンは、自分の思い描いた計画がことごとく図にあたったことを喜び、ワルキューレたるブリュンヒルデに、引き続きジークムントの勝利とフンディンクの敗北を支援するように命じる。だが、そこへ妻フリッカが登場。妻を奪われたフンディンクに願をかけられたため、彼の味方をするよう、ウォータンに迫る。兄と妹が近親相姦を犯したこと自体、結婚の神たるフリッカには堪えられない。他所で浮気を繰り返す夫ウォータンもフリッカに強いことが言えず、その剣幕にたじろぐ。結局ウォータンは、フンディンクに味方し、ジークムントを斃す、というフリッカの決定に、無理矢理同意させられる。 ブリュンヒルデがその場へと戻る。計画が頓挫し、深い絶望感にとらわれるウォータン。ウォータンはエルダとの邂逅、ブリュンヒルデの生い立ちなどを語り、自分の計画が無に帰すならば、いまや望むのは「世界の終焉」と叫ぶ。父親の深い絶望に驚いたブリュンヒルデは何とか父を翻意させようとするが、ワルキューレは自分の手足となって動けばよい、と考えるウォータンの逆鱗に触れる。 フンディンクの館から逃れてきた兄妹がやってくる。心身ともに疲労の限界に達したジークリンデは、ジークムントが襲われ、殺される幻影を見て、その場で倒れてしまう。逃げることに疲れ、その場に眠るふたり。そこへ、ブリュンヒルデがやってきて、ジークムントを起こす。ジークムントはフンディングに斃される運命にある、と告げるブリュンヒルデ。無情な神々の決定をなじるジークムントの必死の訴えに、心を動かされるブリュンヒルデ。ともに死ねぬ定めならば、この場でジークリンデを刺し、自分も死ぬと宣言するジークムントの姿に、ブリュンヒルデは父親の意に逆らい、ジークムントを助けることを決意。戦場で助けることを約束する。 ジークリンデが一人目覚める。気がつくと、遠くでジークムントとフンディンクが戦っている。成り行きに胸を痛め「まず自分を殺して」と叫ぶジークリンデ。ブリュンヒルデの加勢を受け、ジークムントがまさにフンディンクにとどめの一撃を見舞おうとした瞬間、ウォータンが現れ、ジークムントのふるう剣ノートゥングを二つに折る。体勢を立て直したフンディンクが、ジークムントを深々と刺し貫く。絶望のあまり、その場に倒れるジークリンデをブリュンヒルデは助けつつ、ノートゥングの破片を拾い、その場を離れる。フリッカのもとへ行け、とフンディンクに死を与えたウォータンは、娘ブリュンヒルデの背信に激怒し、娘の後を追いかける。 第3幕:第2幕とは異なる岩山 戦乙女、ワルキューレたちは、人間界で駆り集めた戦死した英雄たちを、ヴァルハラ城に連れて行く前にいったんここに集めることにしている。互いの戦果を誇るワルキューレ。そこへ、ブリュンヒルデがジークリンデを連れて逃げてくる。事の顛末を聞いた8人のワルキューレたちは、ウォータンの激しい怒りに恐れおののき、ブリュンヒルデを助けようとしない。絶望に駆られたジークリンデは、みずから死を選ぼうとするが、その胎内にジークムントとの新しい命が宿っていることをブリュンヒルデに告げられると、俄然生きる気力を取り戻す。ブリュンヒルデは、大蛇が棲む東の森の中ならば、ウォータンの力も及ばない、と、ジークリンデにノートゥングの破片を、そして、やがて生まれる子供に「ジークフリート」という名を与える。感謝の気持ちを表し、立ち去るジークリンデ。 やがて、恐ろしい雷鳴とともにウォータンが追いつく。ワルキューレたちは人垣を作ってブリュンヒルデをかくまうが、数々の罪状を並べ立てるウォータンの剣幕に屈し、みずからを罰してくれ、と人垣から現れる。ウォータンは、ブリュンヒルデの神性を剥奪し、通りすがりの男のものになる、という罰を与える。父の激しい怒りの前に、ヴァルハラ城へと逃げ去る8人のワルキューレたち。 岩山には父と娘が残される。父親の本当の意向に従ったブリュンヒルデに、怒りを忘れ、父親としての愛情を抑えきれないウォータン。娘の必死の懇願に折れ、「ブリュンヒルデを得るものは、この世でもっとも強い男」となるよう、炎の壁で娘を守ることを決意。ウォータンはブリュンヒルデの眼に口づけて娘を眠らせ、火の神ローゲを呼び出して、岩山の周りを炎で包む。みずからの権力の黄昏を予感しつつ、ウォータンは岩山を立ち去る。 (文・広瀬大介)

バイロイト観劇記

2.楽劇「ワルキューレ」

新野見卓也

2022年12月9日 午後11:10 公開

読み替え演出を理解するためには、まずその前提を正しく理解する必要があります。つまりどの設定がオリジナルのまま活かされていて、どの設定が変更されているのかを見極めなくてはなりません。ここでは《ワルキューレ》におけるもっとも大きな変更点を紹介しましょう。ジークムントとジークリンデが生き別れとなった双子という設定はそのままのようです。しかしヴァレンティンによる演出では、ジークリンデは舞台に登場した時点ですでに妊娠しています。

(ジークリンデ(左)とジークムント(右)。ジークリンデは第1幕ですでに身ごもっている。)

この胎児は本来であればジークムントの子で、のちのジークフリートです。ではこの演出では胎児の父親は誰なのでしょうか?

おそらく第2幕がヒントになります。フンディングから逃げ回るジークリンデのもとへ、ジークムント不在の隙にヴォータンが訪れ、彼女を愛撫する場面があるのです。ジークリンデが身ごもってるのは、なんとヴォータンの子のようです。この大胆な読み替えにはどんな意味があるのでしょうか?

その第2幕ですが、もうひとつ注目すべき読み替えが見られます。それは同幕の冒頭がフライアの葬儀で始まるという点です。録音でもその死を悲しむ慟哭が聞こえるでしょう。シュヴァルツの説明によると、フライアは《ラインの黄金》で誘拐された際の傷が癒えずに亡くなったということのようです。

一方であの〈ワルキューレの騎行〉で有名な第3幕は、賑々しい場面にはじまります。ここではワルキューレたちがサロンの待合室らしきところで、アンチエイジングにいそしんでいます。

(美容に余念がないワルキューレたち。)

一見無関係な2つの場面ですが、《ラインの黄金》で登場した指環=子どもという設定を考慮に入れると共通点が浮かび上がります。あの少年を若さの象徴としてとらえるならば、フライアすなわち若さを司る女神の死と加齢に抵抗する女性たちには、ともに老いの問題を見て取ることができるのです。このような若さ/老いを巡るモチーフは以後も繰り返し登場します。

最後に音楽面にも少しだけ触れたいと思います。今年もっとも喝采を浴びた歌手のひとりはジークリンデを歌ったノルウェー出身のソプラノ、リーゼ・ダヴィッドセンです。彼女は2019年、《タンホイザー》のエリーザベト役ではじめてバイロイト舞台に立ち、世界中のワグネリアンに衝撃を与えました。当時のことはいまだ鮮烈な記憶として残っていますが、劇場を満たして余りある声量と表現の強度に、偉大な芸術家へと着実に前進するその姿に、今年もまたうれしい驚きを覚えました。


