
もう「いいね」だけで良いのではないだろうか?/『Death Stranding』をプレイして感じたこと
動画サイトにしろ、SNSにしろ、いいね(もしくはGoodボタン)で投稿されたものを評価する文化が現代のインターネット界での主流だ。もはや、その簡潔さ故に何を評価しているのか、あるいはあいさつ代わり儀礼なのか、そういった詳細な背景が捨象されるのが常であるが、ネット上の不特定多数に開かれた空間での評価の仕方はこれで良いのだと思う。ネットでの誹謗中傷が原因で心を痛める人は多い。的確な批評もあれば、大多数はいたずらに面白がって火に油を注ぐ大衆であろう。芸能人などはひとたび何か炎上する要因を大衆に与えてしまうと、何千、何万の有象無象から罵詈雑言を受け取ってしまう。Twitterで特定の名前を検索したり、また渦中のyoutuberの動画を除けば、誹謗中傷のコメントであふれかえっている。もし自分がこの立場ならと想像して欲しい。もちろん、批判されるべき要因があるなら反省してしかるべきだが、何もそのようなリンチの形で囲い込む必要はないだろう。
その点、noteもそうであるが、肯定的な評価のみを表示できる場所は、幾分か健全なのではないか。評価したい人だけが気軽にいいねを押せば良い。数に一喜一憂することもあるかもしれないが、直接的に言葉のナイフを突き立てられることもない。そもそも、匿名の有象無象でありながら、一方的に非難する行為はフェアでないと思う。
最近そうしたいいねだけが備え付けられた場所も増えつつある気がする。ゲームで言うと『Death Stranding』という作品は、オンライン上のプレイヤーが建設、作成した施設や道具をシェアすることができ、各プレイヤーはそれらを使用したさいに自由にいいねを送ることができる。ここには、オンライン上での適度な距離がやさしさを生むことができるという意図があるらしいが大いに共感できる。ただ、使ったものに対してありがたいだとかよく頑張ったんだろうなだとか、そういうポジティヴな感情だけでいいねを送ることができる。(また、他のプレイヤーの落とし物を届けてあげるなどのシステムもあり、このゲームでは好意だけのやり取りしか発生しない世界となっている。)インターネット上の有象無象の付き合いなんてこういう緩い感じで良いのだ。
ともかく言いたいことは、何かインターネット空間が殺伐とした言葉狩りや弱いものいじめの温床になって欲しくないということだ。そもそも、個々人、発言には責任を持つべきであるが、匿名性は時々そうした当たり前のルールの抜け道を作ってしまう。もちろん、そこに何か監視システムのようなものを浸透させるのもプライバシーの侵害であるし、別に匿名であることが悪いと言いたいわけではない(ある意味、noteも匿名文化の場所かもしれないし)。ただ、そういうところ(匿名性の高い相互的なプラットフォーム)で攻撃的なバッシングを可能とするような仕掛けがあると、あまり好ましくない目的で利用されかねないので注意が必要だ。例えば、バッドボタンなどは、ともすればよく内容を吟味しないユーザーが単なる一見の印象で押している場合もあるだろう。個人的にも、『youtube』上の動画を見ている中で目に付く場面が多い。
ネット空間における簡単な評価の表明だけならば、もういいねだけあれば良いのではないだろうか。批評をしたいなら、単純なバッシングにならないようきちんと言葉を尽くすべきであると思う。そういう意味では、一軒の評価と批評の場は分けられるべきなのかもしれない。何はともあれ、もう少しネット空間がやさしい場所となることを願う。