バイロイト音楽祭2022 楽劇「ジークフリート」

初回放送日: 2022年12月15日

5年ぶりに新演出で登場する「ニーベルングの指環」▽演出のバレンティン・シュワルツの大胆な読み替えに聴衆が大ブーイングした4部作の第3作「ジークフリート」 若き英雄ジークフリートが、割れた名刀ノートゥングを鍛え直し、その剣で大蛇を倒し、指環と財宝を奪って、美女を眠りから覚ますという、おとぎ話そのもののような血湧き肉躍る冒険物語。さすらい人役のコニエチュニ-、エルダ役のダメラウ、ジークフリート役のシャーガー、ブリュンヒルデ役のケーラー、ミーメ役のベズイエンなど実力派揃いで聴きどころ満載。解説・三澤洋史

演奏

  • ジークフリート: アンドレアス・シャーガー(テノール) ミーメ: アーノルド・ベズイエン(テノール) さすらい人: トマシュ・コニエチュニ(バス・バリトン) アルベリヒ: オウラヴル・シーグルザルソン(バス・バリトン) ファーフナー: ヴィルヘルム・シュヴィングハマー(バス) エルダ: オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ) ブリュンヒルデ: ダニエラ・ケーラー(ソプラノ) 森の小鳥: アレクサンドラ・シュタイナー(ソプラノ) 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:コルネリウス・マイスター 録音:2022年8月3日、バイロイト祝祭劇場

  • 第1幕(1時間18分30秒)

  • 第2幕(1時間11分40秒)

  • 第3幕(1時間21分25秒)

楽曲概要

  • 前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」 楽劇「ジークフリート」 Siegfried リヒャルト・ワーグナーが作曲した、楽劇《ニーベルングの指環》(全四部)の第2日。3幕。(初演1876年、バイロイト祝祭劇場)。ワーグナーみずからが執筆した脚本による。 【登場人物】 ジークフリート(ten.) ミーメ(ten.) さすらい人(bar.) アルベリヒ(bar.) ファフナー(bs.) エルダ(mez.-sop.) ブリュンヒルデ(sop.) 森の小鳥(sop. オリジナルでは少年の声と指定されていた)

あらすじ

  • 第1幕:森の中の岩屋 ミーメは大蛇が持つ指環を得るために、勇者ヴェルズング族の血をひくジークフリートを育て上げ、彼に大蛇を倒させて、その財宝を横取りしようと企んでいる。だが、その大蛇を倒すために必要な名剣ノートゥングを、ミーメの技術(はんだで折れた破片をつなぎ合わせる)では元通りにすることができない。外で遊んできたジークフリートが帰宅。ミーメはノートゥングを慌てて隠し、彼のためにと作った別の剣をあてがうが、ジークフリートの怪力で次々と叩き折られてしまう。ジークフリートは、普通父と子は姿が似るはずなのに、どうして自分とミーメは似ていないのかと迫り、ついに自分がミーメの実の子ではないことを白状させる。その父が亡くなる前に形見として託した剣ノートゥングのことを知るに及び、ジークフリートは興奮し、その剣を鍛えろとミーメに迫る。進退窮まったミーメをよそに、息詰まる洞窟を離れ、広い世界へと思いを馳せるジークフリート。 入れ違いに暖炉のそばで休息を求めるさすらい人が登場。暖炉で休らう権利を得るため、ウォータンは自分の「首」を賭け、ミーメが出す三つの問いに答えようと提案。ミーメは渋々、地底・地上・天上に住まう種族の名を訊く問題を出す。それぞれにニーベルング族、巨人族、神々と正解を出すウォータン。代わってさすらい人が出す問いは、ウォータンの愛した種族、その種族にウォータンが与えた剣の名前。いずれもヴェルズング族、ノートゥングと答えを出せたことにミーメは有頂天になるが、ではそのノートゥングを再び鍛えられるのは誰か、と問われ、従前からそのことに困り果てていたミーメはパニック状態に。さすらい人は「怖れを知らぬもの」が剣を鍛えられる、という謎めいた答えを与え、ミーメの命はそのものに預けようと言い残し、その場を去る。 やがて戻ってきたジークフリートに、ミーメはその怖れを教えようとするが、いっこうに要領を得ない。「怖れを知らぬ」ジークフリートは業を煮やし、ついにみずから剣を鍛え始める。はんだでつなぐのではなく、やすりで剣を粉々にし、炎でその粉を溶かし、新たに剣を鍛える様子を横目で見ながら、ジークフリートが大蛇を倒した後に毒殺すべく、その薬を調合するミーメ。ジークフリートも剣を完成させ、鉄床をふたつにたたき割って、その驚くべき切れ味を見せつける。 第2幕:深い森の中 大蛇の住まう洞窟の前で、指環を奪還すべくその動向をうかがい続けるアルベリヒ。そこへさすらい人が登場。ウォータンだと一目で見破ったアルベリヒは積年の恨みを爆発させるが、さすらい人は全く気にする様子もなく、これからミーメとジークフリートがやってきて大蛇を倒そうとしていること、そのことを大蛇に教えて、その礼に指環をせしめてはどうか、などという助言まで与え、アルベリヒを驚かす。大蛇へのアルベリヒの説得は不調に終わり、さすらい人もアルベリヒもその場を離れる。 ミーメにつれられてやってきたジークフリートは、ミーメを早々に追い払う。一人きりで森の小鳥の声に耳を澄ませ、葦笛で会話を試みるが、失敗に終わる。みずからの角笛で仲間を呼び寄せようと吹き鳴らすと、眠る大蛇を起こしてしまう。大蛇はジークフリートを丸呑みしようとふたりは戦い、ジークフリートは大蛇の心臓に首尾よくノートゥングを突き立てる。何故自分を呑もうとしたのか、ジークフリートは大蛇の来歴を訪ねるが、要領を得ぬまま大蛇・ファフナーは息絶える。剣を引き抜いた際の返り血を口に含むと、突然さっきは聴き取れなかった小鳥の言葉を解せるようになり、その助言に従って洞窟へ降りていく。 戦いの様子を遠くから見守っていたアルベリヒ、ミーメ兄弟が、洞窟の前で鉢合わせし、指環を巡って醜い争いを繰り広げる。やがてジークフリートが、小鳥の言葉に従って隠れ兜と指環を持って帰ってきたことにふたりは驚愕。ミーメはジークフリートに近づき、指環をせしめるために騙して毒薬を飲ませようとするが、口からはその本心が出てきてしまう。その穢い意志に耐えきれず、ついにジークフリートはミーメを手にかける。森の小鳥が再び現れ、岩山の頂上でジークフリートを待つ花嫁がいることを告げる。ジークフリートは喜び勇み、その岩山へ向かって旅に出る。 第3幕:ブリュンヒルデが眠る岩山 ジークフリートが首尾よく指環を手に入れた今、今後の世界の展望を訊くために、さすらい人は地底深く眠るエルダを起こし、その託宣を求める。さすらい人みずからが引き起こした世界の矛盾(ブリュンヒルデに反抗を教えながら、その反抗した娘を罰した)の顛末を聞くが、それを理解できずに困惑するエルダ。さすらい人は神々の世界の没落を望み、世界を統べる役割をジークフリートに譲るのだ、と宣言。みずからの叡智がもはや役に立たないことを悟るエルダは、静かに地底へと戻る。 森の小鳥につれられてやってきたジークフリートは、その場にいるさすらい人の正体を見抜けない。内心ではジークフリートにかなわないと思いつつ、さすらい人は神々としての威厳を見せようと、岩山へ行く道を塞ごうと試みるが、手にした槍はジークフリートの持つノートゥングで叩き折られる。権力の源泉たる槍を失ったウォータンは、諦めとも、安堵ともつかぬ調子でその場を離れ、ジークフリートは意気揚々と、岩山の周りで燃えさかる炎をものともせずに駆け上る。 岩山の頂上で、鎧に守られながら眠るブリュンヒルデ。それが誰かを知らないジークフリートは、鎧を結ぶ鎖を剣で断ち切る。鎧をとると、横たわる人間が女性であることを知り、初めて「怖れ」を覚えるジークフリート。怯えながらもその女性に口づけると、ようやく目を覚ますブリュンヒルデ。彼女は、目の前にいる勇者がジークフリートであることを知り、みずからの希望が叶えられたことを喜ぶが、いまや神としての力を失い、ただの弱い女になってしまったことに不安を抱き、ジークフリートの求愛を拒絶しようと試みる。だが、次第にブリュンヒルデはジークフリートの情熱に屈し、高らかに「晴れ晴れとした死」の日を歌い上げ、愛の歓びを謳歌する。 (文・広瀬大介)

バイロイト観劇記

3.楽劇「ジークフリート」

新野見卓也

2022年12月10日 午前5:57 公開

シュヴァルツ演出では指環は少年に読み替えられていると《ラインの黄金》の項で触れました。この《ジークフリート》では彼は成長した姿で登場します。ジークフリートが育ての親ミーメに連れられて向かう先は指環を守る大蛇ファーフナーの住処ですが、ここではファーフナーは病に伏している老人です。そのファーフナーに付き添っている男性がいます。彼はファーフナーの死後、ジークフリートとともにブリュンヒルデのもとへと向かいます。ですからオリジナルの物語と照らし合わせると、彼が指環=《ラインの黄金》において攫われた子どもだと考えるのが妥当でしょう。ところでこの黄色いポロシャツに青のジーンズの姿、どこかで目にされたことはないでしょうか? NHK-BSでの《神々の黄昏》の放送をご覧になった方は覚えておられるかもしれませんが、じつは彼はハーゲンなのです(《ラインの黄金》の少年も同じ色の服装をしています)。彼は《ジークフリート》においては黙役で、キャスト表にははっきり「若きハーゲン」と記載されています。

そしてすでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、《ワルキューレ》に引き続き、ここにも老いのモチーフが表れています。死の床に横たわるファーフナーにそれを見ることができるでしょう。

(ジークフリートとファーフナー。シュヴァルツによるとファーフナーは死ぬことができないという。無理矢理延命装置をつけられているのだろうか。)

彼はジークフリートによって床に倒され、おそらく心臓麻痺で命を落とします。とはいえこの演出ではジークリートは若い英雄としては描かれず、どうやらアルコール依存症のようです。また指環の読み替えであったはずの、若いハーゲンにも快活さはありません。

(左から森の小鳥、ジークフリート、ミーメ、若きハーゲン。ジークフリートの持つアルコール、ハーゲンのいじけた様子に注目。)

ここでは若さと老いのモチーフの対比ははっきりとは浮かび上がりません。これまでの問題系が少し宙に浮いてしまったように見えます。

この項でも最後にひとりの歌手に触れておきたいと思います。題名役を歌ったアンドレアス・シャーガーです。彼はその驚くべき声の張りとスタミナで、まさに生きるジークフリートとして、いまや世界中で引っ張りだこです。コルネリウス・マイスターの指揮は歌手を手厚くサポートしているとは言いがたいのですが、シャーガーは持ち前の強靱な喉でこの難役を見事に歌い切っています。稀代のヘルデン・テノールの熱唱をお楽しみください。

バイロイト音楽祭2022 楽劇「神々のたそがれ」

初回放送日: 2022年12月16日

5年ぶりに新演出で登場する「ニーベルングの指環」▽演出のバレンティン・シュワルツの大胆な読み替えに聴衆が大ブーイングした4部作の最後の作品「神々のたそがれ」 台本の執筆開始から26年もの歳月を費やして完成されたリングの最終章。アルべりヒの恐るべき息子ハーゲンの策略、ジークフリートの死、ブリュンヒルデの自己犠牲と世界の救済から神々の終焉(えん)までが圧倒的な迫力の音楽で描かれた。「ジークフリートのラインの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」など聴きどころ多数。解説・三澤洋史

演奏

  • ジークフリート: クレイ・ヒリー(テノール) グンター: ミヒャエル・クプファー・ラデツキー(バス) アルベリヒ: オウラヴル・シーグルザルソン(バス・バリトン) ハーゲン: アルベルト・ドーメン(バス) ブリュンヒルデ: イレーネ・テオリン(ソプラノ) グートルーネ: エリザベト・タイゲ(ソプラノ) ワルトラウテ: クリスタ・マイア(メゾ・ソプラノ) 第一のノルン: オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ) 第二のノルン: ステファニー・ミューター(メゾ・ソプラノ) 第三のノルン: ケリー・ゴッド(ソプラノ) ウォークリンデ: リー・アン・ダンバー(ソプラノ) ウェルグンデ: ステファニー・ハウツィール(メゾ・ソプラノ) フロースヒルデ: ケイティ・スティーヴンソン(アルト) 合唱:バイロイト祝祭合唱団 合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:コルネリウス・マイスター 録音:2022年8月5日、バイロイト祝祭劇場

  • 第1幕(1時間55分26秒)

  • 第2幕(1時間6分10秒)

  • 第3幕(1時間16分11秒)

楽曲概要

  • 前夜祭と3日間の舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」 楽劇「神々のたそがれ」 Götterdämmerung リヒャルト・ワーグナーが作曲した、楽劇《ニーベルングの指環》(全四部)の第3日。序幕と3幕。(初演1876年、バイロイト祝祭劇場)。ワーグナーみずからが執筆した脚本による。 【登場人物】 ジークフリート(ten.) グンター(bs.) アルベリヒ(bar.) ハーゲン(bs.) ブリュンヒルデ(sop.) グートルーネ(sop.) ワァルトラウテ(sop.) 運命の女神:第一のノルン(alt.)/第二のノルン(alt.)/第三のノルン(sop.) ウォークリンデ(sop.) ウェルグンデ(sop.) フロースヒルデ(mez.-sop.) 家臣たち 女たち 【時代と舞台設定】 ブリュンヒルデの岩山、ギービヒの館、ライン川の畔

あらすじ

  • 序幕: エルダの娘である三人のノルンたちが、世界の運命を司る綱を編みながら、世の中の来し方行く末を物語る。ウォータンがトネリコの木から槍を作り、それで世界を統べていたが、ジークフリートがその槍を折ってしまったため、ウォータンはヴァルハルを護る勇士たちにトネリコの木を切らせ、薪としてヴァルハルの周りに積み上げさせた。やがて神々が滅びる日、その薪に火がつけられるだろう、という預言を歌う中、紡ぐ綱が切れてしまう。世界の終焉を感じつつ、地下へと戻るノルンたち。 ブリュンヒルデの岩山。愛の時を過ごしたブリュンヒルデとジークフリート。ジークフリートは、新たな冒険へと旅立とうとしている。みずからの愛の証に、愛馬グラーネを贈るブリュンヒルデ。そのお返しに、ジークフリートは大蛇との戦いで勝ち得た指環を贈り、驚喜するブリュンヒルデ。互いの無事を祈りあいながら、ジークフリートは旅立ち、ライン川を船で下っていく(ジークフリートのラインの旅)。 第1幕 第1・2場:ギービヒ館の広間 ライン川沿いを支配する豪族ギービビ家。同家の当主グンターは、異父弟にあたるハーゲンに、自分たちの勢力・名声が充分に行き届いているかを訪ねる。内心ではこの兄妹を快く思っていないハーゲンは、彼らを逆に利用して、ニーベルング族にとって悲願とも言える指環の奪還を目指している。ハーゲンはグンターに対し、名声は充分足りているが、グンターは最高の女、グートルーネは最高の男と結婚すれば、その名声はさらに上がるはず、と説く。最強の勇士ジークフリートをグートルーネの美貌、そして過去のことをすべて忘れてしまう効果を持った薬酒を飲ませて籠絡し、彼にしか超えられない炎の先に住むブリュンヒルデを連れてこさせ、グンターの妻にすればよい、というハーゲンの助言に喜ぶふたり。折しも、ライン川を下るジークフリートが館のそばを通り過ぎようとしていたので、ハーゲンはジークフリートに声をかけ、館へと招待する。 ジークフリートが館へとやってくる。グンターとジークフリートはすぐに意気投合し、ハーゲンはジークフリートの持っている宝が、魔力を持った隠れ頭巾であることを教える。やがてグートルーネが薬酒を持って登場。ジークフリートは最初の一口をブリュンヒルデに捧げる、と歌ってから飲み干すが、効き目はすぐに現れ、ジークフリートは完全にブリュンヒルデのことを忘却し、目の前にいるグートルーネに夢中になる。グートルーネを娶るため、グンターのためにブリュンヒルデを連れてくることを約束し、ジークフリートとグンターは互いの血を混ぜた杯を飲み、義兄弟の契りを結ぶ。ふたりはブリュンヒルデのいる岩山へと向かう。すべては自分の策略通りに事が進み、いずれは指環を手に入れると、内に秘めた野望をむき出しにするハーゲン。 第3場:ブリュンヒルデのいる岩山 ひとりブリュンヒルデが留守をまもっていると、ヴァルハルから馬に乗ってヴァルキューレの一人、ヴァルトラウテがやってくる。ヴァルトラウテは自分がウォータンの目を掠めてやってきたこと、折れた槍を携えて戻ってきたウォータンがすべてのやる気を失い、神々の世界の終焉を待ち望んでいることを語る。ウォータンのつぶやきを耳にしたヴァルトラウテは、姉にその指環を返すよう懇願。だが、ジークフリートから愛の証としてもらった指環を、ブリュンヒルデは決して手放そうとしない。絶望しながら天上の世界へと帰るヴァルトラウテ。やがて夜が近づき、炎が燃えさかる。ジークフリートの帰還かと思いきや、そこへやってきたのは、グンター(隠れ頭巾の魔力で姿を変えたジークフリート)。ブリュンヒルデを妻にするためにやってきたと語るグンターに精一杯の抵抗を見せるが、力及ばず、指環も奪われてしまう。ブリュンヒルデがその場を去った後、ジークフリートは頭巾をとって本来の姿に戻り、グンターへの真義を貫くため、みずからと女との間を隔てよ、と名剣ノートゥングに願をかける。 第2幕:ギービフング館前の川の岸辺 館を守り、仮眠をとっているハーゲンの夢枕にアルベリヒが現れ、ジークフリートが持っている指環をかならず取り返せと、ハーゲンに発破をかける。夜が明け、アルベリヒが夢枕から消えると、ジークフリートが隠れ頭巾に隠された瞬間移動能力を使い、一足先に館へと帰還。ハーゲンとグートルーネに冒険の様子を物語る。ハーゲンは館の家臣と軍を招集。グンターに危機が迫ったかと慌てる男たちは、ハーゲンが告げる結婚の報せに歓びを爆発させる。 グンターがブリュンヒルデを連れて帰る。打ちひしがれた様子のブリュンヒルデを尻目に、ギービヒ家の栄光を声高に称えるグンターと家臣たち。だが、そこにグートルーネと共にいるジークフリートの姿を見つけたブリュンヒルデは愕然とする。しかも、前日にグンターに与えたはずの指環をジークフリートが持っている事に気づき、炎を越えてやってきたのが姿を変えたジークフリートであったことを悟り、激昂する。指環がもとから自分のものであると立証できないジークフリートはやむなくハーゲンの槍にみずからの潔白を誓うが、ブリュンヒルデも同じ槍で裏切り者に死を与えよと誓う。 その場に残ったハーゲンはブリュンヒルデから、ジークフリートの弱点は背中であるという事実を聞き出す。名誉が傷つけられたと嘆くグンターに対し、ハーゲンはジークフリートを殺害し、指環を奪ってその権力を手に入れろと唆す。ブリュンヒルデはジークフリートが裏切った本当の理由を知ることなく、グートルーネに惑わされたに違いないと叫び、三者三様にジークフリートの殺害を誓う。 第3幕 第1・2場:ライン河畔、森と岩の入り組んだ谷間 ラインの川岸で、《ラインの黄金》に登場した乙女たちが歌う、失われた黄金を返して欲しいという歌が響く。迷い込んできたジークフリートに対し、手にしている指環を返してくれと歌う。ケチと罵られたジークフリートは指環を返そうとするが、指環の呪いで命が危ない、と脅かされると、脅しには屈しないと前言を撤回。乙女たちは、指環はいずれ自分たちのてもとに戻ると意に介さず、水底へ戻っていく。 グンター、ハーゲンが率いる狩りの集団が到着。その場で酒盛りを始める。ジークフリートの殺害に気もそぞろなグンターを励ますべく、ジークフリートは自分の昔話を語って聴かせる。物語が中途まで進んだところで、ハーゲンは記憶が甦る薬酒をジークフリートに飲ませ、その真相を語らせる。驚くグンターと男たちを尻目に、ハーゲンはジークフリートの弱点である背中に槍を突き立てる。ブリュンヒルデに思いを馳せながら息絶えるジークフリート。ジークフリートの亡骸を館へと運ぶ男たち(ジークフリートの葬送行進曲)。 第3場:ギービヒ館 誰もいない館の中、グートルーネは不安に怯えながら、夫の帰りを待ちわびる。だが戻ってきたのは、背中を刺されて息絶えたジークフリートの変わり果てた姿。殺害したのがハーゲンとわかり、グンターも弟を責める。ハーゲンは平然と指環を要求し、一騎打ちの末にグンターを斃してしまう。するとそこへ、ブリュンヒルデが登場。事の真相をすべてラインの乙女たちから聞き及んだブリュンヒルデは、ジークフリートの亡骸から指環を抜き取り、愛馬グラーネと共にギービフングの館を焼く炎の中へ躍り込む。炎は勢いを増し、天上のヴァルハルにまで届き、その城も焼け落ちる。ハーゲンはラインの流れに溺れ、指環の呪いは清められる。後に残された男女が、燃える炎を眺め、新しく始まる世界に思いを馳せる。 (文・広瀬大介)

バイロイト観劇記

4.楽劇「神々の黄昏」

新野見卓也

2022年12月10日 午前5:59 公開

《ジークフリート》の項で、指環=子どもはハーゲンであると書きました(実際に判明するのはこの《神々の黄昏》においてです)。しかし《黄昏》において、ジークフリートとハーゲンが旧知の仲というような描写は見られません。そしていつの間にか、年老いたハーゲンではなくジークフリートとブリュンヒルデの娘らしき少女が指環の役割を担っているようです。すると前作では曖昧でしたが、やはり若さ/老いの対比を読む見方は理にかなうように思われます。

(ハーゲン(左)とグンター(右)。ハーゲンは《ジークフリート》のときと同じ服を着続けている。)

さて、すでにBSでの放送をご覧になった方は第3幕幕切れの、胎内で抱き合う双生児の映像をご記憶かもしれません。じつは《ラインの黄金》も同様の映像で幕を開けました。指環がライン川へと戻るように、この演出でも円環が閉じることで物語の幕が下ります。ただし《ラインの黄金》では双生児のひとりがもう一方の片目を潰す様子の映像でした。彼らについては眼の傷からヴォータン、また境遇は違えどその権力欲によって彼と表裏一体であるアルベリヒだと推測できます。すると《黄昏》最後の映像は、敵対していた両者(ないしその子孫)の和解として読めます。ですが、いつ・なぜ和解したのかはどうもはっきりしません。

ここまでシュヴァルツによる演出を、指環=子どもという変更に基づく若さ/老いの問題系を軸に考えてきました。また、その物語には双子という主題があるらしいことも述べました。では両者はいかに交わるのでしょうか? 正直に告白するなら、じつは私にはその関連が見出せないのです。それだけではありません。《ワルキューレ》の項で述べたジークリンデとヴォータンの近親相姦的関係や、指環のハーゲンから少女への変更といった重要な点もまた、それらに有機的に接続されないように思われるのです。

シュヴァルツ演出に問題があるとすれば(私はあると思いますが)、それはその奇抜な設定や見かけではなく、このような非一貫性ではないでしょうか。彼は《指環》をひとつの大きなテーマで読み解くのではなく、部分からさまざまなモチーフを読み取りそれを配置し直すというやり方で制作したように見受けられます。ですがほんとうにそれで《指環》を読み替えたと言えるのでしょうか……。

さまざまな要素が宙に浮いたままに結末を迎える本演出。魅力的なアイディアが見られるだけに、もったいなく思います。シェローの例もそうですが、バイロイトの演出は年を重ね修正されるに従い、評価が高まることが少なくありません。今後シュヴァルツはこの演出をひとつの物語にまとめ直すことができるでしょうか。期待とともに見守っていきたいと思います。


バイロイト音楽祭2022 歌劇「ローエングリン」

初回放送日: 2022年12月17日

ユーヴァル・シャロン演出による2018年からのプロダクション「ローエングリン」▽中世の聖杯騎士伝説に基づく幻想的、神秘的な雰囲気に溢れたロマンティックな作品 クリスティアン・ティーレマンを指揮に迎え、題名役にクラウス・フロリアン・フォークトが登場。 国王にゲオルク・ツェッペンフェルト、エルザ役にカミラ・ニュルンド、オルトルート役にペトラ・ラングなど、バイロイト経験が豊富な歌手陣が揃った聴きごたえ十分な公演となった。

演奏

  • ドイツ国王ハインリヒ: ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス) ローエングリン: クラウス・フロリアン・フォークト(テノール) エルザ・フォン・ブラバント: カミラ・ニュルンド(ソプラノ) テルラムント: マルティン・ガントナー(バリトン) オルトルート: ペトラ・ラング(ソプラノ) 式部官: デレク・ウェルトン(バス) 四人のブラバントの貴族: ミヒャエル・グニフケ(テノール)、タンセル・アクゼイベク(テノール)、ライムント・ノルテ(バス)、イェンス・エリック・オースボー(バス) 合唱: バイロイト祝祭合唱団 合唱指揮: エバハルト・フリードリヒ 管弦楽: バイロイト祝祭管弦楽団 指揮: クリスティアン・ティーレマン 録音:2022年8月4日、バイロイト祝祭劇場

  • 第1幕(59分14秒)

  • 第2幕(1時間23分50秒)

  • 第3幕(1時間1分53秒)

楽曲概要

  • 歌劇「ローエングリン」 Lohengrin リヒャルト・ワーグナーが作曲した、3幕の「ロマン的オペラRomantische Oper」 初演:1850年8月28日、ヴァイマール宮廷劇場、指揮:フランツ・リスト 作曲者自身の台本による。 【登場人物】 ドイツ国王ハインリヒ(bs.) ローエングリン(ten.) エルザ・フォン・ブラバント(sop.) ゴットフリート公爵(エルザの弟) テルラムント: ブラバントの伯爵(bar.) オルトルート: テルラムントの妻(sop.) 式部官(bs.) 四人のブラバントの貴族(ten. & bs.) 四人の小姓(sop. & alt.) ザクセン、チューリンゲンの貴族たち ブラバントの貴族たち 他 【時代と舞台設定】 10世紀前半のアントヴェルペン

あらすじ

  • 第1幕:アントヴェルペン近郊、スヘルデ河畔の野原 ドイツ国王ハインリヒが、自身が治めるザクセン・チューリンゲンの軍勢を率いてブラバント・アントヴェルペンに到着し、東から攻めてくるハンガリーの脅威に対し、ブラバントの諸国よ団結せよと呼びかける。そこへ同地の伯爵フリードリヒ・フォン・テルラムントが登場し、自分が仕えていた亡きブラバント公爵の娘エルザが、行方不明となっている弟ゴットフリートを隠しているという訴えを起こし、国王の裁定を仰ぐ。この訴えには、みずからの求婚を無下にされたテルラムントの恨みもこもっており、エルザが不貞を働き、その情夫と不当にブラバント公爵の地位を掠め取ろうとしているのでは、という疑いすらも匂わせる。エルザはみずからの無実を訴え、それを晴らしてくれるという、夢の中に現れる騎士の到着を待ち望むが、そんなエルザに同情するひとは多くない。国王は神前での決闘をもって、両者の争いに決着を付けようとする。 夢見がちなエルザに業を煮やしつつ、国王ハインリヒは自分の代わりに神前決闘に臨む騎士を立てよと命じるが、その場にいる人たちは尻込みし、誰も名乗り出ようとはしない。すると、エルザの夢の中に現れ、自分を救ってくれると約束したという、白鳥に乗った騎士が現れる。奇跡に驚く群衆・軍勢を尻目に、騎士は国王に挨拶し、エルザには自身の名前と素性を決して訊ねないこと、エルザと結婚することを条件に、代わりに戦うことを約束。騎士は、神がかり的な強さでテルラムントを打ち倒すが、命だけは取らずに助ける。さきほどテルラムントを称えていた周りの人たちは、手のひらを返したかのように騎士を讃え、テルラムントの妻オルトルートは、その騎士に疑念を募らせる。 第2幕:アントヴェルペン城内 突然現れた、名前を名乗らぬ騎士に打ち倒されたテルラムントは、みずからの誇りを打ち砕かれ、落胆する。だが、その騎士の現れ方や尋常でない強さに不信を抱くオルトルートは、騎士の素性を探り出し、弱みを握れば倒せるはず、と夫を励ます。その場にやってきた幸せの絶頂にいるエルザに対しても、オルトルートは騎士が名前を名乗らないのはいかにもおかしいと吹き込み、あの騎士の素性をなんとかして訊き出せと唆(そそのか)す。エルザの心に、得体の知れない騎士に対する疑いが芽生え始める。 やがて、国王とその軍勢とともに登場した騎士は、軍勢に向かい、みずからを「ブラバントの守護者」と呼ぶように告げ、エルザとの結婚式に赴こうとする。ところがその場にやってきたオルトルートとテルラムントはふたりの行く手を阻み、騎士にはその素性を明かせと鋭く迫る。騎士は両者の挑発をはっきりと拒否し、結婚式へとエルザを誘うものの、エルザの心に巣喰った疑念は徐々に膨らんでいく。 第3幕 第1・2場:城内の寝室 白鳥の騎士とエルザの婚礼も滞りなく済み、ふたりは寝室へと戻る。ところが、新床(にいどこ)の場ですら、言を左右にして自分のことを語ろうとしない騎士の素性を怪しむエルザの疑いはやがて頂点に達し、その名前を自分だけに教えて欲しい、誰にも明かさないから、と迫る。騎士はエルザの願いをなんとかかわそうとするが、それを騎士の誠意の欠如と感じたエルザはついに怒りはじめ、強い口調でその素性を訊き出そうとし、騎士は絶望と悲嘆に暮れる。そこへ、騎士を闇討ちしようと、テルラムントとその家臣が襲いかかるが、騎士はテルラムントを返り討ちに。騎士は事の成り行きに絶望しつつも、国王も同席する皆の前で、自身の素性を打ち明けよう、とエルザに語る。 第3場:スヘルデ河畔の野原 川岸へとやってきた国王と軍勢に対し、騎士は自分が討ち取ったテルラムントの遺骸を示して正当防衛を主張し、皆はこれを受け容れる。次いで自身が属すモンサルヴァートの聖杯騎士団について、王パルジファルの意を承け、聖杯から遣わされた騎士「ローエングリン」であることをようやく明かす(グラール語り)。素性を明かしたからには、掟を破ったことで聖杯の怒りを買う前に、その故郷へ戻らねばならぬと告げる。嘆き悲しむエルザを尻目に、オルトルートは敵前逃亡するのかとローエングリンを嘲笑するが、騎士はその場で行方不明の弟ゴットフリートを甦らせ、ブラバントの地を弟に継がせるよう告げて、その場を去る。弟が戻ってきた以上に、愛するひとを喪ってしまう衝撃に、エルザはその場で息絶える。 (文・広瀬大介)

バイロイト音楽祭2022 歌劇「さまよえるオランダ人」

初回放送日: 2022年12月17日

昨年新演出で登場した「さまよえるオランダ人」。指揮は昨年の成功で注目を増している、ウクライナ出身で音楽祭史上初の女性指揮者、オクサーナ・リーニフが務めた。 歌手は昨年からかなり入れ替わり、オランダ人役はベテラン歌手のトーマス・ヨハネス・マイヤー、ゼンタ役は現在注目を浴びているソプラノ、エリザベト・タイゲが務めている。演出を担当したのは、昨年この《オランダ人》でバイロイト・デビューを果たしたドミートリ・チェルニャコフ。港町に恨みを抱いた少年が、成長して「オランダ人」として戻ってきて、街の人たちに復讐する、という物語を作り上げた。解説・広瀬大介、ゲスト新野見卓也(ピアニスト・音楽評論)

出演 広瀬大介(音楽学・音楽評論)
音楽学者、音楽評論家。1973年生まれ。青山学院大学教授。日本リヒャルト・シュトラウス協会常務理事・事務局長。著書に『リヒャルト・シュトラウス自画像としてのオペラ』『帝国のオペラ』『オペラ対訳×分析ハンドブック シュトラウス/楽劇 サロメ』『もっときわめる! 1曲1冊シリーズ3 ワーグナー:《トリスタンとイゾルデ》』など。 『レコード芸術』など各種音楽媒体での評論活動のほか、NHKラジオへの出演、演奏会曲目解説・CDライナーノーツの執筆、オペラ公演・映像の字幕・対訳などを多数手がける。

ゲスト新野見卓也(ピアニスト・音楽評論)
ピアニスト・音楽批評家。栃木県足利市出身。国際基督教大学(ICU)人文科学科卒業、一橋大学大学院言語社会研究科修了。飯塚毅育英会奨学生として、またハンガリー政府奨学生として、2014年よりハンガリー国立リスト音楽院に在籍し2020年に同大学院を修了。現在、ハンガリー国立ダンスアカデミー専属バレエピアニスト。リサイタル等の演奏活動、『レコード芸術』誌への寄稿といった執筆活動の他、2018年より書道と音楽のコラボレーション企画⦅音と言葉の間⦆を栃木高校の同窓生、バリトン・荒井雄貴、書家・小杉卓と共に実施し、舞台芸術の新しい可能性に挑戦している。2022年、ワーグナーのピアノ作品を収めたCD『Schmachtend』をリリース。

演奏

  • ダーラント: ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス) ゼンタ: エリザベト・タイゲ(ソプラノ) エリック: エリック・カトラー(テノール) マリー: ナディーネ・ヴァイスマン(メゾ・ソプラノ) かじとり: アッティリオ・グラーザー(テノール) オランダ人: トーマス・ヨハネス・マイヤー(バリトン) 合唱:バイロイト祝祭合唱団 合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:オクサーナ・リーニフ 録音:2022年8月6日、バイロイト祝祭劇場

  • (2時間18分21秒)

楽曲概要

  • 歌劇「さまよえるオランダ人」 Der fliegende Holländer リヒャルト・ワーグナーが作曲した3幕の「ロマン的オペラRomantische Oper」。ハインリヒ・ハイネの「フォン・シュナーベレヴォプスキ氏の回想録から」(1832)を原作にした、作曲者自身の台本による。 【登場人物】 ダーラント: ノルウェーの船乗り(bs.) ゼンタ: ダーラントの娘(sop.) エリック: 狩人(ten.) マリー: ゼンタの乳母(mez-sop.) かじとり(ten.) オランダ人(bar.) ノルウェー船の水夫たち オランダ船の水夫たち 娘たち 【時代と舞台設定】 ノルウェー沿岸

あらすじ

  • 利に聡いノルウェーの商人にして船長、ダーラントが、嵐を避けて港で難を避けている。舵取りに見張りを任せるが、その舵取りも眠り込んでしまう。そこに近づく幽霊船。呪いをかけられたこの幽霊船の船長オランダ人は、7年に一度だけその船から下りることを許されているが、その間にみずからへ愛の誠を捧げる女性を見つけねば、その呪いは解けない。いまがその7年目にあたるオランダ人は、みずからの救済を願ってやまない。 ダーラントのひとり娘ゼンタは、以前からオランダ人の絵姿を見ては、その不運に同情し、自分が救わねば、という使命感を感じており、糸紡ぎの仕事にも身が入らない。婚約者の猟師エリックはそんなゼンタを心配するが、何を説いても上の空。やがて、ダーラントが自宅へと連れてきたオランダ人は、娘ゼンタと運命の出会いを果たす。ゼンタは、自分の夢が実現したことに驚きつつも、ふたりは永遠の愛を誓い合う。 ダーラントの船員たちは、ひさびさの故郷への帰還に羽目を外すが、隣に碇を降ろしているオランダ人の船があまりに不気味で、やがて嵐と亡霊に襲われ、怖れをなして逃げ散ってしまう。ゼンタを妻にしようとするエリックはその心変わりを責めるが、ゼンタはまったく耳を貸そうとしない。ふたりの諍いを見たオランダ人は、やはり自分は救われることはないのだと絶望し、もとの海へ戻ろうとする。ゼンタはみずから海に身を投げ、オランダ人の魂を救済する。 (文・広瀬大介)

バイロイト観劇記

5.歌劇「さまよえるオランダ人」

新野見卓也
2022年12月10日 午前6:01 公開
ディミトリ・チェルニアコフ演出の《さまよえるオランダ人》は今年2年目を迎えました。プルミエの様子は昨年NHK-BSで放送されましたので、ご覧になった方も多いかと思います。チェルニアコフはこの作品をオランダ人の救済ではなく、復讐の物語として読み替えています。かつて若き日のダーラントにもてあそばれ、さらにはコミュニティから爪弾きにされた末、自死を選んだ女性がいました。その姿を見ていた彼女の息子が、ダーラントと人々に報いるために街に戻ってくるオランダ人であるという設定です。つまりこの演出において彼がゼンタを求めるのは、ひとえに復讐のためにほかなりません。オランダ人の誘惑に魅了されるゼンタ、ほくそ笑むダーラント(ほんとうは自分が罠にはまっているのに)と手を焼くマリー。

(ゼンタを口説くオランダ人。「いかにも」な感じに彼の思惑が読み取れるかもしれない。)

様々な思いが交わるなか、ついに復讐がはじまります。船員とともに街に火をつけ暴動を働き、雪辱が果たされるかというところで、オランダ人はマリーによって射殺され幕引きとなります。

(幕切れのシーン。荒れ果てた街と茫然自失状態の登場人物たち。)

このような読み替えは一見荒唐無稽に思われますが、舞台上の出来事を追うことは実際には難しくありません。昨今いささか「ネタ切れ」気味という評判がついてまわりがちのチェルニアコフですが、必要にして十分な登場人物の描き分けは、やはり彼が第一級の演出家であることを証明しているでしょう。初年度の舞台の成功には、演出家と同じくバイロイト・デビューであったゼンタ役アスミク・グリゴリアンの演技の切れも大きく貢献していたように思います。一方で今年2022年の公演ではゼンタがグリゴリアンからエリザベート・タイゲに変更となりました。演技にかんしてはやはり初年度の名女優に軍配を上げざるをえませんが、若い才能のバイロイト初舞台は大成功だったと言って差し支えないでしょう。カーテンコールでの万雷の拍手がそのことを証しています。今後彼女がバイロイトを支える実力派ワーグナー・ソプラノとして成長して行くだろうことを予感させる、活き活きとした歌唱でした。

(タイゲ演じるゼンタ。タイゲは《ラインの黄金》のフライア役も好演だった。)

前年に引き続きオクサーナ・リーニフ率いるオーケストラは、息もつかせぬドラマを聴かせてくれます。スコアの恣意的な読解をせずとも、この作品が充分な魅力をそなえていることを示した演奏でした。

バイロイト音楽祭2022 歌劇「タンホイザー」

初回放送日: 2022年12月18日

十字軍の騎士タンホイザー伝説とヴァルトブルクの歌合戦伝説から生み出された作品▽官能の愛と精神の愛の間で揺れる騎士の苦闘と救済が描かれる 大行進曲やエリーザベトの「歌の殿堂」、ヴォルフラムの「夕星の歌」など、名曲が詰まった「タンホイザー」。2019年から上演されているクラッツァーの演出では、本来自由な芸術を標榜して始まったはずのバイロイト音楽祭自身が、いまやローマ教皇のような権威としてなっていることを表現している。タンホイザー役のベテラン、グールドと競演するエリーザベト役の若き歌姫リーゼ・ダヴィッドセンの鮮烈な歌声が印象的。(解説:広瀬大介)

演奏

  • ヘルマン: アルベルト・ドーメン(バス) タンホイザー: ステファン・グールド(テノール) ウォルフラム: マルクス・アイヒェ(バリトン) ワルター: アッティリオ・グラーザー(テノール) ビテロルフ: オウラヴル・シーグルザルソン(バス) ハインリヒ: ホルヘ・ロドリゲス・ノルトン(テノール) ラインマル: イェンス・エリック・オースボー(バス) エリーザベト: リーゼ・ダヴィッドセン(ソプラノ) ヴェーヌス: エカテリーナ・グバノヴァ(ソプラノ) 牧童: トゥリ・タカラ(ソプラノ) 合唱:バイロイト祝祭合唱団 合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:アクセル・コーバー 録音:2022年8月8日、バイロイト祝祭劇場

  • 序曲、第1幕(57分07秒)

  • 「第1幕の一部」(1分35秒)

  • 第2幕(1時間11分04秒)

  • 第2幕の一部(3分19秒)

  • 第3幕(52分52秒)

  • 第3幕の一部(2分55秒)

楽曲概要

  • 歌劇「タンホイザー」 Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg リヒャルト・ワーグナーが作曲した、3幕の「ロマン的大オペラ Grosse romantische Oper」(初演1845年、ドレスデン宮廷劇場)作曲者自身の台本による。 【登場人物】 ヘルマン: チューリンゲンの領主(bs.) タンホイザー(ten.) 歌手である騎士たち: ウォルフラム(bar.)/ワルター(ten.)/ビテロルフ(bs.)/ハインリヒ(ten.)/ラインマル(bs.) エリーザベト: 領主のめい(sop.) ヴェーヌス(sop.) 牧童(sop.) 四人の小姓(sop. & alt.) 【時代と舞台設定】 13世紀初頭、チューリンゲン地方、ヘルマンの居城

あらすじ

  • 第1幕:ヴェーヌスベルクの洞窟 騎士タンホイザーは、ヴェーヌスベルクに棲まう愛欲の女神ヴェーヌスと享楽の日々を送っていたが、そんな日々にも飽き、地上の生活の素朴な喜びに思いを馳せる。ヴェーヌスの願いに応じてタンホイザーはその美しさを讃える歌を聞かせるが、心ここにあらず、といった雰囲気で、歌は必ず「ここから解き放ってくれ」という懇願で終わってしまう。ヴェーヌスは怒り、傷つき、すがりつくように「行かないで」と願うが、タンホイザーが聖母マリアの名前を唱えると、ヴェーヌスベルクは忽然と消え失せる。タンホイザーは、あたりに響く牧童の歌で、故郷へと戻ってきたことを悟る。そこへ国王と騎士たちが現れ、タンホイザーに、ともにヴァルトブルクへと戻ろうと誘う。タンホイザーはその誘いを固辞するが、ウォルフラムの「エリーザベトのもとに留まるのだ」という言葉に、前言を翻(ひるがえ)し、ともにヴァルトブルクへと向かう。 第2幕:チューリンゲン、ヴァルトブルク城 チューリンゲンの領主の姪エリーザベトは、歌合戦の会場、「歌の殿堂」に久々に足を踏み入れ、密かに慕うタンホイザーと久々の邂逅を果たす。領主ヘルマンはやってきた人々に歌の芸術の素晴らしさを褒め称え、歌手である騎士たちに、愛の讃歌を歌ってその素晴らしさを証明するよう求める。だが、タンホイザーは、他の騎士たちが歌う生ぬるい歌に業を煮やし、つい、ヴェーヌスベルクでの愛欲の日々を讃美する歌を歌ってしまう。人々はその告白に驚き、タンホイザーの罪を激しく問い詰めるが、エリーザベトは身をもってタンホイザーを庇う。領主の裁定により、タンホイザーはローマ教皇のもとへ赦しを請いに赴くこととなり、一同はその声に和す。 第3幕:ヴァルトブルク城近くの谷間 エリーザベトは、聖母マリア像の前で、タンホイザーが救われるよう祈りを捧げるが、帰ってきた巡礼の列の中にその姿がなかったことに落胆し、その場を立ち去る。タンホイザーの友人ウォルフラムは、みずからが想いを寄せるエリーザベトがタンホイザーを慕うのを見て苦しむ。ひとり残されたウォルフラムは星を見上げつつ、苦しい胸の内を吐露する(夕星の歌)。すると、そこへ変わり果てた姿のタンホイザーがやってくる。ローマ教皇からはヴェーヌスベルクで暮らした罪は未来永劫消えることはない、と宣告されたことを物語り、自暴自棄になって、ヴェーヌスベルクへと戻ろうとする。再び現れたヴェーヌスがタンホイザーを誘うが、ウォルフラムは「エリーザベトのもとに留まれ」と再び叫び、ヴェーヌスはその場から消え去る。遠くから聞こえてくる鐘の音で、エリーザベトが亡くなったことを知ったタンホイザーもその場に息絶えるが、巡礼の杖から葉が芽吹く、という奇跡が成就し、タンホイザーの魂が救済されたことが示される。 (文・広瀬大介)

バイロイト音楽祭2022 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

初回放送日: 2022年12月18日

古代ケルト伝説で騎士トリスタンと王妃イゾルデとの悲恋の物語▽ワーグナーが革命運動に参加してドイツから追放、亡命中にパトロンの妻と熱愛、その情熱が作品となった。 リングの指揮者だったインキネンが新型コロナに感染、マイスターが急遽「リング」の指揮を担当することになり、代わりに「トリスタンとイゾルデ」を振ることになったポシュナーは、10日間の準備とわずか2回のリハーサルでオーケストラと歌手をまとめあげた。この録音はその初日の公演で、喝采を浴びた。トリスタンのグールド、イゾルデのフォスター、マルケ王のツェッペンフェルトなど歌手陣が安定感のある歌唱を聴かせる。(解説:三澤洋史)

演奏

  • トリスタン: ステファン・グールド(テノール) イゾルデ: キャサリン・フォスター(ソプラノ) マルケ王: ゲオルグ・ツェッペンフェルト(バス) クルヴェナール: マルクス・アイヒェ(バリトン) メロート: オウラヴル・シーグルザルソン(テノール) ブランゲーネ: エカテリーナ・グバノヴァ(ソプラノ) 羊飼い: ホルヘ・ロドリゲス・ノルトン(テノール) かじとり: ライムント・ノルテ(バリトン) 若い水夫: シヤボンガ・マクンゴ(テノール) 合唱:バイロイト祝祭合唱団 合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ 管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団 指揮:マルクス・ポシュナー 録音:2022年7月25日、バイロイト祝祭劇場

  • 第1幕(1時間18分07秒)

  • 第2幕(1時間17分41秒)

  • 第3幕(1時間17分30秒)

楽曲概要

  • 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 Tristan und Isolde リヒャルト・ワーグナーが作曲した、3幕の「劇 Handlung」(初演1865年、ミュンヘン宮廷劇場)。 作曲者自身の台本による。 【登場人物】 トリスタン: マルケ王のおい(ten.) イゾルデ: アイルランドの王女(sop.) 国王マルケ(bs.) クルヴェナール: トリスタンの従者(bs.) メロート: マルケ王の臣(ten.) ブランゲーネ: イゾルデの侍女(mez.-sop.) 牧童(ten.) かじとり(bar.) 若い水夫(ten.) 船乗り 騎士 従者 【時代と舞台設定】 中世のコーンウォール、カレオールの海

あらすじ

  • 第1幕:船の中 アイルランドの王女イゾルデは、コーンウォールを治める国王マルケのもとへ嫁ぐべく、船旅を続けている。若い水夫がうたう歌詞の中に、自分を嘲る言葉が含まれていることにイゾルデは怒り、侍女として旅を共にするブランゲーネに問いただす。コーンウォールなどに行かず、船など沈めばよい、と憤るイゾルデ。ブランゲーネはイゾルデの真意がわからずうろたえる。舵を取るマルケ王の甥トリスタンの姿を目にしたイゾルデは、自分のところに挨拶に来るよう侍女に命じるが、トリスタンは言を左右にしてイゾルデの求めに応じない。その家臣クルヴェナールは、コーンウォールに屈服したアイルランドの王女など問題にもならない、と嘲笑し、罵声はトリスタンに殺されたかつてのイゾルデの婚約者モロルトにまで及ぶ。 イゾルデは、トリスタンこそモロルトとの戦いで傷を負い、タントリスという変名でアイルランドを訪れて彼女に治療してもらっていたことを明かす。トリスタンはその恩を忘れ、自分をマルケ王に売ろうとしていると咎めるが、それこそトリスタンの真心の現れ、とブランゲーネは弁護する。イゾルデの母が調合した媚薬をマルケに与えればよい、とそそのかすブランゲーネに、イゾルデは毒薬を取り出す。クルヴェナールがやってきて、上陸の支度をするように告げる。イゾルデはクルヴェナールに、上陸前にトリスタンを呼ぶように命じ、ブランゲーネには毒薬の支度を命じる。 それまでイゾルデを割けていたトリスタンがついにやってくる。イゾルデは婚約者モロルトの復讐を今こそ果たす、と告げると、トリスタンはこれで突き殺してくれ、とみずからの佩刀を差し出す。だが、イゾルデは「誓いの杯」を干すことにこだわる。毒薬が入っていることを知りつつ、トリスタンはその「誓いの杯」をあおり、イゾルデは途中でその杯を奪って残りを飲み干す。もうろうとした意識の中で、ふたりはお互いを見いだし、見つめ合ったふたりは激しい愛に陥る。ブランゲーネは、杯に毒薬ではなく媚薬を入れていた。船はコーンウォールに到着し、歓迎のラッパが鋭く鳴り響くが、ふたりは自分たちが置かれた運命に呆然と立ちつくす。 第2幕:コーンウォール・マルケ王の城の庭 マルケとその家臣たちが狩りに出掛けると、イゾルデは松明を消し、トリスタンを呼び込もうとする。だが、ブランゲーネはこの狩り自体がふたりを陥れる罠であり、とりわけトリスタンの親友メロートに気をつけろ、と警告する。 トリスタンが登場し、ふたりはもどかしげに再会の抱擁を交わす。昼の世界は偽りであり、ふたりは自分たちの永遠の愛を祝福する夜の世界を称える。ブランゲーネが見張り台から警告を与えるが、ふたりは聴く耳を持たない。やがて、ふたりは、互いの存在は一体のものとなるだろう、夜の世界、死の世界で結ばれよう、と誓い合う。愛の二重唱が最高潮に達した頃、ブランゲーネの悲鳴が聞こえる。メロートに導かれてマルケ王が、ふたりの密会の場へとやってくる。 マルケは信頼するトリスタンが何故このようなことをするのか理解できず、そのわけを尋ねる。だが、トリスタンはそれに応えず、イゾルデに「これから自分が向かう夜の国についてくるか」と尋ねる。首肯するイゾルデにメロートは激高。トリスタンはわざと自分の刀を取り落とし、メロートの刀に傷つき、その場に崩折れる。 第3幕:トリスタンの居城カレオールの海岸 トリスタンはメロートに受けた傷を癒しているが、昏睡状態から未だ目覚めない。シャルマイで嘆きの調べを奏でる羊飼いは、クルヴェナールにトリスタンの容態を聞き、イゾルデを乗せた船がやってきた時は、楽しい調べを吹いて知らせよう、と約束して去る。 やがてシャルマイの調べで目を覚ましたトリスタンは、夜の国から昼の国へ引き戻された、とつぶやき、昼の世界にいるイゾルデに会いたいと望む。クルヴェナールは既にイゾルデに迎えの死者を出したことをクルヴェナールが告げると、トリスタンは元気付く。トリスタンは自身の報われない生涯を振り返り、興奮して再び失神する。定かならぬ主人の生死に気をもむクルヴェナール。だが、やがて羊飼いの吹く調べが陽気なものに変わる。トリスタンはイゾルデに会える喜びのあまり、傷口を縛っていた布をむしり取り、鮮血にまみれながら歩き出す。やってきたイゾルデの腕に倒れると、そのままトリスタンは息を引き取る。イゾルデは腕の中のトリスタンをかき抱きながら、一人残されたことを恨み、気を失ってしまう。 イゾルデの船を追いかけるように、マルケの船がやってくる。逆上したクルヴェナールは最初に上陸したメロートを刺し殺すが、衆寡敵せず兵士に倒される。ブランゲーネによってことの一切を知らされたマルケは、ふたりを赦し、祝福するためにやってきたが、皆が死んでいくと嘆く。再び覚醒したイゾルデは、周りの様子には目もくれず、自身の愛が宇宙と一体となっていくさまを歌い(イゾルデの「愛の死」)、静かに息絶える。 (文・広瀬大介)

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